倉田真由美さん「夏旅で訪れた石垣島のパン屋さん」「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.87
漫画家の倉田真由美さんは、夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)と毎年夏には家族旅行をしていたという。夫を失ってから2度目の夏、かつて家族で訪れた、沖縄・石垣島で愛されていたパン屋さんに想いを馳せ――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
夫と訪れた石垣島のパン屋さん
3年前の今頃、夫と石垣島旅行をしたので石垣島のことを改めていろいろ調べていたら、夫が好きだったパン屋さんが今年6月に閉店していたことを知りました。
「トミーのぱん」という地元でも有名な老舗で、車でないと行けない少し辺鄙な場所にあったにも関わらず、観光客にも人気だったパン屋さん。パン作りは店主の旦那さま、店頭に立つのはパン好きの奥様というご夫婦で経営されていました。
一つ一つがとても大きいのに値段は高くなく、素朴ながらとても美味しいパンでした。夫と結婚してから石垣島へは何度か行きましたが、そのたびに車を駆って細い砂利道を下り、ここのパンを買い求めていました。
閉店の理由は、店主ご夫婦の高齢化に伴う体力的な限界と、原材料費の高騰だそうです。閉店を惜しむ声はネット上にも溢れていて、人気の高さが偲ばれました。私も、常連といえるほど通ったわけではないけれど、とても寂しい気持ちになりました。
行く時は、必ず夫が一緒だったお店。
夫が大好きだったお店。
そういうお店には、特別な愛着があります。
思い出の店がなくなって…
昨年は、夫と度々通った近所のとんかつ屋さんが閉店してしまいました。夫のすい臓がんが発覚した後も二人で行って、夫はしっかりキャベツとお味噌汁をお代わりもして完食したのを覚えています。
思い出のお店がなくなるのは、どうしようもないことだけど、切ないものがあります。
「トミーのぱん」、3年前に石垣島に行った時には何故か行かなかったんですよね。週に3、4日ほどしか営業していないパン屋さんだったから、タイミングが合わなかったのかなあ。理由は思い出せませんが、行っておけばよかったと今頃になって悔やんでいます。
もし今夫がいたら、「あのパン屋閉店しちゃったって。前回行っておけばよかったね」と言い、夫は「ああ!なんで行かなかったんだろ。うまかったよな」と答えたと思います。
本当に何気ない会話、何気ないやりとり。でも「暮らし」って、こういう些細な言葉の交換にこそ豊かさが宿ります。
「もう二度と行けないお店」というのは、「もう二度と会えない人」とは勿論違うけれど、似たところもあります。
思い出の中にしかない風景、味わえない味。海辺で茶色い紙袋からずっしり重くて大きなあんぱんを取り出し、頬張っていた夫の姿は、写真にも動画にも撮っていないので私の記憶にしかありません。
夫との思い出のお店、他にもいくつかあるのでいつか再訪したいと思っています。
でも実は、夫がいた風景を上書きするのは、ちょっと怖い気がするんですよね。でもでも、もう一度見たい。こんな狭間で、揺れています。