倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.73「もしもの時の話」
漫画家の倉田真由美さんは父親を亡くしたのが2023年のこと、そして翌年には夫の叶井俊太郎さんがすい臓がんにより旅立った。「もしも」のときを迎えたら――。帰郷した際、家族で話し合ってみたという。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
元気一杯の母
久しぶりの帰郷で再会した母は、元気いっぱいでした。誰かの世話をするのではなく自分の好きなように時間を使えるのは、母にとって初めてのことかもしれません。毎日のように川柳などの習い事や、近所の同世代の友だちと食事会やお喋りに興じているようでした。
もし父と母の順番が逆だったら、実家の事情はまったく違ったでしょう。
夕食後、母と、近所に住む妹と三人で父の話をしました。
父は2022年の初冬に心臓発作で倒れ、意識を失ったまま一度も目を覚ますことなく3週間後に病院で亡くなりました。父と母はお互いに「何かあっても延命措置はしない」と約束していたのに、母は医師に選択を迫られた際、父に人工呼吸器を装着することを承諾しています。
「もしそうなったら、どうして欲しい?」
私は母に聞きました。
「こういうことは、元気なうちに家族で決めておかないとね」
「私はいらんわ。おじいちゃんみたいになったら、人工呼吸器付けんでいい」
母は、少し考えて答えました。
「そうね。私もいらんかな」
私も、そして妹も同調して言いました。父のことがあるので、私たちは余計にそういう気持ちが強くなったような気がします。
「あんたたちはまだ若いんだから、付けなさいよ」
母は私と妹に言いましたが、結局「いざという時、私たち三人は延命措置をしない」ということで落ち着きました。
夫はがんだったから…
こうやって決めていても、現実ににそういう場面になった時に感情がどのように動くのかは分かりません。実際母は、父との約束を反故にしてしまったわけだし。
でも、意識がはっきりしているうちに考え、自分の思いを整理しておくことには大きな意味があります。そして家族にそれを伝えておくことも。
意志の判断材料がないと、咄嗟の時に「お任せします」と丸投げになってしまう可能性が高くなってしまいます。後で後悔しても、一旦始めたことは途中でなかなか止められません。
夫はがんだったから、どうするかを考える時間も私と話し合う時間もたくさんありました。概ね希望を叶えてこれたのは、私とずっと一緒にいて密にやり取りをしていたおかげです。
「何をして、何をしないか」
「すること」よりも「しないこと」を事前に考えておくことが大事だったな、と振り返って思います。