《“現代の名工”の現役うなぎ職人》「野田岩」五代目・金本兼次郎さん(98歳)、伝統を守りながら「うなぎ×ワイン」などの革新も「10年先の社会は変わっている。日々の積み重ねでしか変化を乗り越えることはできない」
江戸時代から200年以上続くうなぎ料理の老舗「野田岩 麻布飯倉本店」の五代目店主を務めるのが、金本兼次郎さん(98歳)だ。ミシュランガイド東京2026でメンターシェフアワードを受賞し、現代の名工にも選出されるなど、その技と精神は世界中から高く評価されている。今なお店に立つ金本さんに、仕事への向き合い方を聞いた。【全3回の第2回】
江戸っ子の味を守り抜く。天然うなぎの個性と向き合う日々
――「野田岩」というお店の特徴と、これまで大切にされてきたことを教えてください。
金本さん:ここは昔から東京湾で獲れるうなぎを仕入れて使っていましたから、それが本来の「江戸前」です。だからこそ、私の中には「何としても江戸っ子が食べる、東京のうなぎを出すんだ」という思いが強くありました。
――他にある多くのうなぎ料理店と、「野田岩」は何が違うのでしょうか。
金本さん:よそはほとんど天然のうなぎを使っていません。でも、うちは親父の代からずっと天然を使ってきましたから、それを続けています。冬はどうしても養殖のうなぎを使わないと間に合いませんが、夏の間は基本的に天然のうなぎです。
天然のうなぎと養殖のうなぎは、味がまったく違います。天然のうなぎは、それぞれに持ち味があるんですよ。例えば、東京のうなぎ、茨城のうなぎと、獲れる場所によって個性があります。それが養殖とは違うんです。とくに私が五代目になった当時は、養殖のうなぎは今と違って質もよくありませんでしたから、どうしても天然にこだわる必要がありました。
――金本さんは1957年、30歳頃に五代目になられました。お父様のやり方から変えたことや、最初に取り組んだ改革はありましたか?
金本さん:ありません。親父は本当にいい仕事をしていましたから。親父がやっている仕事を変える必要はないと思っていました。ただ、時代が進むにつれて天然のうなぎが少なくなってきたことは、店にとって一番のピンチでしたね。天然のうなぎを集めるために、あちこち駆けずり回りました。それまでの近い場所だけでは足りなくなり、茨城のほうまで範囲を広げて探しに行くようになりました。情報を得て、天然のうなぎのあるところを探し求めていくのが、職人であり経営者である私の仕事でした。
伝統にあぐらをかかず、新しいものを取り入れることで店は伸びる
――うなぎにワインやキャビアを合わせるという画期的な試みは、金本さんが始められたと伺いました。
金本さん:ええ、ワインを取り入れることは私がやりました。昭和40年(1965年)半ばまで、日本人にはワインを飲む習慣はありませんでした。私のワイン初体験は当時浅草にあったステーキ店なのですが、それからワインを嗜むようになり、ワインとフランス料理のおいしさに魅了されました。
やがて、「うなぎとワインの組み合わせを普及させたい」と思うようになり、店で提供する決意をしました。ワインを出し始めた当初は「なぜ、うなぎ屋でワインなのか?」というご意見を多数ちょうだいしましたが、今では「野田岩」のワインは知られた存在になりました。
還暦を迎えてから約10年間、フランス全土の三ツ星レストランを食べ歩きました。そこでの知見を活かし、志ら焼にキャビアを合わせてみたりと、うなぎの新たな魅力を引き出す洋風のアレンジメニューも店で提供しています。
――伝統を守りつつ、そういった新しいことを取り入れるバランスは、どのように考えていらっしゃいますか?
金本さん:200年続く老舗の伝統を守ることは大切ですが、新しいものを柔軟に入れていかなければ店というものは伸びていかないんです。なぜ老舗に革新が必要なのかと言えば、10年先の社会はきっと変わっているからです。お客さんも、従業員も変わることでしょう。日々の積み重ねでしか、その変化を乗り越えることはできません。
――改めて、金本さんが思う「うなぎの魅力」とは何でしょうか。
金本さん:うなぎは非常に上品で、旨味がピシッとある。そして何より、職人の手の掛け方によって、すごくおいしくなるんです。逆に、手の掛け方が悪いと「なんだ、こんなもんか」という味になってしまう。そのくらい違うわけです。
例えば、うなぎを焼く最初の段階で細かく手を入れて、気持ちを込めて焼かないと、後で生臭さが残ってしまいます。そうなったら、もうおしまいです。うなぎの焼き方ひとつでも、どこまで焼くか、うなぎの表面はどうなっているか。そういうことに細かく気を使って静かに焼いていくんです。
「修業という言葉は頭にない。ただ好きなだけ」生涯現役の職人魂
――「裂き3年、串打ち8年、焼き一生」と言われます。98歳になられた今でも修業の身だと思われますか?
金本さん:修業という言葉は頭にないですね。その言葉の代わりに言えるのは、私自身が串を打ったり、焼いたりすることが好きだということです。焼いている時の香りを嗅ぐだけで、「うまい具合にいっているな」と分かります。店で他の人間が焼いていても、その香りで「これはうまく焼いているな」「少し違うな」と、微妙な違いを感じ取ることができます。
――今でも探求し続けたいことや、うなぎに対して極めたいことはありますか?
金本さん:うなぎは生ものですから、1匹1匹全部違うわけです。それだけに、絶対に気が許せません。同じ仕事はひとつとしてないんです。そのうなぎに合わせた仕事をしないと、同じようにおいしいうなぎをお客さんに出せません。「この辺は火加減を変えていくか」と、微妙に手を変えていく。それはもう、言葉ではうまく言えない感覚の世界ですね。
私が焼くうなぎがおいしいと言っていただけるとしたら、それはうなぎをよく分かっているからだと思います。「このうなぎならこのぐらい焼けばいいな」「これだけ脂があるから、その脂を活かしていこう」と。うなぎの旨味を消さないで、どうやったら活かせるか、それだけを考えています。
――厚生労働省より「現代の名工」に選出されたり、「ミシュランガイド東京2026」でメンターシェフアワードを受賞されたりと、数々の栄誉に輝いていますが、どのようなお気持ちですか?
金本さん:いやいや、何もないですよ(笑い)。もちろん、そういうものをいただけるということはうれしいです。だけれども、改めて賞をもらったからといって、私の働き方が変わるわけでもない。いつもと同じです。
私がうれしいのは、お客さんの顔を見ることです。昔は出前にも行っていて、注文が来れば渋谷の奥の方まで行きました。お店が始まったころから今でも、玄関のところでお客さんを出迎える。私の顔を見たくて来てくれるお客さんがたくさんいますから。
――これまで多くのお弟子さんを育ててこられましたが、次世代の職人に伝えたいことはありますか?
金本さん:馬鹿正直にやること。そうすれば自然に周りが認めてくれます。人をだまして何かやったって絶対にダメです。私はこれまで人を裏切ったことがありません。雨の日も雪の日も、何度も自転車で配達しましたが、約束の時間を過ぎたことはありません。だから信頼してもらえた。問屋との取引でも何でも、人をだますようなことをしたら二度と続かないんです。
◆野田岩五代目・金本兼次郎
かねもと・かねじろう/1928年1月1日、東京生まれ。寛政年間創業のうなぎ屋「野田岩」四代目の長男として生を受け、13歳で修業に入り、1957年に五代目就任。2007年、厚生労働省より「卓越した技能者の表彰(現代の名工)」に選出。「ミシュランガイド東京2026」にてメンターシェフアワードを受賞。98歳を迎える現在も焼き場に立ち、生涯現役を貫く。
撮影/小山志麻 取材・文/小山内麗香
