認知症の母が作った不思議な夕食に心がざわついた話
新型コロナによる緊急事態宣言の全国拡大後は、認知症の母が暮らす岩手・盛岡への帰省を自粛している作家でブロガーの工藤広伸さん。
「しれっと」を信条に、母の介護を続けている工藤さんだが、帰省できない間に母の得意だった料理の習慣が失われてしまうのではないかと心配していたら、1枚の写真が届いて…。
コロナによる帰省自粛で母の手料理は…
新型コロナウイルスの影響で、移動の自粛をしているため、1か月半ほど実家へ帰省できていません。
見守りカメラに映る岩手の母の様子はいつもと変わりませんし、母をお世話する介護職の皆さんや妹の報告からも、どうやら元気でやっているようです。
そんな中、妹から送られてきた1枚の写真を見て、わたしの心がざわついてしまったお話です。
家族や職場など、人に料理を振舞うことを生きがいにしてきた母も、認知症の進行によって、その機会が減ってしまいました。母はそのことに気づいていない様子で、今でも本気を出せば作れない料理はないと言います。
認知症の母の夕食作りに必要なサポート
そんな母のやる気を尊重しつつ、たくさんの工程を経ないと完成しない料理は、認知症のリハビリになると考えているわたしは、母にできるだけ料理を続けて欲しいと思い、これまで母のサポートをしてきました。
例えば、母は献立が決められないので、わたしがサポートします。
母は冷蔵庫にある食材を使って、炒めたり煮たりする「名もない料理」はできるのですが、「肉じゃが」といった具体的な献立が決められません。冷蔵庫の食材を使って、何の料理ができるのかイメージできないようです。
献立が決まったあとも、サポートは必要です。足りない食材がある場合は、わたしが近所のスーパーへ行って、必要な材料を買い揃えます。手足が不自由な母は、歩行介助がないと買い物ができないためです。
母にご飯を炊くようお願いすると、必ず3合炊いてしまいます。おそらくですが、家族5人で生活していた頃のイメージが抜けないからだと思います。母と息子の2人しかいないのに3合もいらないので、わたしが1合だけ炊くようにしています。
他にも必要なサポートは、たくさんあります。
母が料理しやすいように、台所に必要な食材、調味料、調理器具を並べます。準備しておけば、それらを使って料理をすることはできるのですが、準備を怠るとおかしな料理が完成します。
例えば、煮干しの準備を忘れると、出汁を取っていない味噌汁が完成しますし、鍋を用意しておかないと、フライパンでホウレンソウを茹でます。
食器の準備も、わたしの仕事です。食器棚には、前回の食事で洗わずに片づけてしまった食器がそのまま入っていることがあります。母は汚れた食器が気にならないようで、軽く水洗いをして使おうとするので、わたしがきれいな食器を準備しておく必要があります。
移動の自粛が求められている今、わたしは母の料理のサポートができません。そのため、母と同じ岩手県に住む妹が、たまに母の様子を見に行っています。
認知症の母が作った夕食に衝撃
ある日のことです。母が妹のために作った夕食の写真が、わたしのところへ送られてきました。今まで一度も見たことがない、驚きの写真でした。
この日の夕食のメニューは、ご飯と味噌汁、鮭、タラ、焼きうどん、三色豆、ぶどうでした。一見、普通の食卓に見えるのですが、よく見るとおかしなことが分かります。
最初に気になったのが、魚です。なぜか、2種類の焼き魚が並んでいます。わたしの推測ですが、おそらく鮭を焼いたことを忘れて、冷蔵庫にあったタラまで焼いてしまったのだと思います。
次に気になったのが、焼きうどんです。焼きうどんは、昼食に単品で食べることが多く、夕食のおかずとして並ぶことはありません。焼うどんをおかずにすると、ご飯と炭水化物同士でかぶってしまいます。
妹は、わたしが行っている料理のサポートを一切せず、すべて母に任せたらこうなったと言っていました。やはりサポートがないと、普通の食卓にはならないようです。
おかしな夕食に表れている母らしさ
おかしな夕食の写真を見たわたしは絶句しながらも、実はホッとしました。
なぜなら、献立はおかしくても、料理はきちんと完成していたからです。コロナの影響で母としばらく会えていませんが、どうやら料理の腕は落ちていないようです。
また、おかしな夕食の献立のほとんどが、わたしが遠距離介護中に、母に作ってもらっている料理ばかりでした。何度も何度も繰り返し作った料理の記憶が、今も忘れずに残っている証拠だと思います。
写真にはもう1つ、母らしさが隠れていました。
わたしが東京から友人を連れて帰省すると、母はテーブルいっぱいに食べきれないほどの料理を並べて、友人たちをもてなしてくれました。おもてなしの精神にあふれていた母は、テーブルに隙間ができないよう、たくさんの料理を並べる習慣があったのです。
下の写真は、2007年に東京から来たわたしの友人に料理を振舞ったときの写真です。テーブルいっぱいに、おいしそうな料理が並んでいます。
わたしが料理のサポートをすると、献立の数を絞るため、こんなに食卓に料理が並ぶことはありません。おそらく、認知症が進行しても、おもてなしの気持ちが残っていたから、妹にもたくさんの品数を用意したのだと思います。
献立が多少おかしくてもいい、味付けがおかしくてもいいから、料理だけはこのまま続けて欲しいと、遠く離れた東京から願っています。
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)