「父の排泄介助を職員に任せることに罪悪感」を抱えるグループホーム入居者の娘を笑顔にした言葉と行動|現役介護職員で作家の畑江ちか子さんが綴る奮闘記
都内の認知症グループホームで介護職員として働く作家の畑江ちか子さん。入居者のご家族には、介護職員に対して申し訳ないという想いを抱えている人もいるという。「入居者と家族、職員の心を繋ぎたい!」と介護職4年目の奮闘記。排泄介助を巡る家族と職員の交流から、認知症介護に役立つヒントを学びたい。
執筆者/作家・畑江ちか子さん
1990年生まれ。大好きだった祖父が認知症を患いグループホームに入所、看取りまでお世話になった経験から介護業界に興味を抱き、転職。介護職員として働きながら書きためたエピソードが編集者の目にとまり、書籍『気がつけば認知症介護の沼にいた もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ)を出版。趣味は乙女ゲーム。
※記事中の人物は仮名。実例を元に一部設定を変更しています。
認知症グループホームに働いて4年目の想い
物語の舞台は、認知症対応型共同生活介護――通称「グループホーム」。程度の差はあれ入居者全員が認知症。ワンフロアにつき最大9名、一部の例外はあるけれど、多くの施設が2階建てなので、全員で18名の高齢者が共同生活を送っています。
少人数の落ち着いた環境で、認知症の進行を遅らせ、家事や身の回りのことなど、できることは自分でやってもらうという、自立支援を目的とした施設であり、右も左もわからないまま介護の世界に飛び込んだ筆者を受け入れてくれた施設でもあります。
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こんにちは。現役介護職員・作家の畑江ちか子と申します。
介護職といっても、そろそろ4年目…というレベルの若輩者なのですが、施設で働いていると、やはりいろいろなことを考えさせられます。
最近私がよく考えるのが、「施設の職員さんに大変な思いをさせて申し訳ない」と感じていらっしゃる家族さんに対して、「どう接したらいいんだろう」ということです。
実は畑江家も、祖父をグループホームで見てもらっていたので、気持ちは痛いほどわかります。
当時、私は別の仕事をしており、介護施設に対する知識がほとんどなかったので、施設の職員さんから祖父の近況を伺うたびに「申し訳ない」と思い、また、「手に負えなくなって施設を追い出されるんじゃないか…」とヒヤヒヤしたものでした。
そんなかつての我が家の状況に近い、あるご家族様について書きたいと思います。
84才の正一さん、温厚な性格で癒やし系
山田正一さんは84才。奥様もご高齢なため、入居の付き添いはふたりの娘様でした。
「いろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
入居の対応にあたっていた私に、そう何度も頭を下げる長女様と次女様。私は正一さんのバイタルを測りながら(血圧・体温・血中酸素濃度。入居の時点で体調に異常がないか確認します)こちらこそよろしくお願いいたします、と頭を下げ返していました。
娘様が居室に私物を運び入れ、ベッドカバーなどをセットされているあいだ、私は正一さんとソファに座って少しお話しをすることにしました。正一さんの人となりや、癖を知っておきたかったからです。
「山田さん、こんにちは」
「こんにちは」
「畑江と申します、これからよろしくお願いしますね」
「うん、こちらこそよろしく。ちょっと喉が渇いたなぁ」
話した感じ、意思の疎通はスムーズ。ご自身が感じていること、したいことも訴えることができる。これは介護職員的な目線でいえば、かなり助かることです。利用者の中には、意思の疎通が難しく、本当は何を欲しているのか、どうしたいのかを汲み取るのが難しいかたもいます。
「はい、お茶です」
「ありがとう…あ、冷たい」
「あっ、ごめんなさい、あったかいのがいいか冷たいのがいいか聞けばよかったですね、あっためてきましょうか?」
「いやいや、大丈夫。冷たいのもおいしい」
加えて、温厚。
正一さんがこれから暮らすフロアには、ちょっとでもみそ汁がぬるいだけで「くぉんな水みたいなもんが飲めるかぁぁぁぁぁあああッ!!!!」と、建物が揺れるレベルの声量で怒鳴り散らかす男性の入居者様もいらっしゃいました。だから正直なところ、正一さんとの時間は「こんな穏やかな会話ができるなんて」と癒しに感じられました。
居室のセットが終わったという長女様と次女様が「そろそろ帰ります」と声をかけてくださったので、私は玄関まで出て再度挨拶をすることにしました。
姉妹はまた何度も頭を下げ、「どうかどうか、よろしくお願いいたします」とおっしゃったあと「1か月ほどは顔を見せないようにしますので」と付け加えました。
これは、入居間もなくしてご家族様が顔を見せてしまうと、住み慣れた家に帰りたい、家族と過ごしたいという帰宅願望が沸き上がってしまう可能性があるため。もちろん、入居してから帰宅願望が一度も聞かれないような利用者もいらっしゃいますが、このように一旦期間をおいてください、とお願いしている施設も多いのではないかと思います。
長女が抱えていた不安「電話で涙声に」
さて、こうして新メンバー・正一さんがホームで暮らし始めてから一週間が経った頃。娘様たちも、正一さんの様子を知りたいだろうと思ったため、私は長女様にお電話し、近況をお伝えすることにしました。
「父はご迷惑をおかけしていませんか?」
早々に恐縮され、不安そうな声音の長女様。職員や他の利用者への暴力・暴言なんかはなかったし、食器洗いやテーブル拭きなど家事のお手伝いも積極的に引き受けてくださったし、いつもニコニコ過ごされていたため、私はそのままをお伝えしました。健康面での異常や気になるところも、その時点ではありませんでした。
「あの…トイレは、うまくやれているでしょうか」
おそるおそる、という文字が、受話器から漏れ出てきそうな声でした。
「ときどき、ズボンの前を汚されてしまうことはありますね。リハビリパンツを使用されてはいますが、尿意はあるのでご自身でお手洗いに行かれています。ズボンが汚れてしまったら、消毒して交換をしておりますので…」
「ああ~ッ、本当にごめんなさい!」
突然、長女様の声が大きくなったので私はびっくりしました。驚いて、思わず「えっ」と言ってしまうほどでした。
詳しくお話しを伺うと、正一さんは自宅で過ごされていたころ、ズボンやトイレの床を汚してしまうことが多かったそう。その度、着替えや掃除などの対応を、長女様、次女様、奥様がされていたとのこと。奥様はご高齢ということもあり、心身ともに参っていってしまい、娘様たちも大変なストレスを抱えていたとのことでした。
「あんなに大変なことを、まったくの他人である職員さんたちにやってもらうのが、本当に本当に申し訳なくて…」
そのときの私は、咄嗟に「いえいえ、全然大変じゃないですよ!」とあっさりお答えしました。
もっといいお返事ができたのではないか、もっと適切なことが言えたのではないか、と今でも思います。
実際のところ、本当に大変ではありませんでした。ズボンやリハビリパンツが汚れていたら取り替えて、消毒し、洗濯をする。施設には専用の洗剤や汚れ物用の洗濯機もあるので在宅介護の環境とは違う、いわばプロ仕様です。
排泄ケアに関することは私が介護職として、他の利用者にもごく当たり前にやっている業務のひとつであり、特別に苦痛を強いられるものではありませんでした。
全然大変じゃない。そんな風に簡単に言ってしまったあと、すぐにこう思いました。私のひと言は、ご家族様のこれまでの苦労や思いを、無神経に蹴とばしてしまうようなものだったのではないかと。
排泄問題で退去になる?
「あの、このトイレの問題がさらにひどくなってきたら、退居になる可能性ってあるんですかね…」と、長女様。
「さらにひどくなる」とは、排泄の失敗のことでした。
私は「その理由だけで退居になることは、うちの施設ではありません」とお答えしました。ただ、グループホームには医療職が常駐していないため、点滴や胃ろうなどの医療行為が必要になってきたときなど、他の理由でそういったご相談をさせていただくときはあるかもしれない、と加えてお伝えしました。
「そうですか、よかった、本当によかった」
長女様の声は震えていました。
これまでの家族様のご苦労は、計り知れないものだったことでしょう。私はなおさら、自分の一言がいかに無神経だったと後悔しました。もっとご家族様に寄り添った受け答えができたはずじゃないか。そんなことを考えました。
ご家族に安心していただくために始めたこと
それから私は、他の職員にも協力を呼びかけ、正一さんが家事を手伝ってくださっているところを、施設のカメラで日々撮影するようになりました。
他の利用者のご家族様にも、施設での生活をおさめた写真をお見せすることはありましたが、正一さんのご家族様には「職員の仕事を助けてくださっている」というところを特にお伝えしたかったのです。
何故なら、祖父が入居していた施設のある職員さんがこのようにしてくださり、畑江家では家族の気持ちがいくらか軽くなったことがあったからです。
「畑江さん(祖父)は気は短いほうですけど、テーブル拭きはめちゃくちゃ丁寧にやってくれるんですよ」と言ってくださった、おそらく今の私よりも若い職員さんの顔は、今でも覚えています。
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正一さんが入居されて2か月が経ったころ。面会にいらっしゃった長女様と次女様に、施設での様子を報告しながら写真をお見せしました。
おふたりは、食い入るように写真をご覧になりながら、「えー、家ではこんなこと全然やらなかったのに!」と驚かれていました。口頭でお伝えするのも大切ですが、やはり写真があったほうが伝わりやすいな、と思いました。
「正一さん、テーブル拭きをお願いしてもいいですか、と職員が声をかけると“OK牧場”とお返事をいただきます」
私がそうお伝えすると、長女様と次女様は顔を見合わせて、笑顔になられました。
「それ、家でもよく言ってました。きっと、ここでの生活に慣れてきたんですね」
おふたりの声の調子を聞いて、私は「正一さんのご家族様への対応は、この方向でいいかも」と手ごたえを感じました。
トイレのことについては変わらず申し訳なさそうにされていましたが、そこに笑顔がプラスされたことは、大きな変化であると思えたのです。
利用者の生活について考え、ケアにあたっていくのが介護職の仕事だとは思いますが、そのご家族様にも、同じくらい寄り添ってあげられたら、安心させてあげられたら、というのが、今の私の理想です。

畑江のつぶやき
排泄ケアは業務のひとつ、ご家族は謝る必要はない…とはいえお気持ちに感激!
イラスト/たばやん。