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連載

86才、一人暮らし。ああ、快適なり「第46回 うん・どん・こん」

 作家でジャーナリストの矢崎泰久氏に連載で、生き方や人生観を綴っていただくシリーズ、今回は、若き日に出会った人との思い出話だ。

 1960年代に、当時の若者たちに圧倒的な支持をえたカルチャー誌『話の特集』を創刊、30年にわたり編集長を務めた矢崎氏は、文壇、芸能、芸術、スポーツとジャンルにかかわらず幅広い交友関係を持つ。さまざまな出会いの中で、忘れられないエピソードがあるという…。

 * * *

初の三冠王に輝いた野球選手

 私より2才年下だから、今年で84才になられる老野球人がいる。

 南海ホークスの捕手として三冠王に輝き、後に東京ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスなどの名監督として活躍した著名な野村克也さんだ。

 今を去ること60年ほど前に、三冠王、つまりホームラン・打率・打点の三部門で一位になった大選手だった。

 野村さんの本を記念出版しようと企画した会社が打診したところ「書く」のは苦手だが、「語り」下ろしならOKという返事を貰った。そして、私がインタビュアーを担当することになった。

 当時、新聞記者だった私にとっては、秘密のアルバイトだった。

 私は京都の野村家を訪れ、二泊三日で取材し、記事を書くことになった。

 初対面だから、直ぐに仕事にかかるわけにも行かない。野村さんは無愛想なタイプで、シーズン・オフなのに余計なことを引き受けてしまったという後悔されているような印象が強かった。

 一対一で話すより、何かやりながらにしたいと言う。つまり遊びながら。

 で、麻雀をやりながら、話を聞くことになった。二人とも20代の若者である。

 野村さんの麻雀仲間に来てもらって、卓上にテープレコーダーを置いた。

 ところが、会話よりついついゲームに熱中してしまう。しかも、野村さんは椅子に座らず、中腰のママ。いわゆるキャッチング・スタイルだった。野村さんはいかにも強靱な感じで、私より体格も大きい。岩のような感じだった。

 私は麻雀では腕に自信はあったが、体力では圧倒される。しかも、徹夜で疲れるまでやることになった。

 途中で野村さんから、「サブ・タイトルに三冠王・野村克也とあってもいいけど、変わった題名にしたい」という提案があった。

 しばらくして、「うん・どん・こん」というのはどうかと野村さんが言った。

 何のことやらさっぱりわからなかったが。説明を聞いて、これしかないと思った。

若き日の記憶を掘り起こす意味

「うん、つまり運がないと、ホームランは量産出来ない。どん、つまり振りが鈍くないとボールは上がらないんだ。最後のこんは、根気よくやらなくては記録は作れない」と、野村さんが言った。

「うん・どん・こん」は野村さんがファンに求められて、色紙に書く座右の銘でもあった。

 そのタイトルを決めてから、インタビューはようやく軌道に乗った。

 お腹が空くと出前をとり、誰かが睡魔に襲われると、全員で仮眠した。かくして二泊三日で無事に完了したのだった。

『うん・どん・こん』は、そこそこ売れたが、三年後に三冠王になった王貞治さんの本ほどはヒットしなかった。野村さんは不満そうだったが、内容は素晴らしいものだった。

『うん・どん・こん』は、まさしく野村さんの野球人生への約束にもなっていた。いわゆるアイドル本ではなかったのだ。

 人の出会いはいろいろだが、野村さんとの思い出は強烈で、いつまでも心の底に残っていた。

 それから60年。途中、3回ほどお目にかかったが、どちらかと言うと疎遠のママだった。畑違いでもあったし、野村さんにとっては、私など眼中になかったのだろう。

 愛妻を亡くした後、野村さんが日常をどう過ごされているかも知らない。特別会ってみたいとも思わないし、野村さんはとっくに私を忘れているかも知れない。それでもいいと思う。

 人生は、「運・鈍・根」だという感慨が今もしみじみ伝わってくる。おそらく野村さんの野球人生は誰よりも楽しかったに違いない。

 若い日を懐かしむ時、その時代背景にはそれなりの、それぞれの覚悟があったように思える。掘り起こすことも大切なのではないだろうか。

 あの二泊三日の対決は、非常に緊迫感があった。一期一会とは、まさしくそんな感がある。

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

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1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』最新刊に中山千夏さんとの共著『いりにこち』(琉球新報)など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

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