認知症の母が料理に使うフライパンに謎の傷がつく不穏な話
作家でブロガーの工藤広伸さんのお母さんは、認知症で徐々にレパートリーは減ったものの、料理が得意。息子のためにラーメンや朝ご飯を作り続けている。しかし、よく使うフライパンに謎の傷が…。今回は、認知症の人が料理をするときのキッチンツールにまつわるお話だ。
【目次】
料理好きな母のフライパンに大量の傷が!
認知症になる前の母の料理へのこだわりは、相当なものでした。おいしいお店の料理に使われている調味料を自らの舌で探り当て、アレンジして自分のオリジナル創作料理にしてしまうような人でした。
同じくらい調理器具にもこだわりを持っていた母ですが、認知症の進行とともに興味が薄れてしまったようです。そこでわたしが調理器具選びに介入するようになったのですが、洗い物をしているとき、フライパンに大量の傷を発見しました。
なぜ、フライパンは傷だらけになってしまったのでしょう?
新しいフライパンを購入してみると…
認知症を発症して丸8年経った母ですが、今でも台所に立って調理をします。残念ながら複雑な料理はできませんが、リンゴや柿などの果物の皮をむいたり、フライパンを使って目玉焼きや魚を焼いたりはできます。
台所は、料理好きだった母の余韻が残っていて 、例えばシンクの下の引き出しを開けると、昔使っていた筒状のタッパーがあり、ふたに貼ってあるシールには、かすれた文字で多くの調味料の名前が書いてあり、それらを使いこなしていた形跡が残っています。
また、大きさや形の違うたくさんの鍋や包丁、カトラリーもあります。家族5人で暮らしていた時期の名残でもありますが、ここにも母の料理へのこだわりが感じられます。
認知症が軽度のうちは、それらをそのままにしておきました。しかし、次第にうまく片づけられなくなり、食器棚から食器やカトラリーを探せなくなり始めてからは、少しずつ整理を進め、必要最小限の鍋や調理器具だけ残しています。
母の料理の様子を観察していると、使い慣れた包丁やまな板は使うのですが、記憶に薄い調理器具は、ほとんど使いません。
鉄製のフライパンは使っていた形跡がありましたが、重くて扱いづらそうだったので、軽いフライパンを購入しました。使いやすくなったからなのか、フライパンの使用頻度は高くなりました。
炒め物だけに限らず、味噌汁作りやホウレンソウを茹でるときまで、フライパンで調理するのですが、そのフライパンを洗っているとき、ある不思議なことに気づいたのです。
テフロン加工のフライパンが傷だらけ…犯人は?
新しく購入したフライパンはテフロン加工されているのですが、そのテフロンが傷だらけになっていました。あまりに傷が多かったので、フライパンを購入し直したところ、そのフライパンもすぐに傷だらけになりました。使い過ぎによる傷ではないようです。
不思議に思い、母の料理をじっと観察してみると、野菜などを炒めるときに使うフライ返しに原因があることが分かりました。なぜ、フライ返しが問題なのでしょう?
母の使い慣れていたフライ返しが、「金属製」だったからです。金属製では、フライパンに傷がついてしまいます。何度もフライパンを替えたくないし、はがれたテフロンを食べたくないという思いから、わたしは「木製」のヘラを新しく購入しました。
2個目のフライパンにも再び傷が
これでフライパンに傷はつかないと安心していたところ、新しいフライパンがまた傷だらけになりました。木製のヘラでも、傷はつくのか? 再び、母の料理の様子を観察してみました。
答えは、シンプルでした。
そもそも、母は新しい木製のヘラを使っておらず、相変わらず金属製のフライ返しを使い続けていたのです。
母には「金属製のフライ返しはフライパンに傷がつくから、木製を使って」と何度も説明しました。しかし、認知症の母に口頭で注意したところで、すぐに忘れてしまい、使い慣れた金属製のフライ返しに戻ってしまいます。
わたしが料理に立ち会える時ときは、木製のヘラを使ってもらうよう、1年近く促し続けました。少しは木製を使ってくれるかもと期待したのですが、定着しないまま金属製を使い続けていたのです。
認知症の母にとって使い慣れないヘラは…
新しいヘラは、母にとって得体の知れない、不穏なヘラでしかなく、とてもフライ返しという発想にはならなかったようです。確かに何度か「これ、なに?」と木製のフライ返しについて、質問されたことがありました。
それからというもの、母の記憶に残っている愛着のある調理器具は、どんなに古くても捨てずに残すようにしています。しかし、次々とフライパンをダメにしてしまう金属製のフライ返しは、泣く泣く捨てました。
金属製のフライ返しがなく母は戸惑ったようですが、わたしが購入した木製のヘラでなく、使い古した木製のヘラを見つけてきて、今はその木製のヘラで調理をしています。
介護者が良かれと思って、認知症の人が慣れ親しんだものより、性能のいいほうががいいだろうと、新しいものを提供することがあります。しかし、認知症の人にとって、いいものだけがベストではないことが、今回のことからよくわかりました。
どんなにボロボロになったものでも、認知症の人にとって愛着のあるものは、できるだけ残しておくほうがよいのかもしれません。
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)