倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.74「私の知らない、見ていない夫の姿」
漫画家の倉田真由美さんの夫、叶井俊太郎さん(享年56)は出版・映画業界で長年働いてきた。すい臓がんが発覚してからも何度も余命宣告を跳ねのけ、ギリギリまで仕事を続けていた。夫を失って1年、映画業界の大先輩から思わぬ話を聞いて――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
夫の大先輩と喫茶店で
先日、夫の大先輩であり映画界重鎮のOさんにお目にかかる機会がありました。
コーヒーを飲みながら、差し向かいで私の知らない夫の話を伺うことができました。
「僕が最後に叶井くんに会ったのは仕事の打ち合わせで、彼が亡くなる2か月くらい前だったと思う。この店の、ちょうどこの席だったよ」
Oさんは、私と話すのにわざわざこの喫茶店を選んでくれていたのでした。
「パンケーキを頼んで、ぺろりと食べていたよ」
「メープルシロップ、山ほどかけていましたか」
「うん、かけてた」
家でも度々ホットケーキを食べていた夫。たっぷりバターを乗せたっぷりメープルシロップをかけるのが、夫のお気に入りでした。
Oさんと夫との付き合いは長く、Oさんは私と出会う前の夫も知っています。ポツリ、ポツリと夫の昔話をしてくれました。
「僕の都合で約束を当日、しかもギリギリの時間にドタキャンしたことがあったんだけど、怒るでも変に気を遣うでもなく、『ああ、いいっすよ!じゃあまた別の日に』ってさ。こっちがまったく気にしなくてすむ、いつもそんな感じなんだよね。彼は指定の場所まで来てたのに…」
Oさんの語る夫はまさに私のよく知る夫で、情景が次々目に浮かび、夫の声が聞こえるようでした。
あの時の「みかん」
「最後にここで会った時、家にちょうど美味いみかんがあったから持ってきて彼にあげたんだよね」
Oさんが言いました。
「そしたら、『うちの妻、みかん好きなんですよ』ってカバンにしまってたの、思い出したよ」
その話を聞いて、「Oさんからもらった」と夫がみかんを持って帰ってきたのを私も思い出しました。甘い、小ぶりのみかんでした。
覚悟はしていましたが、Oさんの話を聞きながら泣けて泣けて堪りませんでした。
私の知らない、見ていない夫の姿を、夫を知る他の人から受け取ることができる。今まで私が撮った写真はすべて見尽くしてしまったけど、まだこうして新しい夫に出会うことができる。
あっという間に1時間半ほどが経ち、Oさんにお礼を言って店を出ました。
「今日Oさんに会ったよ。父ちゃんの話いろいろ聞いたよ」って夫と話したいなあ、と思いながら帰途につきました。