旅立つ人・見送る人、どちらも幸せと思える最期を迎えるために…看取り士が伝えたい「死生観と命のバトン」
「看取り士」という人々をご存じだろうか。これは、一般社団法人の『日本看取り士会』(2012年設立)会長の柴田久美子さんが名付けた職業で、死を意識した時から旅立つ人のエネルギーが生きている人に譲られる最期の時まで、当人とその家族のそばにいて“魂のリレー”を見守る職業だ。具体的には、余命宣告を受けた本人やその家族からの依頼を受けて、彼らの遺された時間を充実させ、死への恐怖を和らげ、最期は抱きしめて看取ることを促す。
最期を迎えたい場所として、自宅を希望する人の割合は49.5%だが、実際に亡くなる場所は病院・診療所が80.3%という統計結果(※1)もある。なかなか自分が思い描く「死」を叶えることが、難しい現状もあるが、誰もがいつかは向き合わなければいけない。
死は誰にとっても悲しく不安なものだが、看取り士の存在で「温かい豊かな死」を迎えることは可能だという。
柴田さんは、小学生のとき、がんを患った父が自宅で最期を迎えた姿を見送った経験がある。
「亡くなった父に抱きついて、傍らで何時間も過ごしました。私や家族に笑顔を残して逝った父の姿。それが、私の死生観に大きな影響を与え、看取り士という仕事を始める原動力にもなりました」と語る柴田さんに、「死」とは何かを話してもらう。第1回は「旅立つ人も周りも幸せな最期を迎えるための心構え」について聞いた。
※1 厚生労働省大臣官房統計情報部「平成22年人口動態統計」及び「「安心と信頼のある「ライフエンディング・ステージ」の創出に向けた普及啓発に関する研究改報告書」(経済産業省より)
60歳になったら「かかりつけ医とエンディングノートを」
「人生100年時代と言われていますが、60歳になったら、かかりつけ医を持って、エンディングノートをまとめて、死生観とこれからの生き方を考えて欲しいと思います」
と柴田さん。60歳は死に向かって新たな歩みを始める人生のターニングポイント。エンディングノートをまとめることで、今後の自分の生き方と死生観を確認することができる。
「エンディングノートは定期的に書き直すことが必要です。たとえば、こんなことがありました。ある方に『3年前に“母は自然死を希望して延命治療を拒んでいる”と書いたものがありますが、これは有効でしょうか』と聞かれたことがあるんです。
私は『それは有効ではありません。今、お母様がどう思っていらっしゃるかが大事です』と答えました。人間の心はわりとコロコロ変わるものです。その都度、今の気持ちを確認することが大切です」(柴田さん、以下同)
実際、数年前に「延命を希望しない」と言っていた人が、呼吸器をつけるような病気をすると、「呼吸器をつける」と言うケースが多いらしい。人間はなかなか命を諦められるものではないのかもしれない。
「利用者との最初の面接で、私たちは看取り士と名乗らずに介護スタッフの一員として、4つの質問をします。
ひとつ目が、これから先、どこで暮らしたいですか。おうちに帰りたいとおっしゃる方がほとんどです。ふたつ目が、誰と一緒に暮らしたいですか。これは、ほとんどがお子さんです。3つ目は、延命希望か否か、今後の医療はどうなさりたいか。最後に、今、困っていることはなんですか。これら質問を今後変わるだろうことを前提に伺います。
1度聞いて終わりにするのではなく、その後も時機を見ながら同じ質問をします」
こうした質問を家族や友人間でも定期的に話題にすることで、自らの死生観やこれからの生き方の輪郭がはっきりすると同時に、周りの人々にも“今”の自分の気持ちを伝えやすくなる。
逝く人を見守る側も自らの死生観に裏打ちされた『死への心構え』を持つこと
自分の死生観はもちろん、逝く人を見守る側になった場合も、自らの死生観に裏打ちされた『死への心構え』は必要になってくる。人生の幕を閉じるその時に、どんな花が開くのか。それは周囲で支える人々の受け皿の深さにもよる。
「見守る家族や友人にも、ご本人同様に死生観を持って欲しいと思います。そうでないと、ただただ死が怖いものになります。多くの人が死を見たことがない、実際に亡くなった方に触れたことすらない中、きちんとした死生観を持たなければ、そこにジッと立つことができません」
自分の死生観がなかなか定まらない時は、「祖父母や両親など、すでに亡くなった身近な人の最期やその生き方を思い返してみるといい」と柴田さんは語る。
「難しく考えずに、これまで大切な人を見送ってきた時の気持ちと向き合うこと、です。その方々たちがどんな死生観をお持ちだったか。私たちはたいがい順送りで命を閉じていきます。私たちの前に逝ってしまった大切な人たちの命と向き合うこと。そうすると、おのずと自分の死生観が生まれてきます」
家族とは何か、友情とは何か、愛とは何か、死とは何か――。
スピードと効率に支配される日々の中で、その価値観をいったん隣に置いて、たっぷりと時間をかけて一つひとつの問いに向き合っていくことが、幸せな最期を迎える、あるいは幸せな最期に寄り添うコツなのかもしれない。
看取り士の仕事の一つに『臨終コンプレックス』を失くすこと
逝く人を見守る側に立った時、臨終に間に合わないケースもある。その後悔を抱き続けて、心に重い石を抱えたままの人も少なくないのではないだろうか。そうした想いを柴田さんは『臨終コンプレックス』と呼ぶ。
「この言葉は東京大学名誉教授の上野千鶴子先生が作られた言葉です。上野先生は『柴田さんたちの活動は、社会から臨終コンプレックスを失くすわね』と言ってくださるのですが、『これから新幹線で駆けつけますからあと3時間、どうか待っていてくださいね』と言われれば、私たちも利用者さんも、そのまま待ちます」
通常は心臓が止まれば、臨終を告げられ、数分後には、いわゆるエンゼルケア(死後処置から死に化粧までの臨終に際したケア)が施される。同時に死後硬直が始まり、顔からは血の気が引いていく。それを3時間、旅立つ人とともに待つとは、どういう意味だろう。
「万葉集にも出てきますが、日本では古くから、いわゆる医学的な死を迎えてから7日間、体に魂が残ると言われています。日本は、そういう看取りの文化を持ち合わせた国なんです。私たち看取り士が、看取りに際してご家族とともに『看取りの作法』(※2 詳細は連載3回目)を行い、『温かい体に触れていただいて、間に合って良かったですね』と声をかけ続ければ、その方の持つエネルギーはバトンを渡す人を待っています。現に2日間、温かかった方もいるんです」
※2 「抱きしめる」「手をにぎる」「呼吸を合わせる」といった基本的なプロセスを看取り士が家族に伝え、共に行う。
これを科学的に分析しようとするのは難しい。しかし、実際に看取り士に看取りを頼んだ家族の中には「息が途絶えてから看取りの作法をする中で、表情が和らいだように見えた父親」や「腕や手が冷たくなっているのに、背中は高熱を出した子どもと同じくらい熱かった母親」がいたりする。
これが、柴田さんの言う「エネルギーのバトン」なのか。エネルギーのバトンを望むなら、その時まで逝く人も待ち人を待つ力を得るのか。看取り士に看取りをお願いした経験のない私には正確なことは言えない。
この「臨終コンプレックス」とは別に、柴田さんが取り組んでいるのが「看取り直し」だ。どうしても臨終に立ち会えなかった、自死による最期、最近であればコロナでひとり病院で落とした命……、「できることならきちんと看取りをしたい」と思うケースを看取り直す。
「その方が生前暮らしていたような暮らしを7日間、ゆっくりとご家族にしていただきます。そうすると何が起こるかというと、その方の魂がちゃんとご家族のもとに戻るんです。人によっては、亡くなった方の声が聞こえるようになったとか、匂いがしたとか。魂が戻っている合図を送ってくださいます」
これもまた、科学的な証明は難しい。しかし、看取り直しをすることで遺された人が救われるのだとしたら、旅立った魂もきっと救われる。そう思いたい。
次回は、「看取り士」の役割について具体的に紹介する。
柴田久美子(しばた・くみこ)
一般社団法人日本看取り士会会長。島根県出雲市で出雲大社の氏子として生まれる。日本マクドナルド株式会社勤務を経てスパゲティー店を自営。平成5年より福岡の特別養護老人ホームの勤務を振り出しに、平成14年に病院のない600人の離島にて、看取りの家を設立。本人の望む自然死で抱きしめて看取る実践を重ねる。平成22年に活動の拠点を本土に移し、現在は岡山県岡山市で在宅支援活動中。全国各地に看取り士が常駐する「看取りステーション」を立ち上げ、“看取り士”と見守りボランティア“エンゼルチーム”による新たな終末期のモデルを作ろうとしている。また、全国各地に「死の文化」を伝えるために死を語る講演活動を行っている。令和2年には、株式会社日本看取り士会を設立。セコム株式会社と連携した見守りサービスなど、新たな派遣サービスをスタートさせた。
取材・文/池野佐知子