86才、一人暮らし。ああ、快適なり【第49回 要介護】
御年86才の矢崎泰久氏は雑誌『話の特集』を創刊、長きにわたり編集長を務め、テレビや舞台などのプロデューサーとしても活躍してきた伝説の人。現在も作家、ジャーナリストとして世に問題提起をする姿勢を持ち続けている。
プライベートでも、あえて家族と離れて暮らすなど、独自のライフスタイルを貫く矢崎氏に、その日常、人生観などを連載で寄稿いただくシリーズ、今回のテーマは「要介護」。矢崎氏にとっての介護とは?
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「介護の認定の調査」を受ける
私にとって、介護という言葉は、つい最近まで遠い存在だった。
もちろん世の中には、介護の必要な人は沢山いる。介護を支える人、受ける人、そのコミュニケーションが、如何に大切かは、ずっと思いを寄せてきた。
ただ、私自身にとっては、介護という言葉が身近だったことは一度もなかった。
突然、年金から介護保険料を引かれた時は、正直、非常に腹が立った。年金には手を付けないという約束を国が破って健康保険料を取るようになり、それ以来ズルズル年金から差し引かれるようになった。
ある意味では、国に騙されたわけだ。
「介護なんて受けるものか」そんな意地みたいなものを強く持ったことは確かである。
ある日、聞き覚えのない事務所から、「介護認定の調査に伺いたい」と連絡があった。
思い当たることがないわけではない。
あちこち肉体的な不具合が出て、昨年末頃から、私は近くの病院で、時々診察を受けていた。
元気な高齢者が売りの私だから、弱点は見せたくない。しかし、痛い、痒い、便秘したり下痢したり、食欲不振になったりもする。
軽い気持ちで、主治医に相談に乗って貰う気分だったが、それが度重なった。主治医とは友人付き合いもあったので、彼から介護申請をしたらどうかと、助言があった。
年齢的には、とうに老いによる衰えはあるに違いない。主治医から「要介護」 の必要性を説かれるのもしかたないのかもしれない。
オレは、元気だ。余計な心配は無用だ、と強がっても、現実には不具合が起きているのも事実だった。
それにしても、「介護認定」はショックだった。断る手もあったが、何かとお世話になっている医師の判断に逆らうことも大人げないと気付いた。
そんなわけで、主治医の意見書とともに介護申請の手続きをしていたものの、その後の流れをよく理解していなかったので、突然の電話に戸惑った。
申請はしたが、どのみち、要介護認定を受ける要因はないだろうと、気楽に訪問を受けてみることにした。
私の友人には、介護認定を受けている人がいないわけではない。しかし、そのほとんどは、訪問を受け審査をして貰った結果、認定を受けても「要支援1か2」。介護保険を利用したサービスを受けるにもいろいろと制限があるそうだ。
つまり、介護保険料は払っていても、要介護の認定はなかなか受けられないのが現実らしい。
「君が受けるのは、介護ゼロ(自立)かせいぜい支援1だよ。まして、拒絶するタイプだから、何も心配する必要はない」と、私の友人は取り合ってもくれなかった。
要介護認定の結果は?
本当に困っている人が、認定をなかなか受けられないということを知って、私はハッと目が覚めたような気持ちになった。
この国で、手厚い介護を受けることは、実は至難の業に近いという現実だった。
「元気、元気で、ピンコロがいい」。そんな好き勝手を言っている自分が、もしかするといろいろな人に迷惑をかけているかもしれないと思うようになった。
私が調査員の訪問を受けてから、約1か月経った。介護保険課の認定は、「自立」だった。
つまり、要介護度ゼロが告知されたのである。
但し書きがあった。
「認定結果が自立の場合は、一般介護予防事業が利用できます。65才以上の方は要介護(要支援)認定申請をしていなくても利用いただけます。」
何のことやら、私にはサッパリわからなかった。果たして自分は「自立」しているのだろうか。
改めて自分に問うてみると、いろいろな支障を持ち、様々な不具合を体験しながら、我慢我慢を自分に言い聞かせ、何事もなかったように笑顔を作って人と接している。
どこのどの老人も、しみじみ老いを感じている。それが普通だろう。
元気ぶる自分を傍らで笑っている自分。そんな自分を見つけて、滑稽に思う自分と、裏切られても気付かぬ振りをする自分が、生きている証だと、じっと耐える。
泣き言は言わない。どうせなら格好よく生きて、死にたい。
去る者は日々に疎し、と言う。恨みもつらみもわすれて、呵呵大笑(かかたいしょう)、いい人生だったと、思い切り吸い込んだタバコの煙を天空に吐く。
その他に、何があると言うのだろう。孤高故に…。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』最新刊に中山千夏さんとの共著『いりにこち』(琉球新報)など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。