人気インスタグラマー山本美千子さん(69才)、55才からカメラマンに転身「新たな扉を何度も開いてきた」挑戦の人生
60代女性の生き方をインスタグラムに投稿し、40〜50代から支持を得ているカメラマンの山本美千子さん(69才)。60才で30kgの減量に成功した動画をきっかけに人気インスタグラマーに。その人生は「挑戦」の連続だった。【Vol.2/全3回】
山本美千子さん/プロフィール
1956年兵庫県生まれ。24才で会社の同僚と結婚、一男を授かる。長らく専業主婦として子育てに勤しみ、40代からブライダル業界へ飛び込み、グルメブロガーとしても活躍。50代からはカメラマンに転身し、福岡・東京を拠点に活動中。インスタグラムwebmadamfitのフォロワー数は5万人を超える。
55才でプロカメラマンに転身
――55才からプロのカメラマンになられた経緯を教えてください。
事務職で4年ほど働いていたときも、退職して専業主婦だったときも、『自分には他にできることがあるのではないか』という思いがありました。
子育て中、PTAの活動で何かイベントを企画するとうまくいくんですね。面白い企画を考えてそれを実行に移すのが得意だったんです。常に『もっと自分には何かやれることがあるんじゃないか』と感じていましたが、それが何かは具体的にわからなくて、内心ふつふつとしていましたね。
結婚後、神戸から都内に転勤になって、東京で子育てをしていたときのこと。子どもが中学生になった頃、ママ友に誘われて初めてパートをしてみたんですよ。卸売会社の梱包作業のパートでした。
どうせ働くなら何か目的を持とうと思って。まずは『100万円貯める』ことを目標に定めました。2年ほど働いて100万円が貯まったので、何をしようかと考えたとき、情報誌でブライダルコーディネーターの資格が目にとまった。資格の総合学校に通うことにしたんです」
――なぜブライダルコーディネーターだったんですか?
知人の結婚式の仲人をしたとき、介添えさんの仕事を見てこれならいけるかな、と。ウエディングの仕事なら、社会経験がさしてない私でもできるんじゃないかなと思ったんです。
都内の専門学校に通って、ブライダルコーディネーターと、ブライダルフラワーやカラーコーディネーターの資格も取りました。だけど資格は取ったものの、その先どうするか…。
現場を体験したいという思いが募って、ホテルのブライダルサロンの採用試験に応募しました。40代になった頃だったかな。なんとか採用していただき、ブライダルサロンの営業職に就きました」
――40代からの新たな転職で苦労されましたか。
パソコンもろくにできませんでしたから、見積書を作るのにも苦戦しましたよ。職場にいた若い女性たちに助けてもらいました。わからないことは全部、彼女たちに聞いて、一回聞いてわからないことがあったら、また別の女性に聞いたりしてね。若いかたに教えを請うことは全然恥ずかしいとも思いませんでしたね。
営業の仕事をしながら、桂由美さん専属のブライダルフラワーの先生に習ったり、日本でトップクラスのテーブルコーディネーターの先生の教室にも通ったりしました。
そこでは技術を学ぶというより、プロフェッショナルはどんな意気込みやモチベーションで仕事をされているのか、服装や立ち振る舞い、自分をどうやって前に出して仕事をしていくか、その姿勢を学びました。一流の人の仕事術を見たかったんです。
夫の転勤、そしてホテル業界へ
――ブライダル業界の営業職は順調でしたか。
それがね、3年ほど働いた頃、夫の転勤が決まって東京を離れて福岡に行くことになりました。ブライダルの仕事を続けたかったのですが、いったん退職して福岡での暮らしが始まりました。
しばらくして知人から、『ホテル勤務の経験があるんだから、ホテルのコンサルの仕事をしてみないか』と声をかけていただいたんです。縁あって観光ホテルで食空間コンサルタントとして働くことになりました。そこでは接客もしながら、どうしたらお客さんが増やせるか、取り組みました。
そのホテルで働くうちに、ホームページの重要性に気づいんですが、私には何の知識もなかった。よし、WEBクリエイターの学校に通ってみようと、思ったんです。
学校の先生から『WEBのことを勉強するならブログをやった方がいいよ』とすすめられたんですね。ホテルで食空間コンサルタントの仕事をしながら、ブログを始めてみることにしたんです。コンパクトデジカメをもって、福岡で食べ歩いたおいしいものとか、グルメ情報を載せていました。
自分のブログ制作を通じてWEBに関する知識もついてきて、徐々にグルメブログに熱が入っていきいました。
グルメブロガー誕生、そして…
――どんどん道を切り開いていかれていますね。
ええ、勢いだけで(笑い)。新しいお店の情報をブログで紹介していくうちに、人脈が広がっていきました。
レストランのシェフから『うちの店を盛り上げてもらえないか』とダイレクトメッセージをいただくこともありましたね。それでブログで人を集めてイベントをして、その様子をブログでレポートしたんです。すると、そのレストランが評判を呼び、お客さんが増えたこともありました。
ある地区の観光協会からは『地元の食材を使ったイベントを企画して欲しい』と依頼を受け、知り合いのレストランを貸し切ってイベントを開きました。そこに有名なレストランのシェフや企業のトップを呼んで、人と人を繋げていくわけです。
こうした経験をきっかけに、レストランやホテルと協力してグルメイベントを企画していましたね。お金儲けにはなりませんでしたが、人が喜んでくれるのが嬉しかった。ブログを通じて、集客をする。今でいうインフルエンサーのようなことをブログでやっていたんですよね。
――ブロガーからカメラマンへの転機とは?
ブログの世界にどんどんハマりこんでいくと、写真のクオリティが気になるようになりました。そこで今度は写真教室に通ったんですよ。
一眼レフカメラを買って毎日持ち歩いてレストランやカフェでひたすら撮りまくりました。教室で教わったことを現場で実践するとだんだん理解できるようになるんですね。少しずつ技術も習得していった頃、知人から『タクシー向けの広告代理店の人が料理をうまく撮れるカメラマンを探しているんだけど、やってみない?』と初めてカメラマンとしての仕事の依頼がきたんです。
写真教室の先生に相談したら『やってみれば?』と背中を押されて、それじゃあやってみるかと(笑い)」
――カメラマンとして人生初の仕事に挑戦されたのですね。
機材も揃ってないのにお仕事を引き受けました。そのとき持っていた一眼レフは初心者用のものだったので、写真教室の先生からも『もうちょっといいものを買わなきゃ。最低でも70万円ぐらいするレンズは必要』と言われまして。よし、と思って高いレンズを買い直して、カメラマンとしての初仕事をしたのが、55才のときでした。
せっかく高級なカメラがあるんだから、1回きりの仕事ではもったいないと思って、それ以降はブログの写真をすべてそのレンズを使って撮影するようになりました。
ホテルのお仕事の関係から、ブライダルの現場にも声をかけていただけるようになっていたので、結婚式の撮影もお引き受けしました。少しずつカメラマンとして経験を積んでいきました。振り返ってみると、我ながら“勢い”でやってきたなと思います(笑い)」
写真提供/山本美千子さん 取材・文/廉屋友美乃