猫が母になつきません 第370話「左大腿骨骨折」
骨折が判明し整形外科のある病院へ。《大腿骨頸部骨折》股関節にある太ももの骨の付け根部分の骨折でした。《人工骨頭置換術》という「人工骨頭(人工の関節)を入れる手術」をすることになりました。手術の日、病室に行くと母は動けないように腰の部分をベルトで固定されていました。生まれて初めての手術です。手術が終わり麻酔がさめたとき、母は泣きながら「ばかみたい、ばかみたい」を繰り返し、「自然に治すのでほっといてほしい」というような事を訴えました。《術後せん妄》というもので「手術を受けたことがきっかけで起こる意識の混乱」です。入院や手術といった不安などの心理的ストレスで起こるもので、認知症の人に限らず誰もが術後せん妄を起こす可能性があります。私が母の頭を撫でながら「早く治して潮干狩りに行こうね」と話しかけると、母は静かになって眠りました。部屋の模様替えをした日に母と潮干狩りに行く約束をしたのです。しかし人工骨頭を入れた後は脱臼を起こすことがあるため、深くしゃがむ、股関節を大きく捻るなどの動作はしないように気を付ける必要があります。潮干狩りはもうできません。
入院中の母は立ち上がろうとしたり、看護師の人を何度も呼んだり、大きな声を出したりしていました。整形外科は普通の病棟なので母のような認知症の患者がいるのは迷惑だということはよくわかります。しかし初めての手術、初めての入院、環境が変わり知っている人もいない、薬を飲んでいるので朦朧とする、副作用でふらふらする、動いたら怒られる。混乱が極まっていたと思います。リハビリは嫌がらずにやっていたそうです。入院中も認知外来で処方された薬は飲み続けていました。
《ふらつく》という副作用がある薬を飲みながら立って歩くためのリハビリをするということが私には不思議でした。他にも《アカシジア》という副作用がでる薬も処方されていて、それは「体や足がソワソワしたりイライラして、じっと座っていたり、横になっていたりできず、動きたくなる」(厚生労働省「重篤副作用疾患別対応マニュアル 」より※)というものです。そういう副作用がでてもベッドにじっとおとなしく寝ていなくてはならない? 私でも無理だと思います。
※編集部註:厚労省のマニュアルにも記載されていますが、ここでご紹介している副作用は、必ず起こるというものではありません
入院から3週間、退院後についての話し合いに弟も来ました。母は久しぶりに会う弟の名前が出ませんでした。弟のことがわからないというより名前が思い出せなくて適当にごまかしている感じでした。リハビリを見学している時に「まじめにやれー」などとヤジを飛ばすと変顔を返してくるくらいの元気はありましたが、歩く母を見て「かなり痩せたな」と思いました。
面会室に担当医、担当看護師、ソーシャルワーカー、施設の人、弟と私と母が集まりました。「安静が保てないのでこのまま施設に戻るのは無理だから一度精神科に入院して薬の調整をした方がいい」というのが病院側の意見でした。母の入院に関して精神科の病院(認知外来と同じ病院)との話はすでについているようでした。
「薬の調整のためには入院しないと」「その方が本人も楽」「施設に戻っても他の入居者の迷惑になる」。弟も「他の人の迷惑になってはいけないので」と精神科への転院に賛成しました。5対1、反対なのは私だけでした。しかし今の母の状態では家に連れて帰ることもできず、施設にも戻れないとなると、とりあえずは賛成するほかありませんでした。そのかわり「入院は3ヶ月以内」ということを条件にしました。
2日後、精神科への転院が1週間後に決まったとの連絡がありました。電話を切ったあと泣きました。ずっと泣いて泣いて泣きすぎたら「逆さまつげ」になりました。目が痛くてまた涙が出ました。入所から《101日目》のことでした。
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作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母とくらすため地元に帰る。典型的な介護離職。モノが堆積していた家を片付けたら居心地がよくなったせいかノラが縁の下で子どもを産んで置いていってしまい、猫二匹(わび♀、さび♀)も家族に。