小説で復活が話題『古畑任三郎』は田村正和と日曜劇場にも意外な影響!?【水曜だけど日曜劇場研究】
TBS「日曜劇場」の歴史をさかのぼって紐解くシリーズ第9回は、ちょっと横にそれる。田村正和を語る上で欠かせない作品『古畑任三郎』シリーズ。製作局も違うフジテレビの作品だが、のちに日曜劇場の田村主演作品にも大きな影響を与えていることがわかった。ドラマを深く考察するライター・近藤正高氏も初めて気づいたという衝撃の事実。
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シリーズ物の効能
ある雑誌の最新号を読んでいたら、小説家の多和田葉子がシリーズ小説の新作(『地球にちりばめられて』という作品に続く2作目『星に仄めかされて』)を上梓したのに合わせて、本やテレビのシリーズ物にまつわるエッセイを寄せていた。
それによると、多和田の住むドイツでは、テレビドラマでも長く続いているシリーズが多いという。たとえば、『現場』というドラマは1970年に始まり、現在も毎週日曜の夜に放送されているとか。ちょっと調べてみると、『現場』は原題を『Tatort』という刑事ドラマで、ドイツだけでなくオーストリア、スイスの各地方の公共放送局が制作しており、劇中には各制作局の地域の捜査班が交代で登場し、事件を解決するという内容らしい。そのテーマも、政治や社会問題を積極的にとりあげるというなかなか硬派なドラマのようだ。
それはともかく、くだんのエッセイでは、シリーズ物にはこんな効能があるとも書かれていた。
《ある心理学者によると、シリーズ物は「家族」の代償の役割を果たすそうだ。持続する長い物語に定期的に浸ることで生活のリズムが整い、登場人物が家族のように感じられ、彼らと過ごす時間は神経が休まり、(嘘か本当か)血圧も下がる。だから本でもテレビドラマでも、好きなシリーズを持つことは健康にいいそうだ》(『本』2020年6月号)
日本のテレビではかつて、連続ドラマ枠だけでなく、単発ドラマの枠も少なくなかった。1956年に始まったTBS系の「日曜劇場」はその代表格であったが、当連載でこれまで繰り返し書いてきたように1993年4月をもって現行の連続ドラマ枠へと移行する。他局でも「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ系)が2005年に終了するなど、この10年あまりで毎週定時に始まる単発ドラマ枠はほぼ消えてしまった。その原因にはまず、経済的な事情から週替わりで新作をつくるのが難しくなってきたというのがあるのだろう。他方で、視聴者側の変化もあるのではないか。引用した多和田の文章から察するに、観ている側としては、3か月なら3か月、毎週いつもの登場人物と過ごすほうが生活リズムが整うという人がいまは多いのかもしれない。また、現実において家族の存在が薄れがちな時代にあって、単発ドラマより連続ドラマが好まれるのは自然な流れだろう。
ドラマのシリーズ物の役割は、このコロナ禍にあって再確認されたといえる。テレビ各局は、新作が制作できないので、代わりに過去の人気ドラマの総集編や再放送でしのいでいるが、外出自粛を余儀される中、それらを見ながら心の安定を保っていたという人は思いのほか多いはずだ。
『古畑任三郎』と田村正和の出会い
脚本家の三谷幸喜も、自作の人気ドラマの主人公・古畑任三郎を、テレビではなく新聞の連載エッセイの特別編という形式で発表した新作小説「一瞬の過ち」の中で復活させた(『朝日新聞』4月23日~)。まさかこういう形で古畑と再会するとはファンも思いもしなかっただろう。三谷もおそらく、こういう不安な時期こそ、昔馴染みのキャラクターを登場させれば人々もいっときながら落ち着けるのではないかと、本能的に察知したのではないか。
ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ系)が田村正和の主演によりスタートしたのは1994年。同じく田村主演で、本連載で前回までとりあげた『カミさんの悪口』が「日曜劇場」で放送された翌年のことだ。よく知られるように本作は、毎回豪華ゲスト扮する犯人が事件を起こし、その動機やトリックを警部補の古畑任三郎があばいてみせるという1話完結型の連続ドラマであった。これが好評を博し、1996年と1999年に再び連続ドラマとして放送されたほか、その間にスペシャル版も何作かつくられ、2006年に3夜にわたって放送された『古畑任三郎FINAL』をもって一応の完結を見た。
田村は、黒ずくめの衣装に現場へは自転車に乗って現れるという風変わりな刑事を好演してみせ、古畑任三郎は彼の代名詞のひとつとなった。以前書いたように、田村はドラマでプレイボーイを演じることが多かった。そんな彼を、独身で女っ気もほぼ皆無の古畑役に起用するというのは、まさにコロンブスの卵的な発想の転換であったといえる。ふたを開けてみれば、どこか世間離れした古畑のキャラクターはむしろ田村に適役であった。
ついでにいえば、『古畑任三郎』というタイトルもかなり思い切ったものだった気がする。おそらく時代劇や大河ドラマ以外で、登場人物のフルネームのみのタイトルはほとんどなかったのではないか。たしかに過去にも『寺内貫太郎一家』のような例はあるにはあるが、それにしたって「一家」とつけてホームドラマとわかるようになっていた。『古畑任三郎』も刑事物と認知される以前、新聞の番組表などでは時代劇と間違われないよう『警部補・古畑任三郎』と表記されていたという。
もっとも、『古畑』のヒット後もこの形のタイトルは存外少ない。映画では高良健吾主演で『横道世之介』(2013年)というのがあったが、ドラマでは新シリーズの放送が待たれる「日曜劇場」の『半沢直樹』ぐらいだろう。思うに、この手のタイトルをつけるのは、つくり手によっぽどこの登場人物は絶対視聴者に受け入れられるという自信がないかぎり躊躇してしまうのではないか。
話が横道にそれたが、再び本題に戻ると、田村は『古畑任三郎』と並行して、「日曜劇場」でも『カミさんの悪口2』(1995年)、『カミさんなんかこわくない』(1998年)、『オヤジぃ。』(2000年)、『おとうさん』(2002年)、『夫婦。』(2004年)、『誰よりもママを愛す』(2006年)とほぼ2年おきに出演してきた。いずれも八木康夫がプロデューサーを務めたホームドラマだが、『オヤジぃ。』以降は脚本に遊川和彦、妻役に黒木瞳を迎え、作品ごとに人物設定や世界観こそ違うもののシリーズ物的な雰囲気を漂わせていた。
なお、遊川和彦の脚本家としてのデビュー作は、同じく田村主演、八木プロデューサーによる『うちの子にかぎって…スペシャルII』(1987年)であった。以後彼は、TBSでは『オヨビでない奴!』(1987年)、『ママハハ・ブギ』(1989年)、『予備校ブギ』(1990年)、『ADブギ』(1991年)、『人生は上々だ』(1995年)など八木プロデューサーのもとで頭角を現していく。『オヤジぃ。』の前年、1999年には、松嶋菜々子演じる高校教師が、滝沢秀明演じる生徒と禁断の恋に落ちる『魔女の条件』で大ヒットを飛ばした。
『夫婦。』に『古畑任三郎』のパロディが?
当連載では便宜的に『カミさんなんかこわくない』までの3作を「日曜劇場」における田村主演作の前期、『オヤジぃ。』以降の4作をその後期と分けて呼ぶことにしたい。そして後期の作品のうち、とくに『夫婦。』をとりあげる。理由は単純に、いま配信で見られるのが後期では同作だけということもあるが、先にとりあげた『カミさんの悪口』の放送が1993年で、『夫婦。』はそれから約10年後の作品ということで、この間の時代の変化みたいなものが見えてくるようにも思うからだ。
筆者は今回初めて本作を視聴したのだが、『古畑任三郎』のパロディともとれるような場面もあって驚いた。それは、毎回ラストで、田村演じる通販会社社長の山口太一がひとりで語る場面が用意されていたことだ。暗闇をバックにしてのモノローグは、どうしたって『古畑任三郎』で古畑が毎回、オープニングと終盤に入る前に視聴者に語りかける場面を思い出さずにはいられない。ただ、『古畑』では犯人を追及する立場であった田村が、『夫婦。』では浮気の“犯人”として釈明をする立場へと逆転しているのがミソである。しかも、第1回のラストではいきなり離婚が予告され、それからというものドラマでは太一が黒木演じる妻の華と別れるにいたるまでの経緯が、彼の釈明を交えて描かれる。この点も、『古畑』がまず犯行シーンから始まり、その後、古畑の追及によってその動機やトリックが明かされるという構成と重なる。このほか、『夫婦。』の具体的なストーリーについては次回見ていくことにしたい。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。
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