85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第19回 老いらくの恋】
1965年に発行されて以来時代をリードし続けた雑誌『話の特集』。その編集長を創刊から30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏だ。雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮する伝説の人物。
世に問題を提起する姿勢を常に持ち、今も執筆、講演など精力的に活動している。
現在、85才。自ら望み、家族と離れて一人で暮らすそのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただく。
今回のテーマは、「老いらくの恋」。悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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元気な老人は色欲が旺盛
えー、今回のお題は、「老いらくの恋」でございます。
昔、老人が愛されていた時代、流行語にもなった言葉です。今は、老人は増え過ぎたこともあって、ま、嫌われている。うっかりすると世間では邪魔者扱いであります。
人生僅か50年と言われた頃は、60過ぎると老人だった。それが現在では喜寿の77歳が相場だ。80、90は珍らしくない。つまり長寿が普通。惚けてなんかいられないのである。
歯(は)・眼(め)・摩羅(まら)という言葉をご存知か。
まず歯がボロボロになり、次に眼が次第に見えなくなる。そして、摩羅。くだけて言ってしまうと、ナニが立たなくなる。男性についての身体の衰えを表現したものだが、女性はどうなっているかは、寡聞(かぶん)にして知らない。
肉体は確実に老化するのだが、それに伴なわないのが欲望である。そのギャップが「老いらくの恋」を招くことになる。
年齢に比較して元気な老人は、たいてい色欲が旺盛である。これは自然の攝理(せつり)のようなもので、肉食を好み、異性を好む。なかなか枯れ木にはならない。
ところが、そこに問題が起きる。暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)は体調を損なう。腹八分目が大切なのだ。
「老いらくの恋」はどうか。セクハラ疑惑がつきまとう恐れがある。若い頃のように相思相愛とは、なかなかなりにくい。そこで、つい悪戯(いたずら)を試みることになる。
問題は拒否された場合である。あっさり引き下がれば済むとならない。後味が悪いだけならいざ知らず、セクハラに発展しかねない。
それなりの覚悟をしてではなく、軽い気持ちで行為に及んだ場合に、禍根を残すケースが少なくない。
さて、どうしたら良いものか。冗談では済まされない事態にだけはしたくないのは当然である。
簡単な答えは、執拗(しつこく)しないことだろう。あっさりあきらめる。奇妙な弁明をしない。つまり身を引くことが肝腎なのだ。
相手が好意を持っているのなら、問題はまず起きない。そうでない場合は、心から詫びるべきだろう。謙虚に詫びる。それでもセクハラにつながるようなら、二度と会ってはならない。反省かつ蟄居(ちっきょ)する。それしかない。