高木ブー、東京大空襲で家が全焼した日のこと【第12回 空襲の記憶】
75年前の春、たび重なる空襲で東京は焦土と化した。12歳だった高木ブーさんは、空襲で生まれ育った家が燃えるのを目の前で見つめたという。戦後、アメリカの音楽であるハワイアンに熱中した高木さんだが、自分や家族がひどい目に遭った戦争に対してはどんな気持ちを抱いていたのか。複雑な想いを尋ねてみた。(聞き手・石原壮一郎)
一夜にして町ごと燃えてなくなっちゃった
今日3月10日は、75年前に「東京大空襲」があった日だよね。アメリカ軍のB29が大編隊で飛んできて、無数の焼夷弾を落としていった。下町は火の海になって、10万人以上が亡くなったらしい。それが戦争だって言えばそれまでだけど、ひどい話だよね。
僕が生まれたのは東京の巣鴨で、親父が勤めていたガスメーターの会社の隣りにある社宅で生まれ育った。庭には小さな池と松の木があったのを覚えてる。その家も、空襲で焼けちゃった。3月10日じゃなくて、たぶん4月13日の豊島区の空襲のときかな。とにかく、一夜にして町ごと燃えてなくなっちゃった。僕が12歳のときのことです。
その晩、空襲警報が鳴り響いて、焼夷弾が降ってきた。おふくろは先に小石川植物園に逃げたけど、親父と僕はどうにか火を消そうとして頑張った。でも、焼夷弾って油が詰まった筒が落ちてきてあちこちで燃え出すから、水をかけたところでどうにもならない。隣組でバケツリレーの練習とかやってたけど、何の役にも立たなかったね。
自分の家が燃えていくのを見るのは、そりゃもう、みじめな気持ちだったな。いよいよダメとなって、親父も僕も小石川植物園に逃げた。夜が明けて外に出たら、けっこう離れている巣鴨まで全部焼け野原だったな。そこを親父やおふくろといっしょにトボトボと歩いて帰ったんだけど、途中には丸焦げの死体がたくさんあった。あの光景は忘れられない。悲しいとか悔しいとかじゃなくて、とにかくつらかったね。
どこが家だか道だかわからない状態だったけど、池と松の木が目印になって、かろうじて自分の家の場所がわかった。そこにバラックを建ててしばらく住んでたんだけど、雨が降るとどうしようもない。おふくろの実家を頼って千葉県の柏に引っ越して、結局、そこから中学、高校、大学と通ってた。
当時は僕も軍国少年だったから、夢は戦闘機の飛行機乗りになることだったんだよね。柏に飛行場があって、行き来する軍用機を憧れの目で見てた。海軍の予備学生になれば、いきなり幹部になれるらしい。そしたら楽だなって思ってた。その頃から、楽することばっかり考えてたのかな。戦争に負けたのと同時に、その夢も消えちゃったけどね。
戦後、ハワイアンに情熱の全てを注ぎ込んだ
戦争でひどい目に遭って、言ってみればアメリカに家を燃やされたわけだけど、それでいて戦後すぐにアメリカから来たハワイアンに夢中になった。我ながら不思議だよね。アメリカを恨んで「なんだこんなもん!」って反発してもよさそうなもんだけど。プロになってからも米軍キャンプをまわって、アメリカ兵の前で演奏してたけど、とくに何とも思わなかった。人間が根っからノンキにできているんだろうね。
ただ、暗い時代が終わって、アメリカから新しい音楽や文化どんどん入ってきて、それがたまらなく魅力的でまぶしかったっていうのは間違いなくあった。自分は新しい音楽をやってるんだっている得意気な気持ちも、ちょっとあったかな。とにかく、ハワイアンっていう音楽に衝撃を受けて、全部の情熱をそこに注ぎ込んでたんだよね。
自分のノンキさを弁護するわけじゃないけど、恨みとか怒りとかをふくらませたところで、何も生み出さない。そもそも音楽には何の罪もないんだから。音楽は国境を越えてみんなの心をつないでくれる力を持っているのに、あれこれ理屈を付けていいとか悪いとか言ったら、音楽に失礼だと僕は思うな。
ともあれ音楽にせよ笑いにせよ、平和だから楽しめるのは間違いないよね。音楽や笑いを楽しみたい気持ちが、平和な時代を保つことにつながっているんだとしたら、僕も少しは貢献してきたのかな。あれ、いいことに気が付いちゃった。なんか嬉しいな。
「音楽は国境を越えてみんなをつないでくれる力があるね」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。2月末に発売された野村義男さんのソロアルバム「440Hz with〈LIFE OF JOY〉」(エムアイティギャザリング)では、沖縄風のハワイアン「ヤシの木の下で」で伸びやかな歌声を披露している。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
いしはら・そういちろう 1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
撮影/菅井淳子
第1回 ウクレレ
第2回 家族
第3回 おままごと
第4回 大切な仲間
第5回 運転免許証の返納
第6回 かくし芸大会の思い出
第7回 お正月
第8回 東京オリンピック
第9回 「ブー」という名前
第10回 ウクレレとの出合い
第11回 87歳の挑戦