【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第46回 夏の施設滞在」
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。父亡き後認知症を発症した母と暮らすために、千葉県勝浦市に住まいを移した飯田さん。母娘の2人暮らしに、新たな家族、犬のハルを迎えたこともあり、母は介護施設へショートステイする機会も増えてきた。
エアコンが苦手な母
この夏も暑さで毎日エアコンなしではいられない。
母は以前からエアコンを目の敵にする節がある。これは、これまで彼女が生きてきた時代の夏といえば蚊取り線香に団扇、行水といった情緒あるものだったのだから致し方ない。高度成長期にようやくエアコンが普及したものの、当時を思い出しても、「クーラー」と呼ばれただけあって冷え冷えになりすぎたり、モーターの唸り音がやたらと大きかったりといったイメージで快適ではなかった。まだまだ扇風機の利用が夏の家庭では主流だった。
母は、その頃の記憶が強く残っているので、最近の気温の高さはそっちのけで以前のイメージのままの夏を過ごそうとする。
私は母の部屋のエアコンのスイッチを入れ、母がエアコンをオフにしてしまうのを阻止するためリモートコントローラを隠した。
しかし、ふと母の部屋を覗くと、棒を手にエアコンを叩いているではないか!
「どうやって消したらいいの?」と躍起になっている母。
私は頭の中がクラクラしてきた。だからといって怒るわけにもいかない。怒っても1分後には忘れてしまうのだから…。
このようなやり取りが続いたため、ケアマネさんと相談をして、夏の酷暑が続く間は老健施設で過ごしてもらうように手配をお願いした。
しかし、あと数日で入所という時に施設でコロナが発生した。「他の入所者に感染している可能性もあるので、今度ご案内できる日はまだ具体的に提示できない」ということだった。
仕事の予定などが頭の中で錯綜し真っ白になる。さあ、どうするか。ケアマネさんと相談しグループホームにも当たってみたがどこもすでに定員に空きは無かった。
数日後、幸運なことに「コロナ発生とは別の階で1人空きが出ましたのでご案内できます!」と連絡がきた。相談員の方が親身になってくれたおかげで入所が決まり胸を撫で下ろしたのだった。
母と茅の輪くぐり
少し前に話になるが、6月の末の事だ。夏越大祓の茅の輪くぐりに母と連れ立ち天津神明宮へ行った。それが功を奏したのか、それ以来、母の健康状態はすこぶる良く感謝しかない。
天津神明宮は、私たちが暮らす勝浦のお隣の鴨川市で房総のお伊勢さんと呼ばれており、母を時々連れて行く。
「あら、ここは来た事あるんだろうねえ、わからないなあ~。へへへ」
最近の母は誤魔化し笑い、もしくはいたずらっ子が笑うような仕草を見せる。
「はい、お手水してね」と私は花手水に母を誘う。
茅の輪を先にくぐっている若い夫婦が左へ右へと八の字を書いて輪をくぐっている。母は「右周りして左回りして…。ああ〜覚えられない」というので、私が母の手を取って2人して輪をくぐることにした。
「目がまわる〜」と足元をふらつかせながら無事にくぐり、神前に御礼をし、お札をもらった。人形で母と私の体をなぞり、無病息災を祈念した。
悪しきモノ、穢れを紙に写してさよならする儀式とはよく考えられたものだ。その意識だけで心が軽くなるから不思議。
その帰路、小ぶりな鯛が売られていたので購入し、庭のハーブを抱かせてオーブンに入れた。母の一家は海なし県の滋賀県から東京に移ってきたので、母は、以前は魚をあまり食べない人だったが勝浦に暮らすようになり刺身や魚が大好物になった。
最近、車に母を乗せてドライブしていると、母の好奇心は衰えるどころかまだまだ盛んだ。
「あら、あの花は変わってるねえ」「あのお爺さん、ああ、危ないよ!」「へえ、こんな看板おもしろいねえ」
94歳の瞳はキョロキョロと忙しき、その動体視力の良さや感動の振れ幅の大きさにはいつも驚かされる。
共倒れしないためにも…
しかし、そうは言ってもこのところの母は認知症街道まっしぐらである。そして私もそれに比例して心身疲労街道まっしぐら。「共倒れ」という文字が頭の中に時折よぎる。
つい先日まで「余裕の裕子」と自負していたのがこのざまだから、介護疲労はあなどれない。口腔内に帯状疱疹のようなものができたり、肩こり腰痛は日々の友。愛犬のハルも成犬になりつつあるがまだ子供だから手がかかり、ダブルで疲労が嵩む。
そういったこともあり、私にとっても夏の間に介護夏休みとして母には空調が整った施設にいてもらい、心配ない日常を取り戻すことは必須なのだ。
折しも、同世代の友人知人も親御さんを介護施設に入所させているタイミングと聞く。それぞれに合った施設を見つけているのだろう。
思い起こすと、母はもう5か所の施設にお世話になってきた。転々とせざるを得ない理由がこちら側にもあり、また施設側にもあり、結果こうなったのだが、母がこれまで、あまり混乱せずにいてくれることはありがたい。
母としてはやはり家にいるのが一番快適なのだろうから、施設の利用は今のところできるだけ短期入所を前提としている。
この夏の間は、3か月入所の予定だ。その前には医師の診断書が必要なので久しぶりに血液やレントゲンや心電図などの検査をした。かかりつけのクリニックに行くと「病気なんてないのになんで病院に来てるの?」を繰り返す母。
確かにその通りだった。検査の結果は全てクリアの平均値で、指摘があったのは、便秘症だけだった。
顔馴染みの医師に「何?お腹張ってるの?」と聴診器を当てられ「はい!」と素直な顔で答えている母はまるで童のよう。
「足腰も丈夫でいいですね!」との先生の言葉に私もホッとした。
いざ入所する日になった。施設に到着すると、母は「ここに何日いるの?どこでも私は大丈夫だけど」と言いながらも、私が帰る時にはやや涙声になったりした。
この頃、自分の誕生日に感じること。
64年前に母の懐に抱かれていた私が、今母のケアをしている。私をこの世に誕生させ、最初に無条件に愛してくれたであろう人が母だ。今、私は母を無条件で愛することができているだろうか?きっと色々なエゴが邪魔をしている。自分も笑顔でいたいし、母にも無理をしてほしくない。お互いの快適さがほどほどな介護のスタンスでいること、それが大事だと日々痛感している。
母の施設に面会へ
入所してしばらくして、面会に行った。今は施設のフロアでの面会が可能になっている。
そのフロアには50名はいるようだったが、ほとんどの方は車椅子で各テーブルに4名ずつ腰掛けている。
お喋りで盛り上がるわけでもなく、静かに座る老人たちの姿がそこにはあった。その中で母は、腰も曲がらず、杖もつかず、見かけだけは随分若く見えた。
「毎日どう?」と聞くと「う〜ん、何もする事なくてただ座ってるだけ。私1人で勝浦の家に住めないかな、って考えてるの。犬でも飼ってね」と母。
全館空調で食事の心配もしなくていい施設にいると自力でなんでもできる気がしてしまうのだろうか。
「外はね、すごい暑さなのよ〜。ここにいるとわからないよね」と私。「そうなの?」とケロッとした顔をする母。
「暑い間はここにいてね。私も仕事がたくさんあるから家にいられないの」と内心「ごめんね」の私。
15分のタイマーがやがて鳴って面会は終了した。「帰りたいんだろうな、きっと」その想いが胸に燻ったまま施設を後にした。
ケアマネさんは「施設で必要なもので編み物が役立つことがあり飯田さん(母)にお願いして、今どこまでできそうかを試してみているところなんですよ」との話だった。施設側も母への対応をそれなりに工夫してくださってありがたい。
母は帰り際に少し涙声になっていたが、今頃は、わたしが来たことも忘れているだろう。そんな事にも、最初は戸惑い悲しい気持ちになったものだが、今では、そういう事実を普通に受け入れている自分がいる。
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。 (公社)日本写真家協会会員1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は千葉県勝浦市で母と犬との暮らし。仕事で国内外を旅し雑誌メディアに掲載。好きなフィールドは南太平洋。最近の趣味はガーデン作り。また、世田谷区と長く友好関係を持つ群馬県川場村の撮影も長く続けている。写真展に「海からの便りII」Nikon The garelly、など多数。
写真集に「海からの便りII」「長崎の教会」『Bula Fiji」など。
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