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暮らし

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第6回 葬儀」

 老老介護する両親のサポートを続けてきた写真家でハーバリストの飯田裕子さんが、その体験をリアルタイムで綴る連載エッセイ。

【前回まで~】

 容態が悪化した父は、自宅で家族に見守られる中、静に人生の幕を下ろした…。

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 * * *

 父が息を引き取ってからの時間は激浪のごとく過ぎた。

 魂は昇天し、もし父の霊魂があるのだとしても、近くにまだ漂っているような感じはしなかった。

 こんな感覚でいられるのは、最期のときまで、命の道のりを父が見せてくれ、それを私自身もしかと見届けることができたからだと思う。

 主治医のO先生が病院へ戻り、その2時間後に死亡診断書を受け取りに行った。

 海沿いの道を病院のある鴨川まで走りながら、遠くの水平線に目をやる。昨日までいた父は今はもういない。海の上には雲が重く垂れ込め、まるで天国への階段のように、光が雲間からいく筋も降り、海上を照らしていた。

父が逝った日に風邪で寝込んでしまった母

 死亡診断書を病院で受け取り、その足で勝浦市役所へ向かう。窓口では引き換えに、火葬許可証が渡された。

「こんな時に不躾な質問なのですが、お父さまはお身体の中に金属はございますか?大柄な方でしたか?」と訊かれた。まるで落語のようだが、焼き加減や費用も異なるらしい。

 家に帰ると、母は風邪を引いたと言って臥せってしまっていた。

 隣のベッドにはまだ父の亡骸があったが、非常事態だったこの数日の緊張の糸が切れたこと、滂沱(ぼうだ)の涙にもできないほどの深い悲しみに体が反応したようだった。

 そして、「誰かに会える状態ではないし…、お願いだから葬儀はやらないで欲しい。家族だけの密葬で見送りたいの…」と母は私と弟に懇願した。

 弟は本当に偶然、この時期に日本にいたが、普段はイギリスを拠点に音楽活動をしている。そして、この後には台湾でのコンサートが控えていた。台湾に出かけ、再び日本に戻れるのが1週間後だという。

 そのタイミングで父を荼毘(だび)に付そうということになった。葬儀会社に連絡し打ち合わせをした結果、父を棺(ひつぎ)に入れた状態で家に1週間置くと決まった。

 弟が台湾に旅立ち、私は親戚への連絡を、電話やメールで思いつくままに行った。いわゆるエンディングノートや遺書というものを父は残さなかった。

 さんざん雑誌で人生の仕舞い方の特集記事を読んでいたのだが、現実では死に向き合うことをしたくなかったのだと思う。老いて、体がボロボロになれば精神だけが勝ることは凡人ではあり得ないだろう。

兄弟とのお別れ

 父は男ばかりの5人兄弟の末っ子だった。つい1か月半ほど前に、父の上の兄で、現在91歳で茨城に暮らす伯父夫妻が、私の年上の従姉妹に当たる娘を連れてはるばる勝浦まで車でやってきてくれたことがあたった。

 まさか、それが今生最後の兄弟での邂逅になろうとはその時には思いもよらなかったが、虫の知らせだったのかもしれない。

 その時の父はすでに酸素の量もかなり増え、ほとんどベッドから起き上がることができなかったのだが、たまたま父を残して皆で庭に出て話に講じていたら、父が酸素のチューブを引きずって庭に出てきた。

 伯父は父の2才年上だが、教師をリタイアした後も、若い頃から続けていた社交ダンスを教える傍ら、古文書の研究もしていた。身体も知能も鍛え、地元ではかなり活躍しているようだった。いでたちもジーンズがよく似合い、父より若い感じに見える。

 2人で肩を組み昔話に花が咲いた。今思えば、父にとって宝物のようなひと時になった。

 従姉妹は看護師だったので、すかさず脈をとり「脈がしっかりしてるわよおじさん。兄弟揃って心臓が丈夫なのね」と声をかけくれた。母も伯母と、懐かしい話に花を咲かせていた。

 一行が帰り、再び日常の静寂が訪れ、父はしばらく眠った。そして、目覚めると遠くを見るような瞳でこう言った

「自分もあの事故がなければ、リウマチにも間質性肺炎にもならずに結構元気に今も兄みたいにやっていたと思う…」

 あの事故とは、私が中学2年の冬に起きたガス爆発事故のことだ。

家でガス爆発が起き重傷を負った過去

 暮れも押し迫る時期、新築したての家で。その日は確か、父は忘年会か何かで遅くに帰宅し、私は部屋で眠りについていた。

 翌朝は日曜だった。朝の気配を雨戸の外に感じつつ、私は2階の個室のベッドにいた。すると廊下で父の声がした。「なんかガス臭いぞ」そう言って、父は階段を下りて行った次の瞬間、まるで映画の爆破シーンのようにベッドの下から突き上げるような爆風がきた。私は慌てて布団を被った。布団の隙間から見えた部屋は木っ端微塵で壁が剥がれ、粉塵が舞っていた。

 ベランダづたいに、寝巻きのままの母が幼い弟の手を引き私の部屋に駆け込んで来た。

「火柱が見えたから早く逃げるの!」そう叫び、ドアを開けて階段を降り、母と弟、私の3人は無事に脱出することができた。

 その日は晴れ。外に出ると別世界のように、朝の太陽が輝き長閑(のどか)な雰囲気があった。そこに、「助けてくれ~っ」と塀づたいにヨロヨロと見覚えのない男性が歩いてきて私たち3人の足元に倒れた。

 それは、全身に火傷を負った父の変わり果てた姿だったのだ。

 それからほどなくして、消防車、救急車がやって来て、消火活動が始まり、父は病院へ搬送された。母も父に付き添って行った。

 父も母も40代半ば、仕事にも暮らしにも一番乗っている時期だったと今思う。時代もまさに高度成長期が成熟しかけた頃だ。父の火傷は体の3分の1以上にも及び、命を失ってもおかしくないほどの状態だったが、同じ医師仲間が最善の手を尽くしてくれたお陰で一命を取り留めた。船橋で救急の処置を受けた後、すぐ父の母校である千葉大病院へと搬送された。

 私と弟は、友人宅で「お母さんは付き添いで当分離れられないから」と諭された。

 それからしばらく、母、弟、私は着の身着のまま、同じ地主さんの空き家で暮らさせてもらうこととなった。

 今思っても、あれはまさに被災だった。

 母は毎日病院へ通ながら、父の命の行方、そしてもし回復できても、この後仕事ができるかどうかもわからない容態に、本気で子供2人とどう暮らしを立て行こうかと案じていた。私と弟の面倒を見るために、母方の祖母が東京から一時的に一緒に暮らしてくれた。明治生まれで、気丈。かつ家事に長(た)けていた祖母の存在は本当に心強く、その優しさに癒やされたことを覚えている。

 事故から半年経ったころ、皮膚移植など困難な手術を終えて父がようやくその仮家に戻ってきてそれからリハビリが始まった。

 当時の最先端の医療技術をもっても、手術はかなりの苦痛を伴うものだっただろう。きついリハビリを終え、生命力を復活させた父は、その後運転もできるようになったが、火事の時に皮膚から入った異物が免疫関係に影響を及ぼし、その結果、間質性肺炎になったのだと父は言うのだ。

 しかし、父が人生の幕を閉じてしまった今では、どんな辛い体験も透明な光の中にかすんで見えるかのように朧げになるから不思議だ。

家族だけでのお見送り

 弟は台湾に旅立ち、私と母は遺体が安置された部屋に父の御霊(みたま)に贈られた花々を配置し、1週間を過ごした。

 エンディングノートがなかったので、家族葬の時に頼むお寺さんのことも全て私たちに委ねられてた形だ。

 ふと私の頭に、出家しして僧侶になった友人の顔が浮かんだ。彼女は元はヨガを南房総の千倉で教えていたことなどの縁で出家し、今では、法蓮という和尚としての活動もしている。彼女に久しぶりの連絡をとり事情を説明すると、「私でよろしければ心を込めて送らせていただきます」と快い返事をくれた。

 弟が台湾から帰り、いよいよ葬儀の日となった。棺の中の父は、お気に入りだった茶色系統の背広に同じ色合いのネクタイを締め、病気患いをする以前の姿に戻っていて、安らかな表情だった。

 好きだったゴルフのクラブセットを傍らに置き、ホールインワン祝いで作ったタオルを棺にかけた。全身火傷を負った後の復活ぶりは身内ながら脱帽だった。

 法蓮和尚の真言密教の印を結ぶところからお経に入り、神妙な時間が流れた。見送りは、本当に家族だけ。

 お経が終わるとそれまで降っていた小雨は止み、風で雲が流れ去り、キラキラした太陽が顔を出した。

 霊柩車はゴルフクラブの前でしばしスピードを落とし、父が足繁く通ったゆかりの道を走って行った。

(つづく)

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

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