最期は病院か自宅か 杉田かおるさんと菊田あや子さんの選択「幸せな看取りを叶えるためにしたこと」
タレント・リポーターで現在は終活ガイドとしても活躍する菊田あや子さんは、入院していた母・明子さん(享年94)を家で看取った。
「母はもともと、山口県の実家に住んでいたのですが、認知症が進んだことから2011年に施設に入所し、8年間そこで暮らしていました。私は仕事のために東京で暮らしていたので、毎月下関に帰省して数日間母を実家に連れて帰って過ごして、また戻るという生活を送っていました」(菊田さん・以下同)
しかし明子さんは2019年9月に腎盂炎を患い、危篤状態に陥ってしまう。このときは回復したものの、うまく嚥下(えんげ)ができなくなり、同年11月、「血管への栄養注入がもう難しい」とこのまま老衰死する流れを示唆された。
自宅で看取るきっかけは友人の一言から
幸運だったのは、母が入院する病院の婦長が菊田さんの同級生で、長年の友人だったことだ。
「彼女が『キクが東京に戻らなくていいなら、明日にでも実家に戻れるようにする?』と提案してくれました。当時は在宅医療について何も知らなかったので、もし婦長の言葉がなかったら実家に連れて帰るとは思い浮かばなかったと思います。あのときママが病室に残って、夜ひとりで誰にも看取られず亡くなっていたかもしれないと考えると、ゾッとします」
友人の一言で菊田さんは在宅での看取りを決意した。
「東京の仕事をすべてキャンセルし、実家の客間を広くして介護ベッドを入れるスペースを作りました。フリーランスですから、仕事を断るのは不安でしたが、私は家でできるだけのことをしたくて。お金や自分の生活は後から何とでもなる、いま母に寄り添わなければ一生後悔すると思い、在宅看護を始めました。帰宅した日に、ママから『あや子ちゃん、甘えていいの?』と聞かれたときは、すごくうれしかったんです」
自宅に戻ってから笑顔が増えた
それからというもの、菊田さんは母親に努めて明るく話しかけ、夜は母の横に簡易ベッドを並べてともに眠った。おそらく余命は10日間くらいであっただろう明子さんだったが、実家に戻ると笑顔が増えて、年を越すことができた。クリスマスイブにはケーキを口に含み、元日には孫やひ孫が集まって新年を祝い、1月7日に息を引き取った。
「長期の介護は難しくても、終末期の限られた時間を自宅で一緒に過ごせれば、看取る側は『自分にできることは全うできた』という気持ちで、後悔は少なくなると思います」
自宅介護は“愛と覚悟があるかどうか”
とはいえ、24時間家族と向き合い、ケアするのはきれいごとばかりではない。
「初めて下の世話をしたときは衝撃でしたし、自分の生活スタイルは当然180度変わります。それを乗り越えられるかどうかは、愛と覚悟があるかどうか。私はママが大好きで、愛していたから在宅介護を即決できましたが、友人の中には『本当は母を家に連れて帰りたいけれど、夫はそう思っていない』と悩む人もいる。私は兄の『みんな順番じゃ』という言葉で覚悟が決まった。子供のときはお世話してもらって年を取ったら私たちがケアするんだ、と腑に落ちたんです」
菊田さんが思う在宅死の最大の利点
在宅死の最大の利点は、自由でいられることだと中村さんは言う。
「勝手知ったるわが家で、見慣れた風景に囲まれて過ごすのはやはり居心地がいい。病院は無機質なうえ、個室以外はプライバシーもない。食べ物の融通が利き、最期に好きなものを口にできることも在宅死のいい点です。また、現在病院は新型コロナの影響で面会が大幅に制限されており、家族が臨終に立ち会えないこともあります」