ドラマ『日曜の夜ぐらいは…』最終話を考察。人間関係の再生の場として描かれた団地、みんなが生活をともにしながら一つの夢に向かうドラマだった
サチ(清野菜名)・翔子(岸井ゆきの)・若葉(生見愛瑠)・みね(岡山天音)たちのカフェ「サンデイズ」がついに開店し、ドラマも最終回を迎えました。「このドラマが始まってからというもの、毎週日曜の夜10時台は筆者にとっても至福のひとときだった」と惜しみながらライター・近藤正高さんが『日曜の夜ぐらいは…』(テレビ朝日系 日曜よる10時〜)最終話を振り返ります。
高いアイスを食べる資格
『日曜の夜ぐらいは…』が先週日曜(7月2日)、とうとう最終話を迎えてしまった。冒頭のシーンではサチ(清野菜名)と翔子(岸井ゆきの)、若葉(生見愛瑠)の3人がカフェ「サンデイズ」の開店まであと3日という晩、おなじみの“コンビニで一番高いアイス”を食べながら話をしていた。
このとき、サチがふいに「さっき、アイスを買ったときに思ったんだけど……」と話し出す。自分たちは大金を手にして夢をかなえようとしているけど、それでもいまだってしんどいことはあると、うまく言葉にできないがそう思ったというのだ。これに翔子が察して「高いアイスを食べる資格がないんじゃないかってこと?」と返す。
そもそもコンビニで一番高いアイスを買うという習慣は、サチが母・邦子(和久井映見)との関係に煮詰まったときや、つらいことがあったとき、心を落ち着かせるために始めたものである。だが、その後、恵まれた立場になった自分が、しんどいなどと言ってアイスを食べるのはどうなのかと、サチはちょっと後ろめたさを感じたらしい。
そこへ若葉が「つらさに資格なんてないです。どんな立場にいる人にもつらさはあるわけで、どっちがつらいとかそういうの意味ないです。つらさに順列なんてないです」と、サチにもアイスを食べる資格はあると肯定してくれた。あいかわらず達観したように語る若葉に、翔子が「人生何度目?」と、ドラマを見てきた人たちの多くが思っていたであろうことを訊く。これに若葉が答えていわく、自分は小さい頃から日記をつけていて、誰とも話さない代わりにそのときどきの思いを書くうちに、話をするときもまず、しゃべる言葉ではなく日記に書く言葉が頭に浮かぶようになったらしい。
ただ、その日記はハサミで細かく切って捨ててしまったという。ここだけ切り取ると若葉の心の闇を感じてしまうが、そんな話をしても空気が重くなったりしないのは、サチと翔子がしっかり受け止めてくれることに加えて、若葉の……というか演じる生見愛瑠のキャラクターのおかげでもあるのだろう。若葉がちくわぶ工場を辞めるときの啖呵も含め、彼女の数々の名言が光ったのは、モデルとして華やかな活躍を見せ、若い女性から支持される“めるる”が演じたからこそではないか。生見は今クール、『日曜の夜ぐらいは…』のほかにも、フジテレビの月9『風間公親 教場0』の第4話にゲスト出演し、19歳の妊婦役を演じて評判を呼んだ。すでに俳優として定評のある清野菜名と岸井ゆきのに続き、生見も今期をきっかけに演技の面でもますます飛躍しそうな期待を抱かせる。
アイスを食べながらの会話ではまた、サチが最近になって、父親(尾美としのり)からいきなり1000円を返してもらったという話題も出た。父は前回、邦子から呼び出され、以前サチから借りた3万円を月に1000円ずつ返すよう約束させられており、さっそく実行したのだ。ただ、サチには、それまで最低だった父が、そのときはちょっといい人みたいだったのが納得いかなかった。これには若葉も共感し、ドラマとかでも、それまで悪の限りを尽くしてきた悪党が、ちょっと猫をなでたぐらいで「何ていいやつだー」みたいな展開になると腹が立つと言う。悪いやつがささいなことでいいやつに見えてしまう。ほかならぬ若葉もこのあと、まさにそんなできごとに遭遇することになるのだが……。
ともあれ、そんなふうにサチたちが楽しくおしゃべりしていたころ、もう一人の仲間であるみね(岡山天音)も、サンデイズをプロデュースしてくれた賢太(川村壱馬)と居酒屋ですっかり打ち解けていた。このとき、賢太が、イケメンゆえにやっかまれることもしばしばだと、本当は仕事の中身で評価してもらいたいのに……とぼやいていたのには、いわゆるイケメンや美人に対しても、いわゆるルッキズムの問題はあるのだと感じさせた。
若葉の母、サチの父
そしてついに開店の日、7月23日(日曜日)がやって来る。サチたち3人とみね君、賢太、そして邦子と若葉の祖母・富士子(宮本信子)もサンデイズに集まり、開店時間を迎えようとしていた。
サチは、もし一人もお客さんが来なかったらどうしようと一抹の不安を抱き、翔子・若葉と玄関の前に立ってもなかなかドアを開けられない。それを見ていた賢太が思わず「開けましょうか」と声をかけるが、サチは「ドアは自分たちで開けようと思います」と返し、みね君も呼んで4人一緒に歩み寄ると、ドアを開けた。それは彼女たちが新たな人生のドアを開いた瞬間でもあったといえる。
ドアの向こうには、サチの不安を吹き飛ばすように、大勢のお客さんが待っていた。そのなかには、サチが翔子や若葉、みね君と出会うそもそものきっかけをつくってくれたラジオ番組のパーソナリティーであるエレキコミック(やついいちろう・今立進)の姿もあった。この様子に4人はいままでのことが脳裏に浮かび、思わず涙ぐむ。
だが、感慨に浸る間もなく、開店と同時にやついいちろうがもう我慢できないと、トイレに駆け込んでいった。みね君からすれば、自分が一番力を注いだトイレの利用者第1号がやついさんだなんて、リスナー冥利に尽きただろう。サチはサチで、今立進の顔を見てつい吹き出してしまう。以前、邦子がエレキのラジオを聴き始めた理由を訊かれ、今立さんが元夫に似ているからと答えていたのを思い出したからだ。当の邦子も、初めて間近で彼の顔を見てはにかむ(考えてみれば、邦子はサチのためにエレキのバスツアーに応募したつもりが、めぐりめぐってその娘のおかげでエレキの二人に会わせてもらったことになる)。店内には、宝くじ売り場の猫田さん(椿鬼奴)からのハガキも飾られていた。というか、あの売り場の人の名前、猫田さんだったんだ!
それから話は一気に1ヵ月後に飛ぶ。サンデイズは開店以来好調だが、若葉だけが専任で働き、サチも翔子も以前と変わらず、それぞれファミレスのバイトとタクシー運転手の仕事を続けていた。サチがバイトをやめないのは慎重な性格ゆえだが、翔子はもともと車の運転が好きだったし、ひょっとすると、タクシーを走らせていれば別れたままの母がいつか乗ってくるかもしれないという淡い期待もあるのかもしれない。みね君もまた会社勤めを続けながらの二刀流で、邦子と富士子は疲れない範囲で店に入ってくれている。
みんなでおのおの考えたメニューも次々と売れていくなか、若葉考案の「魔法のねばーるコーヒーゼリーフラッペキラキラホイップクリーム添え」だけはまだ一度も注文がなかった。そんななか、ある女性が来店し、サチからメニューを出されるや迷わずそれを注文する。厨房でオーダーを受けた若葉は喜び、自分でコーヒーゼリーを運んでいくのだが……そこにいたのは誰あろう、若葉の母・まどか(矢田亜希子)であった。
若葉を守ってくれるはずの富士子は、まどかが再びカネをたかりに来たときに備えてスタンガンまで用意していたのに、その日にかぎって店にいなかった。まさかの母と二人きりでの対面に、若葉は思わず凍りつく。そして慌ててゼリーをテーブルに置くと、口から出たのは「何で?」の一言であった。もっとも、それは「何でここがわかったのか」ではなく、「何でこのメニューを選んだのか」という意味であった。訊かれたまどかの答えは「一番うまそうだからに決まってるし」。嗜好の似たところはやはり親子なのだろう。うれしさのあまりか思わず涙ぐむ若葉に、まどかは「泣くな!」と一喝すると、思い出したように、かつて娘から奪い取った貯金通帳を返した。まどかによれば、貯金のしかたが重いし、大金持ちのバカ男を捕まえたのでしばらくカネはいらないという。
もっとも、まどかは帰りがけにここでの支払いは通帳から引いてくれと言い残し、貯金もちょっとしか使っていないと言っていたにもかかわらず、あとで若葉が富士子と確認すると、しっかり36万円ほど使われていた(もともと92万あったのに!)。ちょっといいところを見せながらも、まどかはヒールとしての役目は最後まで貫いたのだ。その点はサチの父親も同じで、いきなり同じファミレスにバイトとして働き始め、サチを唖然とさせる。雇った店長(橋本じゅん)も店長だが、父は今回も店長の弱みを握って強引に採用させたらしい。せめて最初の給料からは、サチから借りた3万円を利息と合わせて天引きしてほしい。
そんなサチだが、一方でいいこともあった。かつて高校時代に絶交してしまった親友のミチル(日比美思)から動画メッセージが届いたのだ。ここで思いがけず、サチのクラス対抗リレーでの7人抜きの真相があきらかになる。ミチルいわく、あのとき第1走者だった自分が転んでビリになってしまったので、サチはその失敗をゼロにするため全力で走ってくれたというのだ。7人抜きはサチの両親もいまだに自慢しているが、それは単に優勝してくれたのがうれしかっただけでなく、娘が友達を思いやれる人間であることが誇らしかったからなのだろう。
愛も喧嘩も描かない冒険
そんなふうに開店してから1ヵ月に起こったできごとが、サチのナレーションによって語られた。ここまで挙げた以外にも、日曜深夜の営業がお客さんに好評で、あるとき、いつか翔子がタクシーに乗せて号泣していた女性(翔子がエレキのラジオを聴くきっかけを与えてくれた人でもある)が何も知らずに来店し、翔子をひそかに喜ばせる。さらには、ナイフを持った男に強盗に入られるという事件もあった。このときは、あとから店に来た富士子が、例のスタンガンで撃退して事なきを得た。まどかに使わないまま持っていてくれてよかった……。
そんな事件もありながらも、サチはいまや充実した日々を送っていた。ドラマの終わりには、サチが朝いつものように自転車に乗ってバイトに出かける様子とともに、彼女がいま想像していることが描かれる。通勤の風景は初回の冒頭シーンと同じだが、サチ自身は未来に想像を膨らませるまでに前向きになり、大きく変わった。
サチの想像のなかでは、翔子が現実には会えないままでいる母親とタクシーで再会を果たし(母親役を演じていたのはかとうかず子)、猫田さんも無事に病気から快復していた。ほかにも、賢太や邦子、富士子がメディアで注目される様子が想像されるなか、一番ドキッとさせられたのは、ウェディングドレスを着たサチと翔子と若葉がそろってみね君に駆け寄ったかと思うと、「やっぱり、みね君だね」と口々に言うシーンだ。これは、3人が結婚式を挙げながらも早々に相手に見切りをつけて、一緒に人生を歩むのはやはりみね君しかいないと決めたということだろうか。
この解釈が正しいとすれば、このドラマは最終話にいたるまで恋愛を描くのを徹底して避け続けたことになる。それどころか、従来、友情をテーマにした物語なら必ず描かれた仲間同士の喧嘩でさえ、このドラマでは主人公たちに「遠い世界のできごとのようだ」と言わせてしまった。若者たちが一緒になって何かを始めるという物語なのに、恋愛も喧嘩も描かないとは、考えてみれば、かなりの冒険であったといえる。しかし、冒険を冒険と感じさせず、きわめて自然に描いてみせたところに、このドラマの真骨頂がある。
舞台が団地だったおかげで
もう一つ、『日曜の夜ぐらいは…』というドラマについて特筆したいのは、団地を舞台にしていた点である。物語のなかの団地というと、かつては映画『家族ゲーム』やコミック『童夢』など、近所づきあいや家族の関係が失われた場所として描かれることが多かった。それが『日曜の夜ぐらいは…』の団地はむしろ人間関係の再生の場となっていた。その背景には、少子高齢化の進行により、昭和の高度成長期に建設された団地の人口が年々減少しているという事実がある。このドラマではそれを逆手にとり、住民の減少にともないサチの住む団地にも次々と空き室ができたおかげで、仲間たちを呼び寄せることができ、そこからみんなが生活をともにしながら一つの夢に向かっていくことになった。
ここしばらく話題になるドラマといえば、物語のあちこちに伏線や意表を突くできごとが用意され、一瞬たりとも見逃せないような作品が目立つ。そのなかにあって『日曜の夜ぐらいは…』はストーリーも人間関係もけっして複雑ではなく、サチと翔子と若葉という3人を中心に、ちょっとしたできごとの積み重ねにより緩やかに物語が進んでいった。それでいて、解説めいたセリフや描写は抑えめで(いつかTwitterのドラマ公式アカウントに一部だけ掲載された脚本には「……」というセリフがいくつもあったので、驚かされた)、視聴者に想像の余地を与えた。最終話のラストも余韻を残し、ドラマが終わったあとも、サチたちはいまどんな日々を送っているのかと思わせる。そんな作品はここしばらくなかったかもしれない。
このドラマが始まってからというもの、毎週日曜の夜10時台は筆者にとっても至福のひとときだった。サチたちが自分たちに幸せをもたらしてくれた人たちに何かにつけて感謝を示していたように、自分も最終話を見終えたいま、このドラマに巡り合うきっかけを与えてくれた人たち全員に御礼を言いたい気分である。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。
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