高木ブー「僕にウクレレの魅力を教えてくれた人たち」【第10回 ウクレレとの出合い】
高木ブーさんにとってウクレレは、いわば人生のパートナーである。15歳の時のウクレレとの出合いがなかったら、ザ・ドリフターズのメンバーになることもなく、現在のミュージシャンとしての活躍もなかった。どんなきっかけでウクレレを手にして、どうのめり込んで行ったのか。ウクレレを持ったブーさんに聞いた。(聞き手・石原壮一郎)
15歳の夏、柏のお祭りでステージに立った
僕には人生の恩人と言える人が3人いる。ひとりは、いかりや長介さん。ほかのバンドにいた僕に、長さんが「ザ・ドリフターズに来ないか」と言ってくれなかったら、「高木ブー」は生まれてないし、この歳まで仕事をやれてないよね。
あとのふたりは、10代の頃、僕にウクレレの魅力と奥深さを教えてくれた人たち。ウクレレとのそもそもの出合いは、3番目の兄貴の気まぐれがきっかけだった。兄貴はハワイアンにはまっていて、当時大人気だった灰田勝彦さん・晴彦さん兄弟の追っかけみたいなことをしてたんだよね。
その兄貴が、何を思ったか、僕の15歳の誕生日にいきなりウクレレをプレゼントしてくれた。えーっと、1948(昭和23)年だから、まだ戦争が終わってすぐの頃だね。ねだったわけでもないし、楽器に興味があったわけでもない。なんで買ってくれたのかあとで聞いてみたけど、「なんでかな。俺もよくわからないんだ」って笑ってたな。
あっ、買ってもらっておいて悪いけど、恩人の中に兄貴は入ってない。もちろん恩は感じてるよ。でも、身内だから勘定に入れなくていいよね。
もちろん、弾き方なんてわからない。せっかくあるからと思って、たまにポロロンってやるぐらいで、すっかりほこりをかぶってた。そうこうしているうち夏が近づいてきて、趣味でスチールギターをやってた知り合いの増田進さんが、「(当時住んでいた)柏の夏祭りでハワイアンをやろうと思うんだけど、いっしょにやらないか」って誘ってくれた。
たぶん、楽器を持ってるヤツなら誰でもよかったんだと思う。僕もいいかげんだから、弾けもしないのに「やります」なんて言っちゃった。僕の人生、何となく流されてっていう場面が多いんだよね。ほかのメンバーに簡単なコードを教えてもらっているうちに、夏祭りの当日がやってきた。客席にはお客さんがぎっしり詰めかけてる。
もうヤケだった。演奏したのは5、6曲かな。僕は覚えたての「G」のコードをひたすらかき鳴らしてただけだけど、ふと客席を見ると、大勢のお客さんが自分たちの演奏に合わせて、体を揺らしたり拍手したりしてる。気持ちよかったなあ。増田さんが誘ってくれたあの夏祭りのステージが、僕をウクレレの道に引きずり込んだんだよね。
ウクレレの良きライバル
そっから自己流で練習を重ねて、翌年の春に高校に入った頃は、いちおう弾けるようになってた。学校でもウクレレを持つヤツが増えてきて、そいつらに弾き方を教えたりなんかして、ひそかに「この学校では自分がいちばんうまい」なんて思ってたりもしてね。そんな時に転校してきたのが、3人目の恩人の古川和彦君。
「ちょっと俺にもやらせて」って言って彼が弾いたら、うまいのなんの。僕なんて足元にも及ばない。聞いたら、兄貴が立教大学でウクレレをやってるらしい。当時、大学のハワイアンバンドでは慶應と立教が名門だったんだよね。
それから古川君とはすっかり仲良くなって、南千住の彼の家にしょっちゅう泊まり込んで、いっしょにウクレレの練習をやってた。教則本なんてないから、レコードを何度も聴きながら、「この音はどうやって出すんだろう」ってあれこれ試行錯誤したりして。たいていは上手な古川君が弾き方を見つけて、それを僕が教えてもらってたんだけど。
彼は高校の頃から「プロになりたい」って言ってて、その言葉どおり、卒業するとすぐに有名なハワイアンバンドの一員になった。僕とはある意味ウクレレのライバルだったわけだけど、先を越されて悔しいとは、ぜんぜん思わなかったな。ちゃんと腕前を評価してもらえてよかったって、僕も嬉しかった。
今でも、常にって言うと言い過ぎだけど、ウクレレを持つとたまにふたりのことを思い出します。いろんな巡り合わせのおかげで自分は今ここにいるんだな、なんてことも考えたりする。長生きしている僕が、ふたりの分までがんばって弾き続けなきゃね。
「増田さん、古川君。ふたりの分まで僕がウクレレ弾き続けるね」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。2月16日にハワイで開催される「ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ」に出演!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
撮影/菅井淳子