兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第270回 頑張っていたね、わたくし】
ライターのツガエマナミコさんは、8年もの間認知症の兄のサポートを続けてきました。その兄が、ついに特別養護老人ホームに入所。その日から、一週間が過ぎました。入所当日は、兄のいないリビングを見て、寂しさがこみ上げたマナミコさんでしたが、感傷にひたってばかりもいられません。近況を綴っていただきました。
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一人暮らし満喫中
おかげさまで一人暮らしに慣れてきたツガエでございます。
環境に順応しやすいのでございましょうか。介護ロスはあっという間に吹き飛んで、涙ぐんだことも遠い過去になりました。一人でも意外にやることが多いので「介護がなくてもそんなに暇じゃない」と面食らっております。
入所時にヒゲソリを忘れてしまったので3日後に届けたり、施設からのお電話で足らないものをリクエストされたりで、まだまだ世話のかかる兄でございます。そろそろ秋冬の洋服を届けなければなりませんし、先日は、ちょっと物が置けるテーブルワゴンを追加で持参いたしました。
兄の様子はというと、最初の面会時こそ、目を開けることがあまりなく、笑顔がありませんでしたが、さすが兄妹、兄も環境への順応性が高いと見えて、2回目からはわたくしの顔を見るなり「ヤッホー」と笑顔で迎えてくれました。スタッフの方からの苦情もなく、安定した様子でございました。もちろん入浴やオムツ交換などで、お騒がせすることもあるそうですが、想定内にとどまっているようでございます。施設の方々には感謝しかございません。
一方我が家は、介護ベッドがなくなり、車いすもなくなり、広々としたリビングに今は炬燵がローテーブルとして鎮座しております。兄が倒れる前の景色に戻ったといったところでしょうか。
もう、カビの生えた兄の革靴やスニーカーを捨てました。兄が仕事を辞めてから長年放置してきた黄ばんだワイシャツや汚れたジャケットも大量にゴミ袋に押し込んで捨てました。兄が溜め込んだ何年も前の郵便物はビリビリ破いてゴミ袋いっぱいになりました。介護ベッドの上に残った枕とタオルケットも跡形もございません。
ずっと捨てたかった壊れた兄のコーヒーメーカーも、兄が見ているうちは捨てられませんでしたが、この度燃えないゴミに出しました。そしてお尿さまをひっかけて観れなくなったテレビ2台も、先日やっと家から出すことができました。
施設用にテレビを購入した際、「処分したいテレビがある」とご相談したところ、1か月以内ならいつでも引き取るとのことだったので、家電量販店に持参いたしました。リサイクル料と収集運搬料が意外と高く、2台分で1万円越え。溜まっていた家電量販店のポイントを使って合計8500円ぐらいになりましたが、世知辛い世の中でございます。
大分処分したつもりなのですが、まだまだ片付けたいものはいっぱい。汚れた敷布団やビデオデッキはシールを買って、粗大ごみに出さなければなりません。やけに重いビニール袋だと思ったら1円玉がぎっしり詰まっていたり、艶っぽいDVDが大量に出て来たり……。まぁ、独身の男の子でございますから、所持していて当たり前ですが、どうやって処分したらいいものか…思案しております(笑い)
もうヘルパーさまも、看護師さまも、ケアマネさまもこの家に訪れません。気を使う要素がまったくなくなって、生活がだらしなくなったことにより、逆に先日までは常にどこかがONの状態だったことを自覚いたしました。いま小さな物音に「何?」となって「ああ、誰もいないんだった」と思うとき、兄の様子に敏感だった自分を知るのでございます。ずっと気を張っていたわが身を思い、改めて「がんばってたね」と自らに声をかけました。
今は完全なるストレスフリー。お仕事のプレッシャーはありますけれども健やかな一人暮らしを楽しんでおります。
今このときも、大変な介護をされている方がいらっしゃることと思います。ガンバレとは口が裂けても言えません。早く抜け出していただきたい。でも、わたくしの幸せの代わりに、どなたかが兄の介護をしているのだということを忘れてはいけないと思っております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ