84才、一人暮らし。ああ、快適なり<第2回 老いはするが老人にはならぬ>
1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起してきた伝説の人でもある。
齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。オシャレに気を配り、自分らしさを守る暮らしを続ける、そのライフスタイル、人生観などを連載でお伝えする。
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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オシャレの似合う老人こそ、素晴らしき存在
「襤褸(ぼろ)は纏(まと)えど、心は錦(にしき)…」
という言葉がある。身形(みなり)は貧しくても、心だけはシャンとしていろというわけである。
老いるとついついオシャレを怠る。どうせ見栄えもしないし、服装などに金をかけたくないと思いがちなのだ。
これはとんでもない誤りであって、オシャレの似合う老人こそ素晴らしい存在は他にない。それこそ惚れ惚れとする。
私はみすぼらしい老人が大嫌いだ。醜いだけでなく汚れて見える。実に哀れである。口をへの字に曲げ、鼻眼鏡を気にもしない。それどころかヨボヨボとして頼りない。その上、僻(ひがみ)っぽいときている。
こういう老人を見かけると、私は思い切りシャッキとなる。つまり、人の振り見て我が振り直す。老紳士たらんと自らを鼓舞し、志気を奮い立たせる。
かと言って老いは老いとして自覚しなくてはならない。動作もスムーズではないし、言葉も滑らかというわけにはいかぬ。歩き方にしても明らかにモタモタしている。しかし、そのことに胡坐(あぐら)をかいてはならない。そこが大切だと思う。