最期は病院か自宅か 杉田かおるさんと菊田あや子さんの選択「幸せな看取りを叶えるためにしたこと」
“ホーム、スイートホーム”“やっぱりわが家がいちばん”―住み慣れた家が最も居心地のいい場所だという認識は世界共通のものであり、それは最期の時であっても同様だ。施設や病院から自宅に引き取って安らかに過ごせた例がある一方、病気や状態によっては病院での看取りが最適な場合もあるのも事実。
自宅介護から最後は病院で母親を看取った女優の杉田かおるさん、自宅で母親を看取ったタレント・リポーターの菊田あや子さん。お二人にお話しを伺った。
病院で母親を看取った杉田さんの場合
家族が自宅に引き取ったことで体調が安定し、安らかに過ごせた例がある一方、病気や状態によっては病院での看取りが最適の場合もある。
母と過ごした4年半は死の恐怖を取り除くための時期だった
「物理的な場所は希望通りにならなくても、心が寄り添っていれば、幸せな看取りだといえるのではないでしょうか」
そう話すのは女優の杉田かおる(57才)。
入退院を繰り返し、24時間の在宅酸素療法が欠かせなかった
杉田の母・美年子(みねこ)さんは長年の喫煙と飲酒がたたり、2000年に肺に炎症が起きて呼吸がしにくくなる慢性閉塞性肺疾患(COPD)を発症した。当時60代前半だった美年子さんの症状は少しずつ悪化し、2013年に救急搬送され集中治療室(ICU)で治療を受け、退院後は酸素ボンベや酸素濃縮装置を用いて、24時間の在宅酸素療法が欠かせなくなった。
「ICUから出た後は24時間、血中酸素濃度をチェックしながら食事の用意やトイレ、入浴介助を行い、数値が悪ければすぐに救急車を呼ぶ生活が始まりました」(杉田・以下同)
在宅介護をした4年半、杉田は楽しい時間を共有することをいちばんに考え、過ごしていたと振り返る。
「母と過ごした4年半は避けられない死に対する恐怖を2人で少しずつ取り除いていくための期間だったように思えます。途中で仕事もすべて一旦休み、自宅でアロマや音楽を用いて母をリラックスさせ、天気がよければ花見や散歩に出かけました。当時、自分に言い聞かせていたのは無理をしてはいけないということ。自分の心に余裕がなくなれば、感情にコントロールが利かなくなって相手にイライラしたりぶつかったりしてしまう。まさに“魂のブラッシュアップ”の期間だったと思います」
病状が悪化し、病院に入院させる事を決断
穏やかな時間を過ごす一方、美年子さんの症状は悪化し、ベッドに横になるだけでも溺れたときのように荒い呼吸をするようになり、酸素不足で爪も真っ白になってしまう。
これ以上自宅で介護するのは母を苦しめることになると判断した杉田は2017年10月、美年子さんをCOPD患者を対象に呼吸リハビリを行う病院に入院させる。医師の手厚いケアとリハビリによって息切れせずに会話ができるまで回復するが、検査の数値は悪化。同年12月、老人保健施設に移り、翌年の年明けに他界した。享年83、最初に倒れてから約20年が経っていた。
病院で逝く前に「楽しかったよ」と一言
「亡くなる1週間前、『お母さんといて楽しかった?』と聞かれて、『すごく楽しかった』と答えたら、母は『お母さんはもっと楽しかったよ』と笑顔で言ってくれて、胸がいっぱいになりました。自宅での看取りは叶いませんでしたが母を奇跡的に回復させた『呼吸リハビリ』を教えてくれたいい病院に巡り合って苦しみが取り除かれ、設備が充実した施設で逝った最期は、幸せで穏やかなものだったと思っています」
→杉田かおるさんが明かす在宅介護と看取り「私の生き方を変えた母との時間」