最近のコメント一覧
最近投稿された読者の皆様からのコメントをご紹介!たくさんのコメント、お待ちしています。
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イチロウ
2018-10-09
モノを捨てるか、捨てないか、は二の次、三の次で、今居られるお母様にご自分の幼い頃のお話を十二分に窺われることが大切、と思います。 でも、黙ってご自分の所有物を処分されてもお分かりにならないのであれば、それも難しいでしょうが。 と言いますのも、私が今、困っているからです。 詰まり、数十年前の幼少時に家族で旅行等をしたりした時の記憶を確認出来ないので、当該の都市等の過去の地形図、航空写真等を参照してグーグル・アースで確認したり、過去の市街図等参考文献を古書店で購入して調べたり、と兎に角、苦労するのです。 でも、どうしても確認出来ない自分の記憶に苛立つのが本当の処なのです。 例えば、亡父と訪れた釣り堀を探す時です。 現在も営業されている釣り堀ならば、グーグル・アースで探せば、航空写真で確認出来ますが、過去のものは出来ませんから。 これが、亡父が居れば、簡単です。 ああ、あれは、どこそこの池だよ、と一言で済むのです。 本日には、約五十年前に親戚と有名な中華料理屋で食事をした時のことを思い出しましたが、その手掛かりは、亡母の家計簿でした。 几帳面に記した家計簿には、その折の代金が記されていましたから。 亡母の家計簿。 これでますます捨てられません。
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火星酸素
2018-10-09
私もスラスラ行けたので、子どもと一緒に楽しむには良いレベルなのかな 2問目は大人向けにもう少し難度の高いものにするとか?
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適当な記事…
2018-10-09
クリニック…ググってみたらめちゃくちゃなとこじゃないかょ。
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まにゃ
2018-10-09
母との関係で疲れた時にこの作品を読んで慰められてます。 介護離職も視野に入れる日々。 ホントに持ってたことも無くした事も忘れるぐらいになってくれたらいいのに…。 よ〜く解りますァハハ・・(^д^;)
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nori
2018-10-08
そうそう♪ 妻に聞こうと思っても そのヒントが出てこないんです。 私:ほら あの女優さん 誰だっけ? 妻:何のドラマに出てた人? 私:・・・・・・ 妻:何のCMをやってる人? 私・・・・・・・
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kyn
2018-10-08
叔父はお酒をやめられなくて70歳でしんでしまった。もともとらお酒を飲めない人だったのに、親戚の人に飲め飲め言われて、飲むうちに、沢山の量を飲むようになってしまった。 仕事も終わりこれからって時に。
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mona
2018-10-08
脳トレの記事があがるのを楽しみにしています。 今回はスラスラ答えられ、日々の脳トレが効いているのかな、
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さくら
2018-10-08
すごくよくわかります:(;゙゚'ω゚'):
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ねこまる
2018-10-07
うちの母もおんなじような感じです。 親身になって、色々相談に乗ってくださる、ケアマネさん。本当に感謝しかありません。
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零
2018-10-07
『最近は、認知症の人が出歩く場合は、「徘徊」と呼ばないという動きもある』というのは、正確な表現ではありません。 『徘徊=あてもなくさまよう』という意味であり、他の人から見て、合っているように見えなくても本人に明確な目的意識があり、それに向かって移動することを「徘徊」とは言えないということです。 今回の例も前回と同様で、目的があってそのための行動になっています。 目的地やその認識が正しいかどうかは問題ではありません。 細かいようですが、「徘徊」という言葉を用いるだけで、理解不能で意味不明な行動という風に見えてしまいます。 そうではなく、行きたいところがあり、一緒に行ってくれないかと聞かれている。つまり徘徊ではなく、明確な意思によって、目的を持って行動していると言えるのではないかと思います。 明確な意思と目的があり、行動していても、必ずしもそれが正確ではないというところに問題があるわけですが、それを否定せず認める。それが大事だと思います。 自分の思いを訴えを否定されず受け入れてもらえる。 それが安心に繋がるのだと思います。 しかし、それは認知症だけに限らないはずです。 全ての人が同じように感じるはず・・・ だから、せめて「徘徊」と言わないであげて欲しいなと思います。
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EK
2018-10-07
先輩ありきに。 独りではなにも進まない。
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cozy
2018-10-07
生きている、という立派な役割。 とても良い言葉で、胸に響きました。
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イチロウ
2018-10-07
ありますね~。 歳とりますと良く忘れます。 探し物をしていて他のことに気をとられて何を探していたのかを忘れることも。 更に、持っていることを忘れて、新しく同じものを買うことも。 しかも何度も。 例えば、買って来て書棚に入れたまま忘れて、更に同じ本を買う等です。 でも我が家の長男猫にはそうしたことは無かったのかも。 ある休日に、三男猫が首輪をしていないことに気付きまして家中を探したことがあります。 でも見つけることが出来ずのまま出勤日になり、出かける時に、長男猫に三男猫の首輪を探しておいて、と「依頼」しました。 自分でも不思議でしたが、長男猫には依頼したことが出来る、と思っていたようでした。 帰宅しますと、何時もと違い、長男猫が玄関に来ず、階段の傍に居たままで私に向かって啼くのです。 どうしたの、と近づきますと、後ろを振り返りつつ二階に上がりましたので、その後ろにつき階段を上がりました処、二階の端にある部屋の前に置いてある収納箱の前で長男猫が待っています。 私が近づくと収納箱に向かって座りましたので、その箱の中を改めますと、何と、そこには三男猫の首輪がありました。 誰が首輪を箱に入れたのか、と不思議でしたが、それ以上に長男猫がどうして探し出すことが出来たのか、と今でも疑問符がたくさんです。 世の中には不思議が一杯ですが、我が家の長男猫にも不思議が一杯でした。
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零
2018-10-07
相手の思いに寄り添う、否定せず付き合うことで、その目的や理由を推し量ることもできる・・・すごく良い話だと思います。 昔の諸事情を考えるとおばあさんの話に間違いはないように思います。 「今」の常識では間違いでも「当時」は常識だった・・・ そういうことは非常に多いので、「勘違い」や「間違い」で判断して欲しくないと思います。 この話の中で最も残念なのは、このおばあさんの行動を「徘徊」としてしまっている点です。 ・このおばあさんは、ちゃんと目的がある。 ・明確な目的があって、そこに向かってしっかり行くことができている。 これらを考えると、徘徊ではなく「外出」です。 一つ覚えておいて欲しいのが、「徘徊」「帰宅願望」「不穏」などの専門用語を使うことで、必要以上に相手を「認知症高齢者」として扱ってしまう原因となってしまうということです。 「外出」「家が気になる」「落ち着かない」こう言い替えるだけで、「認知症の高齢者」ではなく、「人」として関わることができるように感じています。 今回の話は、施設やかつての職場に顔を出したかったおばあさんの気持ちに寄り添いそれに付き合った・・・そういう気持ちが大事と言う話でしょう? そこに「徘徊」や「〇〇願望」という言葉は不要だった・・・そう思います。
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猫好き屋
2018-10-07
猫が可愛いですね