85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第19回 老いらくの恋】
「老いらくの恋」といえば、石川達三さんの小説『四十八歳の抵抗』を思い出す。48才(当時ははもう老人)の主人公が19才の女性に恋をする物語なのだが、今、読み返して見ると、いささか古臭く、かつ自分勝手な部分が目立つ。現代では通じないだろう。
むしろ、勉強するならば、谷崎潤一郎さんの『瘋癲(ふうてん)老人日記』を読むといい。自らの好色を持て余しつつ、恋に純粋に向き合う老人の生き様を克明に描いている。
老人というハンディキャップを自覚して、耐えに耐える。それによって、自分の欲望を遂げて行く。まさしく芸術作品の域に到達している。
私は自由恋愛の信奉者でもあるが、どんなケースにも類似点はあるにせよ、同じということはない。まさしく千差万別である。これこそが恋愛の真髄(しんずい)だと思っている。
大切なのは真剣かどうかであって、遊戯の範囲がどれくらい存在するかにある。もちろん快楽には限度があり、節度が要求される。それさえ弁(わきま)えていれば、まったく委縮することはない。おおいに楽しむ価値ありなのだ。
決して老醜は晒さない
あえて私は、「老いらくの恋」を奨励したい。立場とか境遇とか、年齢差などの壁があるにせよ、勇気を持って、自らの思いを遂げることこそが生甲斐であると言いたい。
そうは言っても、本来の実力は衰えている。老いたる者は美しく生きることを心がけるべきだと思っている。決して醜い老人、つまり「老醜」だけは晒してはならない。その覚悟を持つためには、日々の誡めが貴重だろう。
老人は何時、いかなる所で果てるかわからない。どちらかと言うと、勝手気儘に私は生きてきたが、身嗜(みだしな)みには必要以上に気を配っている。
何より転ばないよう用心して毎日を送っているが、女色に溺れることも諫(いさ)めるている。
それだからと言って、ビクビクしていたのでは面白くもおかしくもない。ノビノビ生きてこその人生だと肝に銘じてもいる。
「遊びをせむとや生れけむ」という梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の言葉を座右の銘にしている由故でもあります。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。