杉田かおるさんが明かす在宅介護と看取り「私の生き方を変えた母との時間」
女優の杉田かおるさん(56才)が、芸能界を休んで取り組んだ4年半の在宅介護について語った。慢性閉塞性肺疾患(COPD)を発症し、24時間の在宅酸素療法が必要だったが、呼吸リハビリを続けて歩けるまでに。「最期までよりよく生きるために努力をした母は、私の誇りです」と、語る杉田さんが感じた看取りとは。
母の24時間在宅療法のため仕事を休んで介護に専念
「7年前のいま頃、車いすの母と散歩がてら美容院に行ったことを思い出しながら、同じ道を歩いてきました」と笑顔で現れた杉田かおるさんは、3年前に母を亡くした。
杉田さんの母・美年子さんは、若い頃からヘビースモーカーで酒豪。長年の不摂生がたたり、2000年に倒れると、慢性閉塞性肺疾患(COPD)と診断された。
「その後は体にいい自然農法の食材を摂るようにして生活改善に努めていましたが、病状は徐々に悪化し、2013年8月に再び倒れて救急搬送されました」(杉田さん・以下同)
このときは、幸い命に別状はなかったが、退院後は24時間の在宅酸素療法が必要となってしまう。
「24時間、血中酸素濃度をチェックしながら食事の用意やトイレ、入浴の介助を行い、数値が悪化すればすぐに救急車を呼ぶ生活。3年目からは仕事を一時休み、介護に専念しました」
呼吸リハビリで歩けるように
そんな中、結核予防会の大使としてボランティア活動をした縁で、呼吸リハビリを行う「複十字病院」(東京・清瀬市)の存在を知った杉田さんは、ベッドに寝ているだけでも溺れているように感じるほど呼吸が苦しく感じるという母を、2017年10月に入院させる。
「肺の代わりに筋肉や横隔膜を鍛える『呼吸リハビリ』を行うことで、最初は真っ白だった爪に血色が戻り、息切れもせずに話ができる時間が長くなりました。そして、40日後には200mも歩けるようになり、卒業の許可が出たときはうれしかったですね」
ところが、肺の数値は悪化していたため、自宅には戻らず、設備が充実している老人保健施設に移った。
亡くなる1週間まで笑っていた
「亡くなる1週間前、母は『棺桶まで歩いて行く』と笑いながら言っていました。そのとき『お母さんといて楽しかった?』と聞かれ、『すごく楽しかったよ』と答えると、『お母さんはもっと楽しかったよ』と微笑む顔を見て、何とも言えない気持ちになりました」
年が明け、元日にテレビ電話でおせちを食べたことを元気そうに話した美年子さんは、2日に「いまから行くね」と電話で話した後、意識がなくなった。
「『そろそろおむつが取れる気がするから、きれいな下着を買ってきて!』と話していたのに…。アメリカで暮らす妹が到着した5日まで待ち、その翌日の朝、息を引き取りました」
母の最期の姿が、生き方に影響を与えた
最期まで自分の口から食事を摂り、リハビリまでして自分らしく生きようとした母の姿は、杉田さんの生き方に大きな影響を与えた。
「母が病気になって、妹にオーガニックなどの食の大切さを教わり、母には呼吸リハビリの奇跡を見せられ、人間としてブラッシュアップする機会をもらったと思います」
その後、女優に復帰したが、その傍らで母の最期に希望をくれた呼吸リハビリの啓蒙活動や、食や健康の大切さを伝えるための活動を行っている。
「母は老健の施設で最期を迎えましたが、それまでの4年半の間、自宅で介護をしながら母と向き合うことができたのはよかったと思います。物理的な場所は希望通りにならなくても、心が寄り添っていれば、幸せな看取りができるのではないでしょうか」
杉田美年子さんヒストリー
・1934年 美年子さん誕生。
・1963年 結婚。
・1964年 長女・かおるさん誕生、1969年に次女誕生。
・2000年 慢性閉塞性肺疾患(COPD)と診断される。
・2013年 8月 救急搬送され、一命をとりとめる。24時間の在宅酸素療法が必要になる。
・2017年 10月 呼吸リハビリのため入院。12月に老健に。
・2018年 1月6日 死去(享年83)。
教えてくれた人
女優 杉田かおるさん
1964年、東京生まれ。7才のときに子役デビューして以来、高い演技力で注目を集める。オーガニックをはじめとした健康に関するさまざまなテーマを発信するYouTube『杉田かおるのオーガニックヘルスリテラシーofficial』を2020年から配信中。
取材・文/山下和恵
※女性セブン2021年7月15日号
https://josei7.com/