高木ブー 泣きながら練習したドリフ時代のかくし芸大会【第6回 かくし芸大会の思い出】
年齢を重ねたからこそ、むしろ楽しめることは多い。ザ・ドリフターズのメンバーとして、私たちを大笑いさせてくれた高木ブーさん。ここ数十年は、ウクレレ奏者として全国のステージを飛び回り、円熟の演奏と歌声で聴衆を魅了している。86歳の今を謳歌しているブーさんから、いくつになっても“今”を充実させる秘訣を学ぼう。(聞き手・石原壮一郎)
年末の今頃の時期は毎年何かを猛練習していた
『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』をやってた30代から40代の頃は、年末になると『新春かくし芸大会』に向けて何かの猛練習をしてたなあ。津軽三味線や二胡(にこ)、ハープや琴…弦楽器もいろいろやった。
覚えている人も多いと思うけど、あの番組はかなり高いレベルを要求される。今思うと、よくやれたなと感心するね。
「今年はこういうかくし芸」って言われて、練習を始めるのが10月ぐらい。どれも専門の先生がレッスンしてくれる。年末の今頃はまさに追い込みで、家に帰って来ても夜中に練習してた。娘に言わせると、部屋から唐突にハープの音色が聞こえてきて、「ああ、今年はハープをやるのか」って思ったらしいね。
家で練習はしてても、その姿を家族にはあんまり見せなかったかな。鶴の恩返しじゃないから見られても飛んではいかないけど、何となく照れくさくて。それに、練習中の中途半端な状態より、一応は完成しているはずの本番で見てもらいたいじゃない。家族もそれをわかってるからか、「見せてよ」とは言ってこなかった。
何年も修行した人と同じことを2か月でできるようにする
長くウクレレをやってるから、津軽三味線なんかの弦楽器のときは少しだけ気が楽だったかな。だけど、けん玉なんて大げさに言うと泣きながら練習してた。東軍と西軍に分かれて、僕は(いかりや)長さんとふたりでやってたから、ちゃんとできなかったら自分が恥をかくだけじゃなくて、長さんに迷惑かけちゃう。
弦楽器に慣れているとはいえ、新しい楽器をものにするのは楽じゃない。2か月のあいだに、何年も修業した人と同じようなことができるようにならなきゃいけないからね。『8時だョ!』では人を笑わせることの厳しさを学んだけど、『かくし芸大会』は別の意味で芸能界の厳しさを教えてくれた。自分で言うのも何だけど、ドリフはいつもそれなりにちゃんとした「かくし芸」になってたと思うよ。
でも、本番が終わるとホッとして、たいていはそれっきり忘れちゃう。志村(けん)なんて偉いよ。その後も舞台で津軽三味線を弾いたりしてるもんね。僕もあの番組がなかったら、二胡やハープなんて一生触れなかっただろうな。あんまり生かしてないのが残念だけど、いい経験をさせてもらったと思ってる。
あっ、三味線を練習したのは、今でも役に立ってるかな。沖縄に行ったときは、ウクレレじゃなくて沖縄の三線(さんしん)を弾きたくなる。ハワイも好きだけど、沖縄も好きなんだよね。どちらも独特の時間が流れているし、音楽も何となく近いものがある。ぜんぜん離れた場所なのに、そうやってつながりを感じられるのって面白いよね。それぞれの空気に合った楽器を弾くのも、すごく楽しい。
若いときに苦労したことが、何十年も経ってこんなふうに生きてくるんなんてね。ハワイと沖縄じゃないけど、人生はどこでどうつながってるかわからない。誰にだって、自分が若いときに熱中したことや仕事で無理やりやらされたことってあるよね。それを思い出してみると、今の楽しみにつながることが見つかるんじゃないかな。
たとえば楽器だったら、腕前なんて関係ない。上手とか下手とか気にしないで、楽しむことが大事だよ。楽器に限らず、昔やってみたかったことに手を出してみるのは、年齢を重ねてからのほうがむしろチャンスかもね。
「若い頃の苦労が、今の楽しみにつながることもあるよね」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1963年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。2020年2月16日にハワイで開催される「ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ」への出演が決定!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
撮影/菅井淳子