認知症の母のラーメン調理に立ち会ってわかった衝撃の作り方【認知症介護の日常】
料理が得意で、レパートリーも多かった母が認知症を発症し、少しずつできないことが増えてきた…。
作家でブロガーの工藤広伸さんが、認知症の母を介護する日々をリアルタイムで紹介する。今回は、現在も調理を続ける母の様子を見たときのエピソードだ。
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認知症になる前の母は、テーブルに乗りきらないほどの料理を手際よく作り、家に遊びに来た客からは「レストランみたい」と言われるほど、料理が得意な人でした。
しかし、認知症の進行とともに、使える調味料の種類が減って、料理の味が変わり、見た目にも決してきれいとはいえない料理が増えていきました。
その中で「ラーメン」だけは、味も見た目も昔のままで、母が作ることができる数少ないレパートリーです。
ある日の昼食のことです。わたしは母の作ったラーメンを食べようと、箸で麺を持ち上げたとき、明らかな違和感がありました。
わたし:「あれ、麺同士がくっついてる」
母:「あらそうね、いつも通り作ったけど」
わたし:「なんか、麺がぬるぬるしてるけど、なに?」
母:「でもいいじゃない、食べられるわよ」
母は食べられると言いましたが、わたしは麺をスープの下に隠し、食べ終わったかように見せかけて、台所でこっそりラーメンを捨てました。
得意料理だったラーメンも、いよいよ作り方を忘れてしまったのかも…。そう思ったわたしは、母のラーメン作りに立ち会ってみることにしました。
母のラーメン、その衝撃の作り方
母はガスレンジの上に、鍋1つとフライパン1つをセットしました。
ラーメンのスープを作るための鍋は理解できるのですが、フライパンはいったい何に使うのか?
母はフライパンに「少しだけ」水を張り火にかけました。そこにラーメンの麺2玉を入れ、ゆで始めます。麺はほぐしませんでした。塊のまま少しのお湯に麺を投入したということです。湯量が少ないので、麺のぬめりは取れないわけです。
後ろでその様子を見ていたわたしは、「お湯が少ないよ」と母に言いました。
すると母は、台所の上に置いてあった、コップの水を追加しようとしました。
わたし:「ちょ、ちょっと待って!その水は使っちゃだめ!」
母が追加しようとしたコップの水は、使用済みのスプーンや箸を漬けていた水だったのです!
認知症になってからの母は、コップを使った後に水を張っておけば、きれいな状態を保てると思いこんでいます。そして、そのコップの水に、使用済みのスプーンや箸を入れておくこともあります。
母が麺のゆで水に使おうとしたのは、そんな水。そんな、いわば清潔じゃない水でゆでたラーメンは、食べたくありません。
今回は、ギリギリのところで、その水は追加されなかったのですが、今までわたしや母が食べてきたラーメンには、おそらくそういった水が使われていたのだと思います。
「沸騰すれば、きれいになる?」「母もわたしも体調不良になっていないから、大丈夫?」…
わたしの頭の中を、いろいろな思いが駆け巡りました。
わたしの指摘を受け、改めて、たっぷりのお湯で麺をゆで始めたところで、母はラーメンのスープ作りを開始しました。皮をむき忘れた人参、玉ねぎ、煮干し、豚肉を鍋に入れ、しょうゆで味付けします。
スープ作りのタイミングは、めちゃくちゃになりました。麺をゆでてからスープを作り始め、麺が伸びきってしまうこともあります。
野菜や肉、煮干しで出汁をとる、ある意味本格的なラーメン作りをする母なのですが、時間の感覚がなくなってしまったようです。
味の調整は、化学調味料で行います。
スープのあくを取って、母は味見をしました。味が物足りなかったのか、再び化学調味料をふた振り。麺のゆで具合を気にしながら、再びスープの味を確認します。まだ化学調味料が足りないようで、今度は3回振りました。
わたしは、母は化学調味料を入れた回数を覚えていないのだろうと思い、こっそり化学調味料を隠しました。母が再び、スープの味を確認しようとすると、先ほどまであった化学調味料がありません。
母:「あれ、化学調味料ここになかった?」
わたし:「ないよ」
母:「あらそう」
あっさり納得してしまう母に少し驚きながらも、なんとかラーメンは完成しました。麺のゆで方さえ間違わなければ、いつものおふくろの味です。