小池百合子氏インタビュー|自宅で母を看取る…覚悟の日々(後編)シリーズ「私と介護」
各界で活躍する人達に、介護経験や想いを聞くシリーズ「私と介護」。前回に引き続き、東京都知事・小池百合子氏に在宅で母の介護、看取りをした経験を語っていただく。
2013年9月。小池氏の母、小池恵美子さんは、入院中の病院で余命1か月の宣告を受けた。小池氏は母親に残された日々を自宅で過ごしてもらうことを決断。養生のためにと入院してからわずか1週間目のことだった──。
「母を家に連れて帰ると決めたはいいけど、自宅での介護など経験がありません。ましてや、母は末期のがんを患う高齢者です。母が入院している病院のスタッフやケアマネジャーさんから在宅での医療や介護について、どういった手続きが必要なのか、また緩和ケアにはどういった機材や人材が必要なのかを聞いたりして情報を集めました」(以下「」は全て小池氏)
恵美子さんが肺がんの診断を受けたのは前年の上旬だ。本人の希望もあり、外科手術のような積極的な治療はせず、自宅療養と通院での対処が続いていた。ただ、翌年2013年の中旬、周囲を心配させるほど、体力が急速に衰えはじめた。
「少しの間だけ入院して、回復させましょう」
本人との合意のもと、地域の中核病院に入院した先で、余命1か月の宣告を受けたのだった。
大急ぎで整えた自宅での受け入れ態勢
東京都練馬区にある「エコだハウス」と呼ばれる小池氏の自宅は、幸い全室がバリアフリー構造になっている。大幅なリフォームは不要だった。
肺がんの診断を受けたのは1年半ほど前。同時に介護認定も受けている。当時から付き合いのあるケアマネジャーとの連絡を密にし、自宅での受け入れ準備を整えた。
「ハードの部分でいうと、介護用ベッドやポータブルトイレ、シャワー用の椅子、歩行器、ベッドから起き上がったことを知らせてくれるセンサーの導入などなど、ケアマネジャーさんと相談しながら必要なものを揃えていきました」
また、在宅看護のキーパーソンとなる在宅医療を行う医師や訪問看護、訪問介護の手配も必要だ。小池百合子事務所のスタッフも介護に参戦してくれた。これらチーム編成も小池氏の仕事だ。決めることは山のようにあった。
「母の痛みを和らげる緩和ケアが重要でしたが、そうしたことに慣れている在宅医が見つかるか不安でした。幸い、入院していた病院と自宅のある練馬区は地域全体で医療や介護を担う『地域包括ケアシステム』が当時から発達していたので助かりました」
地域包括ケアシステムとは、団塊の世代が75歳以上となる2025年を見据えた国の方策だ。歳を重ね、介護が必要になっても、住み慣れた場所で自分らしい暮らしを送る。そのために住まいや医療、介護などを地域で連携し包括的に提供しようという仕組みだ。
「練馬区の医療情報網はしっかり構築されていましたので。我が家から3キロほどの場所で開業するT先生をすぐに紹介してくれました。T先生の奥様は訪問看護師をされていて、診療、往診にはお二人で来てくれるとのこと。この出会いは大きかった。T先生、風貌がゲームのキャラクターに似ていることから、うちではドクター・マリオって呼んでいたんですよ(笑い)」
こうして、自宅介護・療養のための態勢を整えていった。
在宅介護チームの連帯感を高めた「介護日誌」
司令塔として在宅介護のチームを率いるさい、小池氏はどういったところに気をつけたのだろう。
「例えばヘルパーのHさんは介護福祉士の資格を持っている方です。以前から定期的にお世話になっていました。2011年に練馬に引っ越してきて、母と私の二人暮らしが始まったときから、住み込みで母の身の回りの世話をお願いしています。また、近くに住む従弟や、親戚の家族など、気心の知れたメンバー、そして私の事務所スタッフ、みんな献身的に頑張ってくれました」
在宅介護だからといって、病院での治療をダウンサイジングするわけではない。酸素吸入の機械や、痛みを緩和させるためのモルヒネ投与機など、最先端の医療機器が導入された。これらはもちろん、チーム全体で運用することになる。
「今日は酸素がいくつだったとか、苦しそうなのでモルヒネの数値をいくつにするとか、機械の操作を覚えるのはもちろんですが、日々、母の状況がどうなっているのか、情報を共有していかなければなりません。そうしたことがやりやすい、風通しのいいチームであることがすごく重要だと思います。幸運にも私はいいチームに恵まれましたね」
チームの連帯感を高めるために、一役買ったのが『介護日誌』だ。
「母を自宅に戻したその日に、ふつうのノートを用意して、表紙に『介護日誌』と書き込みました。トイレは何時に使ったか、ヘルパーさんはどういうケアをしたのか、などの記録はもちろん、ドクター・マリオのアドバイスや指示も、これを読めばチーム全員が情報を共有できるようにしていました」
自宅介護、初日の冒頭は次の通りだ。
〈11時30分 病院より退院。ストレッチャー付き介護車にて。〉
〈12時 ポータブルトイレにてお小水。〉
〈14時 シリンジの胸部接続部のガーゼと針を自分で抜き取る……〉
この調子で、記述は続く。まさに全てがわかる日誌だ。
余命1か月からの自宅介護。『あくまで日常的で、気持ちのいい環境』そのためにできることは全てやろう──がチームの総意だった。
命の行方を理解していた母
手探りのなか、自宅での介護がスタートした。
「最初は私も落ち着かず、ドタバタでした。例えば、母がベッドから降りて足をつくと、アラームで知らせるマット。これに、母が足を乗せると、ディズニーアニメ『白雪姫』に登場する七人の小人のテーマ曲『ハイホー』が盛大に鳴り響くんです。立ち上がるのはいいのですが、足腰も弱っているので転倒したら大変。真夜中、この曲が鳴るたびに慌てて駆けつけることが繰り返されました。でも、行ってみると、愛犬のソウちゃんがチョコンと乗ってたりする(笑い)」
ソウちゃんは、遡ること10年ほど前に、小池家にやってきた、メスのヨークシャーテリアだ。家での序列はかなり高いらしく、名前のソウちゃんも「総理」が語源だという。
「母は以前からソウちゃんに甘くて、おねだりするソウちゃんにいつも自分の食事をあげちゃうんです。だからソウちゃんは母のことが大好きで、ずっと側から離れようとしません。でもこれが元気の源のひとつでもあったりするので、部屋から追い出すわけにもいかないしね(笑い)」
また、酸素やモルヒネの機械の操作にも、慣れるまでは気を使うものだったという。ドクター・マリオからの指示をベースに、介護日誌を介して全員が共有した。
「モルヒネ投与機の緑のボタンを押すと、何分で効果が出始める。とか、苦しがるときは酸素のメモリをいくつまで上げること。痛みも辛いが、呼吸が苦しいというのがもっとも不安を感じるので注意すること、などなど機械の具体的な使い方と、なぜそうしたほうがいいのかの理由まで、ドクター・マリオが先回りで指示してくれることにとっても助けられました」
余命1か月の宣告は、看取りがすぐそこまで迫っている、ということでもある。恵美子さんに認知症はない。自分の命の行方について、しっかり理解していたという。
“日常的で、気持ちのいい環境”を実現するために
だからこそ、介護する側の声かけなどについても、気を使うことがあったはずだ。
「ネガティブな表現は避けていました。例えば苦しそうにしているときでも、『胸が苦しいの?』ではなく、『どうしたの』と尋ねる、とかね。こうしたこともドクター・マリオのアドバイスです」
小池家の自宅介護のテーマは『あくまで日常的で、気持ちのいい環境』だ。どうすれば『気持ちのいい環境』が作れるのか、ここでも工夫がある。
「母は長く小唄をやっていました。CDで聞き慣れた三味線の音色を流したり。あと、退屈そうにしているときは、母の大好きな映画『ロッキー』のDVDを一緒に見たりしましたよ。母は途中で疲れて寝ちゃって、私だけ終わりまで見てたり(笑い)」
ドクター・マリオから、もし病院に入院したままであれば、あり得なかったであろうアドバイスもあった。
「死期がせまると、薬ではどうすることもできない精神的な痛みに襲われることがあります。そんな場合に『なにか光になるもの』を探しましょうと、言われました。『恵美子さんの場合、居間で皆さんとお話しながらタバコを吸うことなども精神的な安定に繋がります』とか」
実際この期間中に、恵美子さんは好みの銘柄の煙を、何度かくゆらしたという。
「あと、スキンシップも大切にしました。痛がる場所だけじゃなくて、声をかけるときもずっと手をさすっていたりね。それだけで、表情が和らいで、寝付きもぐっといいんです」
そして、迎えた最期の時…
最期の瞬間も、やはり小池氏は母の手をさすっていた。
9月の台風が東京都を襲った日、担当医のドクター・マリオが静かに言った。
──医療してできることは全ていたしました。これからはご家族の時間です。
翌日、恵美子さんをチーム一同が取り囲んだ。一人一人手を握り、言葉をかけた。聞こえているかどうかわからないが、小池氏は母の大好きな小唄のCDをかけた。愛犬のソウちゃんも何かを感じたのか、ベッドの周りをウロウロしていたという。
2013年9月16日。22時22分。小池恵美子さんは最愛の娘に看取られながら、静かに息を引きとった。享年88。肺がんの診断を受けてから1年半。最後の入院から自宅に移って12日目のことだった。
恵美子さんご自身が、『残された日々は少ない』と覚悟を決めた瞬間はいつだったか、小池氏に尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「やっぱり、『すき焼きが食べたい』と言ったときかな。自宅の居間で、タバコを吸ってコーヒーを飲んだり、みんなで鍋を囲むことができただけで、自宅に連れ帰ってよかった。ほんと、そう思いましたね」
東京都政が取り組む高齢者問題
その後、東京都知事となった小池氏は、高齢者問題にも意欲的に取り組んでいる。
「団塊世代が後期高齢者になる2025年まであとたった6年です。何もしなければ社会保障費は毎年400億円ずつ増えていきます。対策は収入を増やすか、コストを削るしかないわけです。そのために、健康寿命の伸長は東京都でも重要課題です」
仕事を引退し、社会との接点が薄れると、人は心身ともに急速に衰えるといわれる。東京都でも様々な方策が打たれているなか、小池氏は『名刺から学生証へ』と銘打ち、次のような取り組みを紹介してくれた。
「首都大学東京で今年4月から100歳大学を開校しました。50歳以上の方限定で、ちゃんと受験していただく。これが大変な人気で6倍くらいの競争率でした。合格者は50名なんですけど、最高齢はなんと81歳。だれもが居場所を確保したい、自己証明がしたいものですから。そんな一人一人の思いを大切にしました」
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最期のときまで、自身の生き方を貫いた母、恵美子さん、そして、その母の尊厳を守るために手を尽くした娘、小池百合子氏。母娘の命に向き合う覚悟は、これからの日本が進んでいく高齢化社会の課題解決への覚悟につながっているのかもしれない。
撮影/政川慎治
取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。