88才の湯守が沸かす「飛龍山の湯」岩手県遠野市の奥地にある病を癒す秘湯を記者が体験レポート
河童や座敷童、妖怪などの伝説が多く伝わっていることから「民話の里」と呼ばれる岩手県遠野市。その山奥に、190年以上の歴史があるとされる『飛龍山の湯』はある。霊山と畏敬されてきた飛龍山の『御弥陀水』を人里離れた一軒家に引き、薪をくべて風呂をたく。つかれば身も心も整うという。そんな話を聞きつけた人々が昔もいまも密かに通う秘湯へーー湯守の嫗(おみな)を本誌記者が訪ねた。
霊山の悪路を小1時間。カーナビの消えた先にあらわれた秘湯
東北新幹線・新花巻駅から車で小1時間。岩手県花巻市と遠野市の境にある飛龍山(ひりゅうざん・標高598m)の中腹にその湯はある。
鬱蒼(うっそう)とした木々で、日中でもどこか薄暗さを感じる山中に分け入っていくと、いつしかカーナビの案内表示が消えている。いよいよ行く手は荒れ、拳(こぶし)ほどの岩や倒木が行く手を阻(はば)む。道に刻まれた轍(わだち)だけが頼りで、土地勘がないよそ者がたどり着くのはとうてい困難だ。
轍に落ちぬよう慎重に車を進めて登っていくと、「お湯」と記された手書きの小さな看板を発見。この分岐を進んだ先に、どこか懐かしい民家が現れた。玄関には「飛龍山」の看板がある。ここが目的地「飛龍山の湯」だ。
「こんにちは」と玄関を開けると、
「お〜、来たか来たか。ここは山に居るのとおんなじで、食事の面倒も見ねえし、お茶も出さね。旅館じゃねえんだから。それでよかったら、お茶っこ飲むならお湯はポットにあるし、冷たい飲み物は冷蔵庫使ってくれていいし、布団もあっから、泊まっていけ」
と柔らかな笑みの嫗が迎えてくれた。この人こそ、粒針(つぶはり)キミさん(88才)だ。
建物自体は変哲もない田舎家で、トタン屋根の平屋が2棟。広い玄関土間の奥に板間の台所がある、昔ながらの農家の造りだ。
キミさんが暮らす居間・台所・床の間のほか、宿泊客用に6畳ほどの部屋が1室あるくらいだが、ここには何ものにも代えがたいものがある。霊泉だ。この地ならではの霊泉を求めて、約200年前から、体の悩みを抱えた人々が訪れ続けているのだ。
霊泉の名を「御弥陀水(おみだらすい)」という。
「オレから遡ること6代前、当時の当主は萬治(まんじ)さんといいよったが、萬治さんは信仰心の篤い人でなぁ、和歌山県の熊野三山を何度も参拝していたというんよ。ある夜、そんな萬治さんの夢枕にお坊さんが立って、『癒しの水を授ける。皆を助けよ』と告げたそうなんよ。萬治さんはその言葉をありがたく受け取って、その後、ここ飛龍山にお社(やしろ)を建てたんよ」(キミさん・以下同)
言い伝えによれば、飛龍山には、人の往来を告げる鳥が棲(す)み、山頂からは五色の龍燈(りゅうとう、※1)が立ち上り、耳にしたことのない音色がどこからか聞こえてくることがあるという。
萬治さんが飛龍山に立てた社は「飛龍山神社」と呼ばれ、実際は籠堂(こもりどう)だったらしい。籠堂とは、神社仏閣に付属するお堂で、信者や行者が籠もって祈願、修行する場所だ。
この籠堂を教念(きょうねん)という和尚が修行に訪れた。教念は熊野を参宮中に薬師大権現(だいごんげん)の啓示を受け、この地を修行の場に選んだのだが、その折に霊泉を発見し、その霊泉を沸かして病む人々を癒した、という言い伝えもある。
「霊感の強い萬治さんは霊泉を見つけた後、霊感がさらに強くなって、自らを“教念師”と名乗っておったそうだ。まぁ、言い伝えはいろいろあるんよ。ともあれ、飛龍山の霊泉を沸かす形で、200年近く湯治場をやっていて、年中、多くの人が利用してたんだ」
ところがこの「飛龍山の湯」、15年前に一度、消失したことがあるという。
「オレは二十才(はたち)で花巻市東和町へ嫁さ行くまで、9人きょうだいの長女として、父さん母さん、おじいさん、父さんの妹と13人で暮らしてたんだ。嫁いで転居したものの、人手が足らず、約30年前から実家を手伝うようになった。その湯治場とお寺が、15年前(2009年)に火災で焼失してしまった。本当にもったいねえことだけんど……建物の焼失以上に問題だったのは、その湯治場に病気を治したくて通っていた人たちがたくさんいたことだ。その人らが、『助けてくれ』『何とかしてくれ』『風呂だけでも作ってくれ』ってオレに泣いて頼むんだわ。そう言われたって嫁に出た身のオレは、ここの人であり、ここの人でねえ感じだし。お金もかかるし。即答できねくて、『相談してみっからちっと待って』と言ってたんだ。ただ、オレもこれほどいい水、これほどいい風呂、山もいいけんど、空気も見晴らしもいい。これをまるっきりなぐすのはもったいねえし、悔しいし、仏さんにも申し訳ねえ。やる人がいねえんなら、できる範囲でやるしかねえべかと……」
キミさんは配管工事を行って水源から御弥陀水を引き込み、浴槽は80万円かけて檜(ひのき)風呂に新調。浴室も準備し、分家であるこの実家を開放することにしたという。
話が一段落すると、
「そろそろお風呂に入らんかね」
とキミさんにすすめられた。民家の奥にある約4畳半ほどの浴室には、檜の浴槽の中にトロリとした湧き水が沸いていた。
湯船につかると無色透明な湯が肌に染みこんできた。薪(まき)でたくせいか、熱さが優しく感じられたのも心地よかった。
体が芯から温まると評判で、月に数十人から100人近くが訪れるのも納得だ。
キミさんによれば、その昔、湯治場の宿泊者が酔って暴れて浴槽をひっくり返したり、入浴後にお湯を勝手に抜くなどの無駄遣いをした後、湧き水が出なくなったことがあり、以来、山の掟(おきて)ができて受け継がれているという。
「源泉に近づいてはならない」「湧き水の使用は飲料水と風呂のみ」「山に肉・卵・酒は持ち込まない」「石けんやシャンプーは使わず、風呂に入る前に体を洗い、湯船では体をこすらない」……。
「ここは酒を飲んで騒いだり、物見遊山でくる場所じゃない。まじめに病気を治しにくっとこだ。風呂や飲泉用に昔から大切にされてきた霊験あらたかな貴重な仏様のお水だもの、普段の飲み水や炊事用の水とは区別しているんだ。湯っこさ入るときには、浴室に貼り紙してある『六字和讃(※2)』を南無阿弥陀仏の順に1番から6番まで歌い唱えつつ、拝みながら、肩までつかるのがええ」
4月中旬から11月末まで月の半分ほどを、キミさんひとりで寝泊まりしながら、入浴客を受け入れている。
「神様仏様も3時までは休ませてあげてえから、朝は早ぐて3時か3時半に起きて風呂の火をたぐ。ご飯も炊ぐが、いまはスイッチオンだからな。その間に風呂が沸いたら、4時半か5時頃にオレは湯っこさ入って、大体30分、ゆっくりつかるんだ」
こうして“お湯開き”をした後の5時半か6時から客は入浴を許される。その後は17時頃までは何度入ってもOKだ。
キミさんは、朝食後から畑仕事に精を出し、食事は粗食。その一方、仕事の合間に見るテレビの大相撲中継では遠藤関、野球中継では地元のスター大谷翔平選手を応援しているという。
「シュッとしたいい男だからね、2人とも(笑い)。ご飯は足りなくなんねえように毎日2合炊き、魚の刺身や漬けものには、らっきょう酢かけて、しょうゆや塩を減らし、肉・卵は山では禁止だけど里に下りたら食べる。夕ご飯を食べたら、毎晩7時半には床に入るんだ」
キミさんの一日は、こうして穏やかに過ぎていく。
(※1)龍神の住処(すみか)といわれる地から現れる怪火で、神聖視されている炎
(※2)「六字和讃(ろくじわさん)」の「六字」とは「南無阿弥陀仏」のこと、「和讃」とは「和語(日本語)で褒めたたえる詩」のことをいう。仏教を日本的に解釈した親しみやすい仏教讃歌の一種。
徹夜続きの疲れが消え虫刺されも治った!
最後に、浴室と湯の様子を詳しく紹介しよう。
建物の外から見ると、薪の山とボイラーの横に浴室はあるのだが、ここに浴槽が3つある。大きな檜風呂と1人用浴槽、そして、いちばん奥の浴槽には、御弥陀水の源泉が蛇口から常に流れ出ており、飲泉も可。飲んでみると、雑味やクセのないまろやかな、実においしい水だ。
湯は肌に優しい感触で、しばらくつかって出た後も汗が止まらない。
浴室を出ると窓の向こうに山々の風景が広がり、涼やかな風が吹き抜ける。
「ここのところ徹夜続きで目はかすみ、肩こりも酷(ひど)かったのに、体が軽く心地よい」と身も心も洗われた。俗世にまみれた垢や汗をきれいサッパリ流せたようで、すこぶる気分爽快だ。
湯の効能は、やけど、切り傷、リウマチ、神経痛、アトピー性皮膚炎などで、お肌にいいのが特徴だそう。
撮影中にカメラマンが虻(あぶ)に刺されたのだが、このときキミさんがひと言、「風呂の霊泉で洗ってみ」と言うのでさっそく風呂場で御弥陀水を手にかけると、「あれ?痒(かゆ)くなくなった!」とカメラマンも驚いていた。
帰京後、長年悩まされていた腰痛や肩こりが嘘のように消えた記者は、「顔の肌ツヤもよくなったんじゃない!?」と、妻に褒められた。実に不思議だ。
風呂と畑と祈りに囲まれたキミさんの穏やかな人柄に触れ、丹精込めて沸かす、ありがたい湯にまた入りたい、と思うのは記者だけではなく、そんな人が繰り返し訪れているのだろう。
「気いつけて。またおいで」
と、見送ってくれたキミさんの姿が目に残る。後継者がいないと、キミさんは寂しそうに語っていたが、いつまでもここにあってほしい。そう願わずにはいられない極上のお湯だった。
撮影/浅野剛
※女性セブン2024年10月10日号
https://josei7.com/
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