兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第271回 間もなく入所1か月】
認知症の兄が特別養護老人ホームに入所してから、1か月。妹のツガエマナミコさんにようやく落ち着いた日常が戻ってきています。とはいえ、季節の変わり目にあたり、衣類を届けがてら兄の施設に出かける機会も多く、まだまだ兄のサポートは続く模様。今回は、施設での兄の様子を報告してくれました。
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週1ペースで面会に行っています
兄を施設に送りだしたら時間が余って、嫌でものんびりできると思っておりましたのに臨時のお仕事が途切れることなく入ってきて、ありがたいことに遊びにも行かずパソコンの前にしがみついているツガエでございます。
そろそろ入所から1か月が経とうとしております。週1ペースで面会に行っており、その都度プリンやヨーグルトを差し入れしております。Tシャツが足らないとのことで3枚ほど追加したり、Tシャツの下に着るタンクトップも追加。羽織ものやトレーナーも持参いたしました。
先日の兄はベッドではなく車イスに座り食堂におりました。スタッフさま曰く「ベッドで起き上がっていることが多く、ベッドから降りるとあぶないので食堂に連れて来ました」とのこと。ほかには80代と思しきおばあさまがお2人、兄を挟んで等間隔に離れて座ってテレビの方を向いておりました。
兄は、家にいた頃よりも顔がシュッとして意識がはっきりしているように感じました。浮腫みが取れて痩せた印象です。意識がはっきりしているのは、もしかすると眠くなる副作用がある薬をやめたのかもしれません。
「何しに来たの?」というので「お兄ちゃんの顔を見に来たんだよ」というと「へぇ~そう。ありがとう」と会話が成立したのが新鮮でした。でもそれ以上の会話はほぼ一問一答。
「ごはんはおいしい?」「まぁね」
「完食してるんだって?」「そうかな」
「なにか欲しいものはある?」「いいんじゃない」
「バカヤローとか言ってない?」「そうだね」
といった具合で、兄が何を考えているのかはよくわからない問答が続くだけでございました。
わたくしのことが誰かわかっていない様子です。けれど「わたしは誰?」と記憶力を試すようなことは意味がないと思っております。「なんとなく知っている」という様子があればそれで充分。いつか「どちらさまですか?」と初めて会うような顔をされるようになったら、寂しいことでございましょうね。
施設からのご報告によると、食事はいつも完食で健康。けれどオムツ交換や入浴で手がかかっているとのこと。「暴言もあるし、抵抗して手や足が出るので昼間は2人がかり。夜はスタッフが1人対応なので、どうしたらいいかとみんなで話し合っているところです」というお話でした。オムツの中のパッドを自分で抜き取ってしまって、夜間に服とシーツの全交換を行っているそう。そんなこんなでTシャツとズボンが足らないそうでございます。
介護の世界では、兄ぐらいの抵抗はよくあることだと思っていたので「どうしたらいいか話し合っている」と言われて、介護のプロといってもあまりノウハウが蓄積されていないのだなぁと認識を新たにいたしました。もとより入所者さまは十人十色で、マニュアルに当てはまらないことの連続でございましょう。家族としては平身低頭、お願いしている立場であって、如何ようにしていただいても異論を唱えるつもりはございません。施設に見放されることが一番の恐怖ですから、スタッフの方々のご負担が少ないようにと祈るばかりでございます。
見晴らしがよかった施設の南側に、新たな特別養護老人ホームが建設中でございます。兄の部屋は西向きなので、今のところ長閑な景観を保っておりますが、ずっとそのままである保証はどこにもありません。窓から富士山が見えるのは今のうちで、1年先には建物しか見えない閉塞した景色になるかもしれません。もう入所してしまったので仕方ないですが、見晴らしのいい場所にある施設を選ぶ際は、周辺の建設計画もちょっと気にしてみてはいかがでしょうか?
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ