兄がボケました~認知症と介護と老後と「第37回 兄の様子に変化が!」
ライターのツガエマナミコさんの兄は、現在66才。50代で発症した若年性認知症の症状が進み昨年夏から特別養護老人ホームで暮らしています。長年兄の生活全般を支えてきたマナミコさんは、週一回、兄の面会に通っているのですが、兄のご機嫌には波があるようで…。
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兄が不機嫌になると落ち込んでしまう
また兄が施設スタッフの方々の手を煩わせているようです。
先週の兄は、少し突っかかるような物言いをしたものの、穏やかさもあったのですが、今週の兄はずっと不機嫌でニコリともしてくれませんでした。
まず、施設に入ってすぐ受付で介護支援専門員さまが出てこられて、「お兄さんのことで少しお話があります」と切り出されました。
要は「このところ機嫌の上下が激しく、医師に相談したところ、不安や緊張を抑える薬を少し増やしてみることになった」とのことでございました。
「そうですか…」と落胆したのは言うまでもなく、スタッフの皆さまに今まで以上のお手間とストレスをかけているのかと思うと家族としていたたまれない気持ちがいたしました。
兄のいるユニットに行くと、いつもいるテーブルに兄はおらず、「こんにちは」とスタッフさまにご挨拶をすると「こんにちは、お兄さんお部屋にいます」と、どことなくそっけない雰囲気でございました。
ドアは半分開いており、中を見ると、兄はベッドで横になっておりました。いつも乗っている車イスが主なき姿で置かれているのを見ていると、「すみません。ちょっとご機嫌が悪くて車イスにも乗せられなくて、ベッドで過ごしていただいてます」とスタッフさま。相当手こずらせているのだな、と察しました。
ベッドにいる兄を見るのはずいぶん久しぶりで、まるで1年前、家の介護ベッドにいた兄のようでございました。その頃もよく悪態をついておりましたから、夏の気候や気圧が良くないのかな、と勝手に解釈をし、また穏やかな兄に戻る時期も来るのではないかと小さな希望を作り出してみました。
「怒っちゃってるんだって?」「そんなときもあるよね」「いろいろあるから仕方ない」などとわたくしがつぶやくと「なんなんだよ!」「どうすんだよ!」「もういいから帰れ!」と言われる始末。暴れることはないけれど、手に触れようとして「触んな!」と怒られました。
その指にはところどころ紫色のあざがありました。自分でどこかにぶつけたのか、オムツ交換の時などに抵抗してギュッと抑えられたのかはわかりませんが、痛そうでした。
この日は歌を歌っても機嫌が悪くなるだけだったので、大部分を無言で過ごし、そっと帰って参りました。スタッフさまに「よろしくお願いします」と深々と頭を下げると、気のせいか苦笑いのご対応。わたくしの気持ちはすっかり沈んで、ため息ばかりの帰り道。兄の機嫌が良ければ上機嫌になり、兄が不機嫌になると落ち込んでしまう。わたくしは兄に機嫌を取ってもらっていたのだな~と思い、「自分の機嫌は自分で取らねば!」と気持ちを切り替えるのに今は必死でございます。
でもそんなときに限って、お気に入りのイヤリングは片方失くすし、3回しか使ってない日傘を駅のトイレに置き忘れるし、サンダルも壊れる災難続き。すっかり意気消沈しておりました。けれど、翌日ダメ元で日傘を置き忘れた駅に行き、ことの事情をお話してみましたら、「ちょっとお持ちください」とメモを見て、「どんな日傘ですか?」「昨日の何時ごろですか?」と質問されました。見ると駅員室の中はたくさんの段ボールが点在しており、忘れ物の多さを推察することができました。
しばらくして奥の方から現れた駅員さまの手にわたくしの日傘が握られていたときは素直にビックリ致しました。
「きっと出てこない。でも拾った人が日傘で熱中症にならずに済んだと思えばそれでいい」と聖人君子面をしていたのがアホらしいほど、すんなり手元に返ってきたのです。
日本は親切な国でございます。日傘はわたくしが畳むよりもキレイに畳まれておりました。
珍しく気取って日傘を差そうなどと思ったのが仇になったお話でございます。でもせっかく戻ってきてくれたのですから、ちょくちょく使うことが日傘への謝意と思い、さっそく近所のスーパーに日傘で行ってみたりしたツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性62才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ