<海老名香葉子さん>どうして浮気癖のある夫と離婚しなかったのか?「初代林家三平の出世を見るのが生きがいだった」
厚生労働省の人口動態統計によると2021年の離婚数は18万4386組、うち20年以上同居期間がある夫婦の離婚が3万8968組だった。長年連れ添ったパートナーと関係がギクシャクし、別居したり離婚する熟年夫婦が増える中、けんかしても浮気でもめても、夫と生きることを選んだ人がいる。初代林家三平さんと18才で結婚し、林家一門を支えた海老名香葉子さんに夫婦生活を続ける秘訣を聞いた。
海老名香葉子さん(90才)プロフィール
夫は初代林家三平さん(享年54)。1952年に“昭和の爆笑王”として人気を博した初代林家三平さんと結婚。夫の死後は30人の弟子を抱え「おかみさん」として奮闘している。
私が心筋梗塞で倒れ、感じた夫の優しさ
夫の優しさをしみじみ感じたのは、私が心筋梗塞で倒れて入院した38才のとき。当時、一門の林家こん平真打お披露目披露宴の準備の支度に追われ続けていて、寝る時間もなく努めていましたので、体調が悪化して即入院。
あの頃、心筋梗塞は死の病といわれていたから、弟子たちはおいおいと泣くばかり。そんな状況で、夫はどれだけ忙しくても、地方にいても夜になるとお見舞いに来ました。夜中は病院に入れないはずなのに先生や守衛さんに話をつけて、4階の病室までコツコツと階段を上ってきて、部屋に入ると私の手を取り「大丈夫?頑張って」と声をかけるから、私は無言でうなずく。たったそれだけだったけれど、自分のことを大事に思ってくれているんだとわかってうれしかったですね。
だけどもちろん、いつもこうは行きません。結婚生活を振り返ると、うれしかったこともありましたし、楽しい時間もありましたが、思い出すと怒っている時間も多かったかな。
私たちが夫婦になったのは、私が東京大空襲で家族を失い戦争孤児となって、父の知人だった3代目三遊亭金馬さんに引き取られ、夫に引き合わせられたから。つまりお見合い結婚ということになります。
嫁入り先のいまの家で大勢の人の前でお見合いをし、初めてふたりで出かけた際、なんと夫は自分が卒業した中学に私を連れて行き、下駄箱を指さして、「これがぼくの下駄箱」と教えられたときは、変な人だなって思いましたね。そして、1つのカレーを一緒に食べ、フランス映画の『天井桟敷の人々』を一緒に見ましたが、私はあまりよくわかりませんでした。
帰り道の途中で、「あっ」とひと声上げたのが八百屋の前。夫は姑に何か買ってあげなさいと言われていたようで、「何かあげましょう」って言ってくれたんですが、八百屋の前でしょ。どうしようかと悩んだ末、近くにあった小さな化粧品店で100円のジュジュクリームを買ってくれました。それが結婚しましょうという証でしょうか。
浮気癖があっても夫が出世する姿を見ることが楽しかった
そんな夫ですが、誰に対しても優しくて親切だから結婚してもモテた。人が寄ってくる家ですから、私は働きずくめでしたが、本人は帰ってこないんです。ようやく帰って来たと思ったら、どこで脱いだのか、シャツやステテコが裏返しになっている。私が「あっ」と言ったら夫は「あっ、間違えた!」と慌てて、「香葉子、申し訳ない。悪かった」と謝るのですが、悔しいから、うーんと怒りました。
暴れないとやっていられず、お手玉、枕、座布団など家にあるあらゆるものを投げつけました。あるとき時計を投げたら壊れて修理代がかかったから、次から時計を投げるのはやめました(苦笑)。
本心ではないにせよ、脅すために「出ていきます」と言ったことも何度もあります。すると夫は両手をついて謝っていました。そんな日が続いて、ある日私が、「出ていく」と荷物をまとめようとしていたら、姑までも「私も一緒に出ていく」と言ってくれたとき、夫は驚いていましたが、私はとてもうれしかったです。
売れるまではお金もないから私が一生懸命内職し、質屋に入れたこともあります。当時18才だった私を質屋の親父さんが「若いおかみさん、頑張って」と励ましてくれました。生活苦のときに「酒を用意してくれ」と言われても出せるものがないから一升瓶に日本酒を半分入れて、あとは水で薄めて「いっぱいあるわよ」と振る舞ったこともありました。弟子が多いから洗濯物も多かったし、本当に大変でした。
だけど、嫌々一緒にいたというわけじゃありません。確かに苦労したし、怒ったり泣いたりしたこともありましたけど、前座でも笑いを取ってしまったり、新作落語を次々に披露して場を沸かせる才能を、本当にすごいと思っていた。金馬師匠は「三平はいつか大化けするよ」と言っていたけど、その言葉通り、数年のうちにどんどん化けてテレビやラジオも方々から声がかかるようになりました。
そりゃ浮気されるのは悔しいです。でも、噺家として夫が出世する姿を見ることが私の楽しみであり、生きがいでもありました。陰ながらに自分が支えているんだという誇りもあって、どこまで化けるのだろうと忙しい日々を乗り切っていたんです。
1980年の9月に夫が肝臓がんで亡くなってもう43年。今年も命日には一門が集まって夫をしのびながらおそばを食べました。泣いていたお弟子たちもいまでは笑顔でにぎやかな命日となりました。
あの頃とは時代が変わり、女性が男性と同等の教育を受けて社会で対等に働くようになった。離婚が増えるのももっともだし、嫌な者同士が一緒にいる必要はないでしょうから、本当に望むなら別れてしまえばいい。だけどやっぱり、いま振り返っても別れなくてよかった。私はいまでもそう思っています。
文/池田道大、土屋秀太郎 取材・文/戸田梨恵 取材/伏見友里、平田淳
※女性セブン2023年10月12・19日号
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