考察『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』7話|「3度も親の生死を分ける手術に娘を立ち会わせるなんて」
昨年、ギャラクシー賞月間賞受賞など高い評価を受けた『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の地上波再放送が話題です(NHK 火曜よる10時〜)。「令和の新しいホームドラマ」の呼び声も高い本作、ドラマに詳しいライター・近藤正高さんが7話を振り返ります。
七実には自分の足元が見えていない?
主人公の岸本七実(河合優実)は前回、弟の草太(吉田葵)のことをつづった文章を「ALL WRITE」というウェブサイトに投稿したところ、たちまち大勢の読者がつき、運営会社の小野寺(林遣都)から「作家になりましょう」とスカウトされる。それを機に勤めていた会社を辞め、執筆に専念することになった。続く第7話ではそこから一気に3年飛び、2022年に移る。このとき彼女はすでに実家のある神戸を離れ、単身で東京に住んでいた。それでも母親のひとみ(坂井真紀)は仕事をいまもバリバリこなしており、草太もレストランで働き始め、まずは安泰のようである。
とはいえ、筆者はこれまで七実のことをずっと応援してきたのに、今回は正直なところ、あまりそういう気になれなかった。その理由は、あっという間に売れっ子作家になった彼女に同じ物書きとして嫉妬しているというのがたぶん8割、いや9割近くを占めるのだが、そればかりではない。どうも、今回の七実には自分の足元が見えていないように感じられてならなかったのだ。
いや、もちろん、読者との交流のため月に一度、クラブで「一日ママ」をするのも結構だし、一日一回は必ず「ALL WRITE」に文章をあげるというノルマを自主的に課しているのにも頭が下がった。「誰かに褒められたい」という思いがいささか先走りすぎているきらいもあるが、承認欲求は誰にもあるものだし、七実の場合、いい具合にモチベーションになっているのだろう。
しかし、これが本当に七実のなりたかった自分なのだろうか。前回、会社を辞めるにあたって、今後の肩書をどうするかと訊かれ、彼女は中学時代に父・耕助(錦戸亮)から「まだ誰もしたことがない仕事せえ」と言われたのを思い出し、「家族を自慢する仕事、かな」と答えていたが、果たしてその志は、実家を離れて3年が経ったいまも持続できているのか? 筆者にはどうも、周りからちやほやされる七実が、普通の作家先生になってしまったようにしか見えないのだが……。おそらく劇中の人物のなかで、筆者と近いことを感じているのは、七実の高校時代の友人の“マルチ”こと環(福地桃子)ぐらいではないか。
環から言われた言葉を思い出してほしい
七実は今回、母親のひとみが体調を崩したというので急遽神戸に帰った。病院へひとみを連れていき診てもらうと、検査入院することになる。実家には祖母の芳子(美保純)が同居していたものの、ひとみが寝込んでいるのにも気づかず、どうも要領をえない。そんな祖母に、七実は母を心配するあまりつい当たってしまう。
環とはそんなとき、彼女の勤める熱帯魚店(七実は「金魚屋」と呼んでいたが)で久々に会った。そこでお互いの家族の話になる。七実は、ひとみが入院して岸本家はママを中心に回っていたと改めて思うとして、「私なんかおらんくてもええねん」とぼやいたかと思えば、さらに「孫の健康を害するような茶色い飯しか作れん、掃除もせえへんババアなんかもっと要らんの」と、食事の味が以前にも増して濃くなったり、家が散らかったままほったらかしにしている芳子についてここぞとばかり愚痴った(おそらくそれらは次なる危機の予兆のはずなのだが、七実はまだ気づいていない)。その上で「とにかくママ! ママがおらんと回らん」とわめく七実に、環は「岸本さんはファザコンなんだと思ってましたが、マザコンでもあるんですね。最悪」と言い放ち、「ご家族が病気のかわいそうな岸本さんに思うように優しくして差し上げられなくてすいません」と冷たくあしらう。
環はおそらく、3年前に七実が仕事での失敗から家に引きこもっていたとき、励まそうと思って家を訪ねたにもかかわらず、逆に傷つけられたことを根に持っていたのだろう。まあ、たしかに環も一言多いところがあるが、彼女の好意を無下にしたのも忘れて甘えようとした七実の態度はどうだろうか。あげく、売り言葉に買い言葉で「うちは色々あるものの、マルチんところと違って全員めっぽう仲ええのは救いや」と環に言ってしまったのはまずかった。
そもそも環が七実を慕うようになったのは、高校時代、環の母親がマルチ商法にハマっていたことからいずれ彼女もそうなるのでは……とクラスメイトたちが言っていたのに対し、七実が毅然と反論したことがきっかけである。それだけに、いまになって当の七実からああ言われては、環としては裏切られた思いだろう。七実には、前回、環から言われた「傷ついているからといって、人の思いを踏みにじったり、何を言ってもいいなんていう免罪符はないと思います」という言葉をいま一度思い出してほしいところだが……。
さて、ひとみは検査の結果、8年前に大動脈乖離で手術したところが炎症を起こしているとわかり、すぐにでも手術しなければならなくなった。担当医によれば、今回の手術も以前と同じく、しなければ確実に死ぬし、した場合も死亡リスクはあり、しかも成功しても後遺症が残る可能性があるという。
突然の宣告に、ひとみと七実はまたしても絶望の淵に突き落とされる。ひとみは、父のときと合わせて「3度も親の生死を分ける手術に娘を立ち会わせるなんて」と七実に謝り、自分のふがいなさを嘆く。それでも前とは違い、彼女が「家族残して死にたない」と、生きることに執着を示したことが救いであった。
こうして翌日、手術が行われた。今回の手術も以前と同様、長時間におよび、七実はそのあいだ病院のロビーでたった一人待ち続けることになる。そこへ現れたのが、小野寺と、七実とは最近再び仕事をする機会があった在京テレビ局のプロデューサーの二階堂(古舘寛治)、それにやはり最近再会した編集者の末永(山田真歩)だった。思いがけない人たちがわざわざ東京から来て(末永はもともと関西在勤だったが、本社への異動により七実と同じく上京していた)一緒に付き合ってくれたおかげで、七実は何とか病院でやりすごすことができた。幸い、ひとみの手術も成功したと医師から伝えられる。
この場面だけ切り取れば、たしかにいい話ではある。けれども筆者にはどこかモヤモヤするところがあった。何かといえば、手術中、なぜ七実と一緒に芳子や草太がいなかったのか? ということに尽きる。たしかに草太は働き始め、芳子も年を取ったことなど色々と事情はあるとはいえ、連れてこようと思えばできたはずである。
そういえば、今回は、あの幻影の父・耕助も一度も出てこなかった。いまの七実なら父を招喚しようと思えばできただろうし、いままでならこういうときこそ耕助は彼女やひとみを見守ってくれたはずなのに、なぜ現れなかったのか。これこそ、いまの七実が自分の足元が見えていない、あるいは家族から心がちょっと離れてしまっているという何よりの証しだと思うのだが、どうだろう?
コロナ禍はどう影響している?
ついでにもう一つ、先述したように今回、劇中の年代が2019年から2022年へと一気に飛んだが、その間、このドラマの世界でもコロナ禍はあったのだろうか? たしかに七実が帰宅するたび念入りにうがいをしているところなどは、コロナ禍があったことをほのめかしているようでもあったが、他方で病院では医師をはじめ誰もマスクをしていなくて違和感があった。
それでも、もしドラマのなかでもコロナ禍があったとして、そのあいだ不要不急の外出の自粛も呼びかけられたなかで、七実は神戸にいる家族とどう接していたのだろうか。筆者が想像するに、おそらく直接会うことがなかなか叶わず、それが結果的に、彼女が家族のことを見ているようで肝心なことを見逃すことにつながってしまったのではないか……という気がしてならない。
現に七実は、祖母の芳子があきらかに認知症の兆候(というかもう発症している?)を見せているのにまだ気づいていない。ひとみも手術を無事に終えたとはいえ、ベッドの上で何やら不安そうな表情を浮かべていた。それにもかかわらず、一段落ついて七実はまた東京に戻ってしまった。果たしてそれでよかったのだろうか。
……と、今回はどうも最後まですっきりしないことだらけで、七実の変化ばかり強調してしまった。だが、おそらく彼女の核となる部分までは変わっていないはずだ。そう、環が店で飼っている「岸本さんと似ています」と言っていた魚のように、作家となり浮かれてぐるぐるしていた七実も、きっとまたジ~ッとなって自分や家族を見つめ直すのではないか。加えて芳子との関係も、耕助のときのようにあとから悔やんだりしないよう、早めの修復を祈りたい。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。
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