猫が母になつきません 第405話「おだやか」
医療法第1条の4第2項「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。(※1)」
医療行為をする場合、医師は必ず患者本人から同意を得なければなりません(インフォームド・コンセント)。でも患者が認知症の場合はだれから同意をもらうのか? 現在このことについてきちんとした法律はなく、医師の裁量や家族の判断によって行われています。「家族の判断」といっても医師でない私が軽々しく医療行為について意見したり判断することはできない。当然そういうものだ、と思っていました…かつては。
母に処方された薬は《向精神薬》です。《向精神薬》には抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬、気分安定薬、睡眠薬、抗痙攣剤などがあります。どれも認知症を治療するものではありません。BPSD(※2)と呼ばれる認知症の行動・心理症状のなかで、母のは妄想、睡眠障害、徘徊の症状がありました。これらの症状を抑えるために《向精神薬》が処方されました。活発だった母はだんだん動けなくなり、ぼーっとして言葉も出にくくなりました。ある日施設に面会に行くと車椅子で出てきて呂律も回っていませんでした。《向精神薬》は主に脳に作用する薬です。母は私に「なんだかおかしいの」と言いました。薬で自分の体が思うようにならなくなっていることにこの頃は自覚があり、そのことをたぶん必死で訴えていました。
医師は最初薬について「気分がおだやかになる薬を出しますね」とだけ言いました。副作用についての説明はありませんでした。後に調べるとそれらの薬にはふらつき、筋肉のこわばり、眠気などの副作用があり、なかには過鎮静、認知機能低下などの副作用があるため高齢者への投与に注意喚起されている強い薬もありました。それは「とんぷく」と呼ばれ《不穏》の症状がはげしいときに飲ませることとされていましたが、母は毎日服用していました。
これらのことは私がすべてのことに疑念を持ちはじめてからわかったことです。それまでの私は医療は善意のもとに行われていると思っていました。医療従事者の知人に、あなたは疑いすぎだ、みんな患者さんにはよくなってもらおうと思ってやっている、と怒られたこともあります。その時はそうなのかもしれない、と思いました。そうであってほしいと思った。しかし今の私はもっと強く、もっと早く疑念を持つべきだったと思っています。彼らの言う「おだやか」も、彼らの言う「適切」も、私の「おだやか」や「適切」とは真逆のものでした。
医師は薬によって母が動けなくなったり、会話ができなくなったりする可能性があることを最初のインフォームド・コンセントで私に知らせるべきだったと思います。「その施設で安全に過ごすためにはいたし方ない」と納得して薬を飲ませるのか、他の施設に移るのか、一旦家に戻るのか、正しいインフォームド・コンセントがされていればそのときにはたくさんの選択肢がありました。
12年前の私へ「疑念を持っていい。相手がだれであろうとも」
※1(厚生省HP《医療法》https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80090000&dataType=0&pageNo=1)
※2(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia 厚生省HP《BPSD:認知症の行動・心理症状》https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/dl/s0521-3c_0006.pdf)
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作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母と暮らすため地元に帰る。ゴミ屋敷を片付け、野良の母猫に託された猫二匹(わび♀、さび♀)も一緒に暮らしていたが、帰って12年目に母が亡くなる。猫も今はさびだけ。実家を売却後60年近く前に建てられた海が見える平屋に引越し、草ボーボーの庭を楽園に変えようと奮闘中(←賃貸なので制限あり)。