猫が母になつきません 第404話「プロ」
「介護のプロ」という言葉はよく耳にします。でも私はその意味をよくわかっていなかったというか、自分に都合よく解釈していたように思います。ご近所で《許される》ことに慣れていた私は「介護のプロ」は「もっと上手い感じで許してくれる人」だと思っていました。帰宅願望があったり、朝はやく起きだしたり、そういう行動に対してもうまく対処してくれて、母もだんだん施設に慣れていくのだと思っていました。
前回「母を人に預けるということ、人が母を預かるということがどういうことかわかっていませんでした」と書きましたが、これは本当に母に対して無責任だったと私が猛省していることです。実際に経験しなくてはわからなかった事かもしれませんが、今ふりかえってみれば当時の私は無知だったと言っていい。「母を人に預けるということ」は見えない部分がたくさんできるということ。認知症の母からは何があったかを正確に聞くことはできないのですから。「人が母を預かるということ」は預かった人は母に対して責任がありますが、同時に他の入居者の方たちに対しても責任があります。母を含め入居者すべてを守るためにはプロの責任においてプロのやり方で対処する必要があるのです。預けている側としては引け目や遠慮がありながらも、その対処の仕方に不満や疑問がないわけではなく、つねに葛藤があり、施設や病院の対処の方針にNOと言ったことも何度か。しかしたいていそれは受け入れられず、そんな中母の状態はどんどん悪くなっていきました。
母は私から離れて7ヶ月の間に、施設入所→整形外科入院(骨折)→精神科入院→整形外科入院(骨折)→別の施設へとめまぐるしく移動することになりました。私はその間に疑問を感じることが多々あり、母の状態に一番大きく関与した精神科に《カルテ開示》を求めました。《カルテ開示》とは母の診療情報をすべて見せてもらうことです。退院の手続きのときに病院に請求して、後日コピーを送ってもらいました(有料)。開示の理由を聞かれましたが、カルテ開示は医療機関の法律上のきまり(《個人情報保護法》第33条(令和六年改正版) 本人は、個人情報取扱事業者に対し、当該本人が識別される保有個人データの開示を請求することができる)なので理由を言わなくてはならないということはありません。私は「今後の参考に」とだけ言いました。それを見てわかったことがいろいろありました。
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作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母と暮らすため地元に帰る。ゴミ屋敷を片付け、野良の母猫に託された猫二匹(わび♀、さび♀)も一緒に暮らしていたが、帰って12年目に母が亡くなる。猫も今はさびだけ。実家を売却後60年近く前に建てられた海が見える平屋に引越し、草ボーボーの庭を楽園に変えようと奮闘中(←賃貸なので制限あり)。