猫が母になつきません 第499話「きろく」
みなさんお困りでしょう、昭和の遺産、大量のアルバム類。自分がひとりっ子なら思い切って捨てることもできるのかもしれませんが、三人きょうだいなのでそういうわけにも。アルバムの写真をスマホで撮ってデジタル化できるかなと思いましたが、光って撮りにくいし、ピントを合わせたり、画角を調整したり、とても時間がかかる。デジタル化してくれる業者もありますが費用が…。そうまでして残す意味はあるのか?とりあえず、段ボールのフタは再び閉じられました。
8ミリフィルムはたぶん私の時代だけだと思うし、見ることも難しいので処分。
結構たくさん残っていたのがポジフィルムのスライドです。昭和30年代はカラー写真はポジフィルムを映写機で壁などに投影して大きなサイズで見るのが一般的だったらしい。ポジフィルムはネガフィルムと違って写真の色がそのまま映し出されるので光に透かせば映写機がなくても何が写っているか見ることができます。一枚一枚小さなスライドの写真を窓の光に透かして見ていくと、撮影されていたのは両親の新婚当初から私が赤ん坊だった時代まで、ほとんどが初めて見る写真でした。
新婚時代は母ひとりが写っているものが多い。あとは職場のひとたちとか。母はひとりの時は仏頂面、でも誰かと一緒だと笑っているのが多かった。そして私が生まれた日以降は生まれた直後から撮影が始まり、成長していく過程がこれでもかっと記録されている。最初に生まれた子どもの特権ですね。赤ん坊の私、母と赤ん坊の私、父と赤ん坊の私。私が主役の時代があったんだなぁと他人事のような不思議な気持ちになります。特に父がかわいくてたまらないといった表情で私を高い高いしている写真はフィクションのようにさえ感じられ、後の親不孝を思うと私の心はざわざわしました。大人になった私は父と進路で対立し家を出て、その後はずっと疎遠だったのです。でも父が亡くなる前に一度だけ私と父と母と三人で旅行に行く機会がありました。その時私は「恥ずかしいくらい親孝行しよう」と心に決めて、足場の悪いところでは父と腕を組んで歩き、ツアーのガイドさんに「親孝行ですね」と声をかけられました。私は「今だけなんですよー」と冗談めかして本当のことを白状したのですが、父は「いいえ、親孝行ですよ」とやさしく言ってくれました。今思えば、そのときはスライドの中の二人に戻れていたのかもしれません。
いやいやいや、そんな綺麗な話にまとめようたって大量の記録はちっとも片付いてやしない。再び段ボールが開けられるのはいつのことやら。
【関連の回】
作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母と暮らすため地元に帰る。ゴミ屋敷を片付け、野良の母猫に託された猫二匹(わび♀、さび♀)も一緒に暮らしていたが、帰って12年目に母が亡くなる。猫も今はさびだけ。実家を売却後60年近く前に建てられた海が見える平屋に引越し、草ボーボーの庭を楽園に変えようと奮闘中(←賃貸なので制限あり)。
※現在、1話~99話は「介護のなかま」にご登録いただいた方のみご覧になれます。「介護のなかま」のご登録(無料)について詳しくは以下をご参照ください。
https://kaigo-postseven.com/156011