最近のコメント一覧
最近投稿された読者の皆様からのコメントをご紹介!たくさんのコメント、お待ちしています。
-
MQF9
2019-04-05
「安全第一主義の真逆」など行ってはいけません。 常食を提供する施設もあるが、それなりの覚悟とリスク管理下でやるべきであり、リスクを無視してはならない。 岐阜県高山市のソレイユのように、粗暴な職員を雇ったり、併設の医師が誤嚥や窒息を見抜けず、救急搬送までしてしまって、不利用者さんが不審死として家族も望まぬ司法解剖になるなんてことにならぬよう、石橋を叩いて渡るべき。
-
貴方こそ馬鹿
2019-04-04
マスメディアの掲載写真の全てが本人の同意を得てから掲載されるのであれば、訴訟沙汰はありません。 弁護士も受託する事件が減りますね。
-
馬鹿ばっかり
2019-04-04
ものを知らない方が多いですが、写真は必ず本人の同意を得て掲載されます。 事後承諾のかたちになりますが、どんなスキャンダル写真も同様です。
-
おった
2019-04-03
孤独は旦那が居ても感じるもの。所詮他人だから。独りで生きていても覚悟ができていれば孤独とは違うものだと思う。
-
イチロウ
2019-04-02
永遠の美女ね~。 私の場合には、もうお・ん・なには、一切興味がありません。 もうこりごり、なのです。 世の女性には悪いのですが、おとことおんなには、越えられない障壁があり、障壁を越えるのは、子供をつくるときのみですから、すでに、子供が中年にもなっている者としては、お・ん・なには縁切りなのです。 しかしながら、終生に縁が切れないものがあります。 私の場合には、それは、猫、です。 この体重が数キロの小動物が人に与えるものは、恐ろしい程であり、人間を変える力を持っています。 映画「ボブという名の猫」は、実話ですが、こうした実話が数えきれない程に存在するのです。 私の「ボブ」は、「とら」という名の猫でした。可愛いのは、当然ですが、加えて賢くて、強い猫でした。 初代の我が家の飼い猫ですが、その後に我が家に迎えた猫の全ては「とら」には、あらゆる面で叶いませんでした。 亡くなった時には、これで生涯にわたって別れの悲しみが続くのか、と覚悟をしました。 既に分かれて三年ですが、悲しみは、消えることがありません。 猫の「とら」はそれ程の存在だったのです。
-
ぴんふちゃん
2019-04-01
月に2-3回、雀荘で60-80代の人達で、6時間位、楽しんでます。ゲーム代も1時間、一人150円で、安く遊んでいます。楽しいですよ。
-
SingleAgedBoy
2019-04-01
私の母も87歳で要介護2、大腸癌手術後に回腸ストーマとなり、脱水症状や腎臓病の予防に常に注意が必要な体になったが、加えて癌の再発や認知症(MCI)悪化、転倒事故、サルコペニアを防ぐためにも、一段と細かな生活介助などが必要になった。 母は以前は要支援1の認定でデイサービスに通っていたが、手術後は脱水症状により入退院を繰り返し、その後に病院関連の老人保健施設に入所した。 手術後に推奨される抗癌剤投与を母の場合は断っており、残っている大腸との吻合手術の可否の判断が保留されているので、本来は手術した拠点病院の外科医による経過観察が必要な状態だ。しかし、病院で受診する=医療保険を使うためには老健から退所する必要があり、そうなると手続きなどが面倒なので、入所して3ヵ月たった今も造影CT検査などが先送りされている。 介護職員に加えて常勤の医師や看護師もいる老健だが、介護保険制度の枠内で出来ることはかなり限られる様子だ。手術後に急性腎障害で入院していた母への採血による腎機能検査は、入所した月に一度あったが、その時点でクレアチニン値が少し悪かったらしいのに、以後は検査が行われていない。体重・血圧も一度計っただけらしい。不安なので私が定期的に計っているが、毎日300kalほどの間食で栄養補給しているのに、最近になって体重が不自然に減ってきたので心配している。 母はこまめな水分補給とパウチ(水様便)の排出が必要だが、本人がそれを時々忘れるので、他人が数時間おきにチェックしないといけない。しかし今の施設では、個人のケアプランにそった職員による目配りが十分ではないのが現状だ。 母が入所した際に、理学療法士による短期集中リハビリも頼んだのだが、ほぼ自主的には運動しない母の場合は、週あたり2時間弱の訓練だけでは現状の体力を維持するのが精一杯だったようだ。体脂肪率は短期的に少し下がったものの、カートを押して歩く際の不安定性などには改善が見られなかった。 老健は在宅で生活が出来るように機能回復訓練や介護などを行う施設であるはずだが、母がいる施設では、日中に寝かせきり・座らせきりの放任時間が長く、認知症の悪化やサルコペニアを予防するための取り組みが希薄であると感じた。入所者の生活機能の回復を実現するためには、最新の知見を取り入れたケアプランの作成や、職員の熟練度と賃金の向上が不可欠だろうと思う。 地域によって濃淡はあるだろうが、要介護3以上の人が対象となる特養はどこも満員状態で入所待機者が多く、そのため、老健に一年以上も入ったまま特養の空きを待っている利用者が少なくないらしい。在宅復帰が困難な人たちまで老健で長期間介護する必要が生じると、職員の労力が重症者のために多く消費され、リハビリを充実させるという老健の本来の機能は、効果的には実現されなくなるだろう。 厚生労働省の「介護サービス情報公表システム」では施設の入所待機者数も記載されているが、それは数ヵ月前のデータであることが普通だ。利用者としては少なくとも月に一回はデータを更新してもらいたいが、役所の指導力が弱い上に、事業者間で競争原理が働いていないから古い情報が公表されるのかもしれない。
-
貧ちゃん
2019-03-29
私の父も昨年認知症発覚後3年目の夏から徘徊が酷くなりました。 冬場は寒いので徘徊はしませんでしたが先日急に「俺はここに居て良いのか?」と言いました。 そしてその辺りから「もう少しで俺は死ぬんだ」と言うようになりました。 そして父がデイサービスに行っているうちに買い物に行こうと家族で出掛けたのですが思いの他時間が掛かり父のデイサービスからの帰宅時間に40分程遅れてしまいました。 まさかこの時には父が自宅に居ないとは思っても居ませんでした。 玄関の鍵が閉まっていない事に「おやっ?」とは思いましたが夕飯を父の部屋に急いで支度して持って行った時には既に徘徊に出て行った後でした。 玄関には父の靴は無く家族で急いで探しましたが日が落ちるのが早く焦るばかり。 警察にもお願いし警察犬も来ましたが手掛かりは見つからず夜中は吹雪になりました。 一晩不安な夜を過ごし、朝また父を探しに出てお昼になった頃に警察から父を発見した連絡が入りました。 無事生存で発見されましたが低体温症で今も入院しています。 この記事を読んで父は大きな不安を抱えて寂しかったんだろうな、と今更ながら気がつきました。 親子だから認知症だから色々今まであったけどなんでもっと寄り添ってあげられなかったのかと今強く思います。 昨年秋に父の大好きな釣りに行った事、紅葉を見に行った事、もっと元気なうちにもっと沢山行っておけば良かったと思います。 今回の徘徊で父はもう自宅に戻る事は無いと思います。 一緒に居られた間にもっと沢山の思い出を作っておけば良かったと今は後悔の日々です。
-
イチロウ
2019-03-26
物忘れの反対に、数十年前の出来事等を克明に思い出すのが苦痛になることもあるのでしょうか。 それと言いますのも、今まさに、私が悩んでいるのがそれなのです。 昭和三十年代に亡父母と訪れた街々や商店街での出来事と買物の様子とその折の会話の一々が鮮明に思い出されるのですが、余りにも克明に鮮明に思い出されるので気味が悪いのです。 グーグルのアース等で今の街々や商店街、それに訪れた観光地等の現在の様子は見られるのですが、数十年前の様子は、なかなか確認のしようがありません。 その一例は、亡父と言った釣り堀です。 現在も営業している処は、確認出来ますが、既に廃池になった処は、記憶の当否を確認出来ません。 各種の参考文献やサイト等で確認出来たものもありますが、未だに自分の記憶にある釣り堀を確認出来ない処もあります。 当時、亡父母と交わした会話や、窓外の景色を参考に未だに探す努力をしていますが、自分の命がある間に確認出来るのか、と考えてしまいますと苦しいです。 忘れることは、私のような場合には生きることを楽にするもの、と思います。
-
soco
2019-03-26
記憶がとてもしっかりしていた主人なんですが、先日話をしていたら、去年私が下血して入院した事を話したらまったく覚えていません。毎日お見舞いに来てくれたのに。先日も駐車場で車どこだっけ?と、いつも私が言う言葉で、いつもサッサと車まで行く様な人がいうものですから、認知症の始まり?と心配です、66歳です。考えすぎでしょうか?最近怒りっぽいのも気になります。
-
イチロウ
2019-03-24
猫は、隠れ家的な場所が好き、なのでしょうか? 好きなのでしょうね。 一般的には、普通の猫は。 我が家の場合には、長男猫と次男猫以下の猫達とでは、何でもかでも相当な違いがあり過ぎまして、次男猫以下が普通なのか、長男猫が普通なのか、分かりません。 長男猫は、部屋の真ん中で大の字になって寝るのが好きなようでした。 または、猫タワーにある小屋で昼は寝て、夜は、飼い主の腕枕で寝るのが好きでした。 春から秋までは、リビングに置いた特大ベッドで大の字になり昼寝していました。 時にはいびきもかいて。 猫なのに何処かへ隠れる、と言うことがありませんでした。 キッチンやリビングのテーブルの上で寝ることもあり、その時の可愛い姿を写真にしたことが何度もありました。 一番可愛かったのは、ある夕方に職場から帰宅した際にふと二階の寝室の窓辺を見た時でした。 二階を見上げた私の眼と窓辺に寝そべり階下を見ていた長男猫の眼が会った途端に、直ぐに背中を見せて窓辺から降りる姿が見えた時のことです。 玄関を開けると長男猫が座っていたのは言うまでもありません。
-
チロル
2019-03-20
老健はそもそも、リハビリ中心の在宅復帰施設として創設されていたので、認知症の対応に熟練した職員がまだまだ少ないのが現状です。また、老健の医師が認知症の専門性が高いとは限らず、看護師もまだまだ薬剤や認知症の知識は不充分ですので、症状の変化に早期に対応できないこともあるでしょう。 介護保険の報酬内で薬剤費用もやりくりしなければならないため、極端に処方を減らしたり、行動制限を求める結果、専門外の向精神薬を多用して認知症が悪化する事も考えられます。 認知症の方は環境の変化に対応することが難しく、適切なケアがないと進行することもあります。 この為、入所時は認知症が専門的に見られるのか?専門医師がいるのか、認知症専門の看護師、介護士がいるか、などの、老健の内情をよく知る必要があります。 リハビリ中心で在宅復帰をする方々にとって短期間で成果をあげるには、認知症の方々の存在は、リハビリのさまだげになりますから、共存は難しいです。そのため、目的別に棲み分けができているかも大切です。 このような施設特有の背景や、家族から離れる不安、まわりの認知症の方々の不穏な行動の不安と職員との信頼関係などの環境などの不安が認知症をより進行させます。 大切なのは、症状や目的に合った施設選びと考えます。様々な介護福祉施設がありますので、今一度、詳しく聞いてみてはいかがでしょうか?
-
ミント
2019-03-18
わかりますー ほんとにわが道をゆく…です。 だけど憎めないのです。
-
イチロウ
2019-03-18
盗撮が犯罪と単純に決めつけるのは、聊か、法規範理解とは縁遠いものと思われます。 単純に被撮影者の同意無く撮影した者を罰する罰条は無いのです。 例えば、東京都迷惑防止条例に係る最高裁判例に依れば、当該撮影行為に依って、被撮影者が客観的に著しくしゅう恥心を覚えるか、又は不安を覚えさせるような行為であれば、犯罪になるでしょうが、この場合は、被撮影者が今も尚有名な人物であり、当該撮影に係る場所、時間、着用の被服等を勘案すれば、当該撮影自体が犯罪とまでは言えない、と思われます。 ただし、本人の意思として自己が被写体になること自体を忌避され、その意思を一般公衆の認知可能な状態に至るまで公言されていたのであれば、避けるべきであった、と思われ、撮影者が報道機関であれば、報道に係る規則、指針等に違背している、と指弾されても仕方が無いでしょう。 ただし、それは、犯罪行為としてまで当該規則、指針等違背の責を追うものでは無い、と言えるでしょう。 あくまで道徳の問題、と思います。
-
三浦半島
2019-03-18
盗撮は犯罪です。撮影者、編集者、発行人共に同罪です。三浦さんが我慢して済まされる事ではありません。いつまでも昭和の取材方法がまかり通るはずがあり得ません。犯罪者には厳しい罰を