高木ブーが告白 SNSで消息がわかった幼なじみのこと【第3回 おままごと】
ザ・ドリフターズのメンバーとして、私たちを大笑いさせてくれた高木ブーさん。ここ数十年は、ウクレレ奏者として全国のステージを飛び回り、円熟の演奏と歌声で聴衆を魅了している。86歳の今を謳歌しているブーさんの生き方から、上手に年齢を重ねる秘訣を学ぼう。
今回は、ひょんなことで消息がわかった幼なじみのお話。セピア色の思い出を熱く語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
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インスタ経由でとある老人ホームからメールが届いた
このあいだある地方の老人ホームの職員さんから、Instagram(インスタグラム)にメールが届いたの。1年ぐらい前からインスタ(@bootakagi85)を始めて、ファンの方からコメントをもらったりはあるんだけど、あのメールはビックリしたなあ。
その職員さんがお世話をしている入所者のひとりが、さよこさん(仮名)といって僕の幼なじみなんです。空襲で燃えちゃう前の巣鴨の家の近所に住んでて、2歳か3歳年下だったかな。小さい頃の僕は、女の子とばっかり遊んでいて、そのさよちゃんとはよくおままごとをしてた。とっても活発で、かわいい子だったな。
職員さんの話によると、さよこさんは認知症になっていて、小さい頃のことしか覚えてない。朝起きて朝ごはんを食べるまでに2時間くらいあるんだけど、そのあいだ毎日、僕のウクレレのCDを聞いてくれているんだって。
いろんなことは忘れちゃってるけど、僕とままごとをしたことはよく覚えていて、職員さんにも「高木ブーさんは子どもの頃は泣き虫だった」なんて言ってるらしい。認知症になると楽しかった記憶しか残らないって聞いたことがあるけど、僕とのままごとが楽しかったのかなあ。嬉しいよね。
自宅に残ってる数少ない戦前の写真を引っ張り出してきたら、幼いさよちゃんが写ってるのがあった。娘に「これがさよちゃんだよ」って言ったら、「うわー」って驚いて、そのあと言葉に詰まっちゃってたな。「パパは、ぜんぜん変わってないね」って失礼なことも言ってたけどね。
もちろん、僕もさよちゃんとままごとしたことは、よく覚えてるよ。子どもの頃の記憶って、セピア色しているくせに鮮明なんだよね。「ただいまー。あー、今日も疲れたなあ」「あなた、おかえりなさい。ごはんできてるわよ」なんて言ったりしてさ。空襲を受けて千葉に引っ越しちゃってからは一度も会ってないから、写真の中の幼い頃の顔しか思い浮かばないけどね。
僕はありがたいことに、今のところ認知症にはなってない。さよちゃんとの楽しかったままごとのことも覚えてるけど、その後の人生であったつらいことや悔しいこともけっこう覚えてる。でも、全部ひっくるめて「いい思い出」だよね。済んだことは、あれこれ考えても仕方ない。いろんなことがあって、今の自分がここにいるんだからさ。
さよちゃんには、会ってみたいなあ。その県でコンサートをやる機会があったら、さよちゃんがいるホームに行ってみようと思う。今の僕を見てわかってくれるかな。きっとわかってくれるよね。急に子どもに戻って「ままごとやりたい」って言われたらどうしよう。でも、やってみるのもいいね。80年ぶりのさよちゃんとのままごと。
インターネットとかインスタグラムとか、昔はなかったものがいろいろ出てきた。世の中がややこしくなっている一面もあるかもしれないけど、おかげでさよちゃんの消息がわかったわけだから、技術の進歩っていうのもありがたいよね。
長生きできているのは嬉しいんだけど、友達がだんだんいなくなっちゃうのが寂しくてさ。小学校の友達はまだ何人かいるけど、高校や大学の友達はみんな死んじゃった。さよちゃんの場合は、職員さんが僕のインスタにメールしてくれたおかげで、こうして接点ができた。職員さんには、すごく感謝してます。また別の人から、「うちのおじいちゃんが、昔、高木ブーと同じクラスだったって言ってます」なんてメールが来ないかな。
「楽しいこと、つらいこと、悔しいこと…全部ひっくるめて“いい思い出”」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1963年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
撮影/菅井淳子