猫が母になつきません 第369話「ふおん_その3」
母が車椅子で出て来たのは入所からちょうど《50日目》のことでした。その日は認知外来を受診することになっていて、ふらふらする母を車に乗せ病院に向かいました。ずーっとしゃべっていますがおかしなことばかり。でも自分がちゃんと話せていないことはわかっているようでした。診察のときに医師に薬でかなりふらついていることを伝えると「安定剤を減らして夜眠れるように睡眠薬を増やしましょう」と言われました。この日、診察が終わってから病院のソーシャルワーカーに「ちょっといいですか?」とひとりだけ別室に呼ばれました。《薬の調整》をするためにこの病院の精神科に入院してはどうか?という話でした。《薬の調整》というのは「薬の効果や副作用を観察しながら調整する」ということです。患者を一日中観察しなければわからないから「入院が必要」と。日数は最低90日で、調整がうまくいかなければそれ以上もありうると。部屋は施錠されることもあり、ベッド以外のものは何もない。カーテンすら。身体拘束される可能性も。ソーシャルワーカーは「85%の患者さんは良くなって退院していますよ」と。入院中に母が置かれる状況と「良くなって」という言葉が私の中でまったく噛み合いませんでした。私は「家族とも相談してみないと」とその場を逃れましたが、入院させるつもりはありませんでした。施設に入ってまだ2ヶ月も経っていません。母が落ち着いて生活するためにできることがまだあるはず。施設の部屋を模様替えして家にいるような雰囲気に少しでも近づけようと計画しているところでした。私はその準備を急ごうと思いました。翌週ソーシャルワーカーから「ベッドが空いたので入院できる」との連絡がありましたが「母の部屋の環境など変えてみてそれからまた考えたい」と入院を断りました。翌々週また母の受診に同行しました。同じ日、施設の母の部屋に家と似た雰囲気の家具を入れ、家からもってきた花瓶や人形や孫たちの写真を入れた額などを飾り、壁に藍染のタペストリーをかけました。完成した部屋を見に来た他の入所者さんたちが「わぁ」と歓声をあげていました。しかし母はぼんやりしていて、動きは以前にも増して緩慢になっていました。そして模様替えからわずか3日後、施設から母が《左大腿骨骨折》したとの連絡を受けました。こけたところなどは誰も見ていないが脚が痛いというので病院を受診して判明したとのこと。入所から《75日目》のことでした。
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作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母とくらすため地元に帰る。典型的な介護離職。モノが堆積していた家を片付けたら居心地がよくなったせいかノラが縁の下で子どもを産んで置いていってしまい、猫二匹(わび♀、さび♀)も家族に。