兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第102回 MRI検査の結果】
ライターのツガエマナミコさんの兄は若年性認知症を発症してから5年の年月が経つ。最近は、幻覚が見えているのかも…思う言動もあり、一緒に暮らす中で、兄の病状が進んできていることを日々実感するツガエさん。今回は、検査結果を病院に聞きに行ったときのお話だ。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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海馬の萎縮度が…
「ヤングケアラー」(家族を介護する18歳未満の子供)という言葉を最近知りました。昔からあった現実だとは思いますけれども、学校に行きながら、病気や障がいのある家族の面倒もみなければならない。もっと言えば、学校にも行けず働かなければならない、そんな子供たちのことをそう呼ぶようです。「わたくしの10代は…」と振り返ると恥ずかしいほど自分のことしか考えおりませんでした。「恵まれていたんだ」と思うことで少しばかり現状を納得させることができたツガエでございます。
兄がデイに通うようになったことは介護の大きな一歩でございます。回を重ねるごとに朝の支度がスムーズになって、説得や着替えに多めに取っていた時間は余るくらいになりました。
兄がいない数時間はトイレも汚れなければ、ベランダにオシッコされることもない。キレイにしたらキレイが続くことの、なんと清々しいことか。
けれども、決して「めでたし、めでたし」とは言えません。週1回のデイが、ありがたいのは確かですが、わたくしの肩にのしかかる重圧はデイが週5になってもなくなるものではございません。これから何十年続くかわからないこの介護生活を放棄できない絶望感から、どう発想を転換させたら楽になれるのか……。
結論は情緒とともにコロコロ変わり、今日のところは「兄上のことは兄上のこと。わたくしに兄上の人生の責任はない」と結ばせていただいております。
先日は、財前先生(仮名)による3回目の診察日でございました。
前回撮ったMRI検査の結果の続きを聞いてまいりました。
「脳の萎縮の中でも“海馬”の萎縮が著しい」という結果でした。海馬は記憶をつかさどると言われている部分です。脳全体の萎縮に対してどの部分の萎縮がどの程度なのか…といった数値で、海馬の萎縮度が悪い方にMAX振り切っておりました。5年前の初回MRI検査のときにも「海馬の萎縮レベルが著しい」という内容は聞いたのですが、当時の兄はまだ会社に勤めておりましたし、わたくしは母の介護で精いっぱいでしたから、落胆はしたものの、「だから何?」と投げやりな心境で、多くを考えませんでした。
今回は全面的に兄の保護者という立場で通院しております。この日のわたくしは「兄のことはわたくしが決めなければならない」という義務感と責任感と使命感と正義感を奮い立たせておりました。わたくしが一番恐れているのは兄が凶暴化し、暴言や被害妄想でわたくしを攻撃すること。結局自分優先の判断基準でございます。
それを阻止するためにアリセプトというお薬を処方していただいているのです。とはいえ、兄がお薬漬けになるのは忍びないので、際限なくお薬を増やすのも避けたい。少なすぎても多すぎてもいけない薬の加減など、素人にわかるはずもなく、担当医が財前先生(仮名)に変わった途端、5年間続いた5mg錠から10mg錠に倍増したことはご報告した通りでございます。(第95回)
でも今回のMRIの結果を踏まえて、先生は「萎縮度がかなり深刻です」とおっしゃり、新たなお薬を増やすことを提案されました。
担当が替わった1回目の診察で言われたことが、早くも現実になりました。お薬はどんどん増えていくのでございます。
「前にも申し上げた通りですが、もう薬を増やす段階にきていると思います。どうでしょう。どうしますか?」とおっしゃる先生に、わたくしはなす術もございません。
「どうって言われても…わたくしは何もわかりませんので…」と言うと、横から兄が「お任せします」と苦笑いでひと言。「それでいいのか?」と思いながらも「かなり深刻です」という言葉の残像に押し流されて、わたくしも「お任せします」と言ってしまいました。
「胃腸の不調やめまいなどの副作用が考えられる。もし合わないようなら薬を止めていい」とのことだったので、わたくしがずっと家に居られる日から飲ませてみようと思っております。
吉と出ればそれでよし。万が一凶が出たらやめればいいだけのこと。
お薬に限らず、この先、わたくしの選択が兄の人生をすべて左右するのだとしても、そうなったことが兄の運命なのですから、わたくしは、わたくしに与えられた状況の中でできることをすればいい。薬をコントロールしようとか、賢い介護者になろうなど、思いあがった頑張りは要らないと今日は考えております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ