連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第2回 父と母の馴れそめ」

 写真家の飯田裕子さんは、これまで、世界各地の人々と撮影を通して出会い交流してしてきた。ハーバリストとしても活躍する日々の最中、老老介護をする両親のケアが始まった。写真家として、娘として、さまざまな視点で見る親の介護生活をリアルタイムで連載で綴っていただく。

 今回は、若かりし頃の両親のお話。現在、互いに労り合いながら暮らす両親の長い人生の歴史に思いを馳せる…。

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 * * *

 母が急にこんな話をしだした。

「まだパパとお付き合いする前のことなんだけど、ある日仕事が終わって家に帰ったら、なんとパパが来て私の父親と話しているじゃないの!結婚を前提としてお付き合いさせて欲しいって。医大生とは言えまだ学生のパパに、もう少ししっかりしてたらなあと父が言ったのよね」

 母の口から、父との馴れ初めを聞いたのは初めてだった。痩せて、枯れ果てたような姿の父を目前にしながら、母からそんなエピソードを聞いて、私が生まれる前の父と母には、2人だけの時があったことに、私はハッとさせられた。

 どちらかと言うと、母は私や弟の前では父に対して愛情を示すことはしなかった。

  私たち子供が思春期だった1970年後半。その頃の数年間、父方の祖母である姑 と同居し、母は認知症が進んだ姑の言動に日々翻弄された。最終的には末っ子だった父の家で祖母を見送った。その頃の母は常にイライラし「結婚なんてするもんじゃない!ああ、離婚したい」と抱えきれない気持ちを子供であった私たちに放出していた。

 そのイメージが私の中に定着したままだったのだろうか?

 最近の母はほぼ寝たきりの父に優しくなった。

認知症の姑を介護していた”オニババ”時代

『恍惚の人』(有吉佐和子著)が世間で話題になっていた70年代は、社会的に介護という言葉はまだ浸透しおらず 、市町村の補助も今のような充実はなかった。父も仕事が忙しく、子供たちも学校活動など青春を謳歌するのに忙しい。その頃の母の顔は、子供からは「オニババ」のように見えていた。

 祖母(母にとっては姑)は国立大を出た明治の才女を自負し、教員として働いてきた先進的な人だったが、晩年、認知症になってしまった。

 やむなく、施設へも入ったが、最後は家に戻ってきた。足腰に不自由がなく、もともと長野県の山育ちの健脚だったので、不意に出かけて、どこまでもぐんぐん歩いて行ってしまう。携帯電話もない時代に、警察からの連絡で祖母の居場所へタクシーで迎えに行く。そんなことが繰り返された。次第に、食事をしたかどうかも忘れ、忘れていたことに悲しくなる祖母。しかし、プライドの高さも弁が立つのも変わりなく、嫁である母に対しては感謝の言葉もなかった。

 ある朝「ごはんよ、おばあちゃん」と隠居部屋に母が呼びに行くと、祖母は息を引き取っていた。一つの戦いが終わったような感覚が家の中に流れたのだった。

 母には、そんな介護と看取りの体験があるのだ。コロリと逝った祖母に対し、父は呼吸系の疾患のために動けなくなり、しかし心臓は丈夫で生きている。

 母は「パパが家にプロポーズに来てから結婚までは時間がかかったけど、こんなに今が幸せなんだから感謝している」と言う。

 オニババ時代に刻まれた苦悩の皺が、笑い皺に変わっていた。

“老境に入る”という作用はどんなに嫌な思い出も時にバラ色にするのだろうか?

 きっとそれも人それぞれ、様々な夫婦の形があるだろう。最近では死後離婚という話も耳にする。多分、母の場合、忍耐はほどほどにし、その辛い感情を溜めないで時々放出していたのだろう。もしくは、我が家は全員が血液型O型という気質 なので「そのうち何とかなるだろう!」的なのかもしれない。家族の数だけ物語はあるのだろう。

 時代的には、植木等が主演した「社長シリーズ」にあるような楽観的なエネルギーに牽引された高度成長期の初代「核家族」がまさに我が家でもあった。

父と母の出会い

 両親は東京で出会い、結婚し、私と弟を得てのち父の仕事の縁から船橋の住宅地へ引っ越してきた。

 戦後間もなく、学生だった父はタイプライターのアルバイトをしていた先で母と出会ったそうだ。母はその後、英国船舶会社に転職し長く勤めた。ワーキングウーマンとして、当時GHQの本部もあった丸の内で華やかな時代を送ったという。結婚し、私を産むためにようやく仕事を辞め、その後は専業主婦となった。

 父は耳鼻咽喉科医として、東京の病院で働き、その後、船橋の病院へ移転する。個人開業を始めたのは私が小学校3年くらいの時だった。開業といっても自宅と車で15分離れた距離で、自宅には患者の姿も働く父の姿もなかった。毎朝、早起きして庭いじりをし医院に出かけ、午前診療が終わると昼食に帰宅し、また午後に出かけて行った。

 母は、開業医夫人というとハイソ的に聞こえるかもしれないが、実態は違う。朝、昼、夜と常に家に待機して食事の支度。そして月に一度のカルテの清算なども手伝っていた。

 アナログ時代にはひと月に1度、夜遅くまで父母でカルテ仕事をしていたことも記憶している。

 1日はあっという間に終わり、週末には父はゴルフへ、母は家に1人残り好きな針仕事、というルーティーンだったと思う。私も弟も、父が消毒臭い匂いをさせて帰宅する姿を思い出す。

 子供だった私たちは「病気の人の鼻の中とか喉の奥とか、ずっと見てるなんて大変な仕事だね~」と思っていた。風邪をひけば、診療時間外に父の治療をささっと受けるのだが、診察台での苦しみと痛みから「素敵な仕事」と思うことはできなかった。今思えば全く幼稚な考えである。

 父は映画「赤ひげ」に感化された、と言っていたが、子供の頃の私は、もっとキラキラした世界に憧れた。しかし家から少し離れた診療所へは、風邪を引くと診察に行った。

 父が70歳半ばを過ぎた頃、私はアレルギーの治療で久々に父の医院を訪ねた。

 その頃父は耳が遠くなっていたので、大声で話すようになり、補聴器をつけて診察に当たっていたのだ。「医療ミス」の話題がテレビや新聞に報じられるたびに家族に不安が募った。

「そろそろリタイアしたら?」と、母と私で促してみた。すると「飛行機でもね、急に失速すると事故につながる。ソフトランディングの準備をするけどな」と寂しそうに言ったのを覚えている。

 私たち家族は同時代の人々と同じくドリフターズのお茶の間ファンだったので「耳鼻科医の耳が遠いなんてまるでコントだわ!ネタに使えるわね」などと笑った。

 そうして、父は78歳になり、ようやく医院を閉める決断をしたのだった。

 最後の診察の日。サプライズで英国に暮らす弟家族も来日、3人兄弟の孫たちから父へ紙で作った金メダルが授与された。長年ずっと務めてくれていた看護婦さんや隣で開業していた内科の先生からも労いの言葉があった、いい夜だった。その頃、父の体重は70キロを少し超え、まだまだ体力もあった。

(つづく)

 

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。老老介護生活を送る両親のバックアップも始まった。

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