連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第4回 危篤」

 写真家でハーバリストの飯田裕子さんが、初めて直面する「親の介護」。日々のとまどい、気づきをリアルタイムで綴っていだだく連載エッセイ。

 父の容態が思わしくない日が続いていたのだが…

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 * * *

 百合の花の甘い香りで目が覚めた。

 早朝の外気の冷えが部屋に伝わりベッドの中で目が覚めてもなかなか布団から抜け出せないでいると、愛犬ナナが散歩へ行こうと濡れた鼻を押し付けてくる。

 雨戸を開けて朝の光を部屋に入れる。朝日は今、太平洋の水平線から昇ってきた。

 贈られた花々に囲まれた父の遺影に手を合わせ線香をあげる。

 早いもので父の逝去からもう49日を迎える――。

在宅での看取りは未知なる旅を終えたよう

 昨年12月10日。その朝は日本海側に寒冷前線が伸び、父の生まれ故郷である新潟でも初雪が報じてられていた。

 ちょうど仕事で英国から帰国していた弟と母と私。家族全員が揃って父を自宅で見送ることができた事は、天の計らいだったのかもしれない。

 呼吸が苦しくなり、間質性肺炎独特の酸素不足と老化で3日間に及ぶ苦しい時間を乗り越えて、家族皆が見守る朝、父は旅だった。最期の瞬間まで、父は命ある限り懸命に生きようとしていた。

 死までのプロセスを、苦しさも含めてここまで細かに見せてくれた事に、私は悲しさよりもある種の感動を味わわせてもらったと思っている。

「看取りをよくやられましたね」と励ましのお言葉を頂きながらも、もしかしたら私が父に寄り添ったのは実は勝手な好奇心の成せるもののようにも思う。

 今は、不思議と未知なる領域への旅を終えたような充実感すら感じている自分がいる。

 こんな性分も、親ゆずりだとしたら、同じ穴のムジナ家族ということかもしれない。

 父が酸素の機械を使い、ベッドからあまり動かなくなってから半年あまり。ベッドの周りには、もがいている心境を表現したように絡み合った紐の数々が残された。

 それは見方によってはアウトサイダーアートにも見えるし、また人体を網羅する血管や神経系統のようにも見える。最後の数ヶ月、目が覚めている時は無心に紐をいじり続けた父だった。

 ベッドの傍らにある”歴史を紐解く~”という題名の本が、紐でぐるぐる巻きにされていたのには笑わされた。

医師だった父が楽しんだ訪問医師との会話

 鴨川市にあるK病院の訪問医療と看護を受けるようになり、父は上機嫌であった。

 訪問医療チームのリーダーのO医師は温厚で優しい人柄で、訪問の時には1時間以上も父はたわいのない話をして喜んでいた。そのあと、疲れも出ていたようだが、後輩医師の訪問は何よりも嬉しかったようだ。

「K病院は何人くらい医師がいるんですか?」

「インターンを含めると300名はいます」

「それは大学病院なみだな」

 自分の病状も自分なりの診断を織り交ぜて報告。時折、私には理解できない医療用語も飛び交う。「仕事が好きだったんだな」と改めて思った。

 大学時代は手術の練習や色々とできないことも多く、大変だった、とも漏らした。

 彼が一番希望に燃え、輝いていた時代が蘇ってきているのだろうか。紐を裂いたり繋いだりしている行為も、学生時代の練習のリフレインだろうか?

 私が今まで知らなかった1人の人間の生涯がひと連なりにで最終章に立ち現れてくる、この不思議。彼が一番希望に輝いていた学生時代が蘇っているのだろうか。

 父の容体に変化が起き始めたのは11月の末、私が東京に仕事で出かけ帰宅が夜半になった時のことだった。

 夜半遅くに帰宅した私は、就寝している両親を起こさないよう、そっと玄関をあけて家に入ると母がまだ起きていた。

「夕食後の8時ごろ、呼吸が苦しいから脈を測ってくれとパパが言って10分おきに計測したの」と記録メモを私に見せた。

 父はゼイゼイと息を切らしながらも血圧計を自分で巻いていた。

「心臓が一瞬止まった!とパパが言ったののよ。それで、緊急薬として壁に薬剤師さんが貼ってくださったものを思い出してすぐに飲ませたら落ち着いてくれて、眠っているの」。

 翌朝一番でK病院の訪問医療チームの緊急ホットラインに電話を入れた。救急車を呼ばず、異変があったらこの番号へ連絡を、ということだった。

 それから40分後、看護師さんが到着。母が昨夜計測した脈や血圧のデータメモを見せた。

「奥さん、こういうデータがあると助かります。大手柄ですよ!」

 そして緊急薬を服用させたこともいい判断だったようだ。

「先生(父のこと)、今はいかがですか?」

 訪問看護の仕事を20年もされたいるベテランの看護師Nさんはいつも迅速的確に対処しつつ温かみを持って家族のように接してくれる本当にありがたい存在だ。

 間もなく医師のO先生も到着。

 その頃には普段の体調に戻っていた父だった。そして、何事もなかったようにいつものようにO先生にどうでもいい会話を持ちかけている。

「苦しかったんですね」の問いに、「あ、苦しかったかな?忘れてしまったよ」と父。

 O先生もそんな老人の反応に慣れているようで、相槌を打ちながら様子を観察している。

 そして、O先生の兄上が父と同じ千葉大の耳鼻科医局を経て、今、船橋で開業しているという喜ばしい話題もあった。

「それは安心しました」

 父が船橋の耳鼻咽喉科開業医を辞め、まるで選手交代のようにO先生の兄上が船橋で引き継いでくださっているという不思議な縁に、母も私も心に温かなものを感じた。

 こんなに広い世の中で、出会える人はごく僅かなはずなのに、どうしてこういうご縁に巡り合うのだろうか?もしかして人生の全ては必然という流れの中にあるのか…。

 それからの1週間、父はいつも通りに暮した。

 そして、先日からのケアマネージャーさんの勧めもあり、新たな介護サポートとして「訪問入浴サービス」の導入を決めた。

 そのために関係者全員が会議を開かなくてはならない決まりがある(※編集部註:サービス担当者会議のこと)。

 会議は、我が家で行われた。一般家庭の食卓に6名ほどの大人が囲む。日々カオス状態のテーブルの上をかた付けなくてはならないし、まず、6名が座れる椅子が家にあるだろうか…、高齢の母にとってプレッシャーを感じる一日になった。

 法的な意味で介護を受ける立場の人の権利や主張を介護者たちと共有すべき大切な会議であることに違いないだろう。

 しかし、すでに社会という枠から離れている高齢者にとって、多人数の知らない大人が資料を見ながら会議をし、そのコンセンサスを高齢者に求めるスタイルに私は大きな違和感と疑問を覚えた。

 個人差はあるかと思うが、母はとても混乱したようだった。

「何を喋ってるか、皆早口でわからなかったわ。もうどうでもいいから、早く終わって欲しいと思ってた」と漏らす。

 余談だが、介護用品についても、初めて介護を受ける老人にとっては未知のことだらけ。行政の人と担当者数名でやってきて説明を受けるのだが、母のように人に対してはっきりとNOと言えない時代の人たち相手。

 結局後で「沢山の人が来てね、お風呂の椅子を買わされたのよ」と今でも言っている。

 健常者にとっては良かれと思うことが、老人には過度な負担になっている場合もある事に私たちは気づかなければならない。

 その後、あと数日で介護入浴サービス車が来るという時に父は自力でお風呂に入ったという。

 あまり汚れている身体ではと、人としての恥じらいがあったのだろうか?もしくは、自分の入浴問題で大勢が会議をし、母が困惑し迷惑をかけていると認識していたのか、それは定かではない。

 そんな父に私は「カミソリを使ってさっぱりと髭を剃ってみる?」と提案し、石鹸を泡立てて頬に乗せた。

 蒸しタオルで仕上げ、髪も整え、ハサミを入れた。

「ああ、気持ちいい」と父は言ってその後、眠った。

急変の知らせ

 いよいよ入浴車両が来る当日、私も立ち会うことになっていた。

 しかし、その早朝に母から異変の電話が入った。

「パパがすごく苦しいって、、点滴を入れて欲しいと言っているの」

 すぐにK病院の緊急電話に連絡し、私も勝浦へ向かう。母は緊急薬を投与する。

 急いでも内房の我が家から外房の勝浦まで房総半島を横切り1時間半はかかる。

「事故を起こさないようにね」母の言葉を肝に命じ、心中で「どうか容体が治りますように。待っていてください」と祈る。

(つづく)

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。老老介護生活を送る両親のバックアップも始まった。

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この記事へのみんなのコメント

  • くのいち

    半分知っているが故に、まさにリアルです。 お父様は無意識の中、紐を絡めて何かを作ってしまう医者という職人の生き様を最後に魅せてくれたのですかね。 社会のおかしいなをちゃんと提示できるところが、素敵に思いました。 本当に記事を書くという意識がないと、感情のままに悲しみの中にくれていたかもしれませんね。 人の生き様を垣間見える次回記事も楽しみにしています。

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