『俺の家の話』8話|親を施設に入れる葛藤…「在宅で介護ができないことに罪悪感を持たなくていい」
長瀬智也主演、宮藤官九郎脚本の『俺の家の話』(TBS毎週金曜夜10時から)は、介護がテーマのホームドラマ。能楽師の父親(西田敏行)の介護のために実家に帰ってきたプロレスラーの息子(長瀬智也)とその家族の物語も終盤。「明るい介護」の方向を見出しかけた7話だったのに、家族の不倫の発覚が相次ぐなど、どうも雲行きが怪しくなってきた……。ドラマを愛するライター・大山くまおが7話までを解説します。
「明るい介護」が崩壊!?
ドラマ『俺の家の話』も終盤の第8話。面白いドラマは終わってしまうのが残念な気持ちになる。だけど、介護にも終わりがあるように、ドラマにも終わりがやってくるのは仕方のないこと。
第7話のレビューで観山家が「明るい介護」をできるのは、寿一(長瀬智也)、舞(江口のりこ)、踊介(永山絢斗)、異母兄弟の寿限無(桐谷健太)の仲の良さが原因ではないかと書いた。しかし、それはあっという間に瓦解し、介護の手が足りなくなった観山家はたちまち窮地に陥ってしまう。これは、どこの家でも起きる可能性があることだろう。
観山家が瓦解するのは、どれも男女の問題がきっかけだった。まず、寿一がヘルパーのさくら(戸田恵梨香)にプロポーズをする。これ自体は何の問題もないが、踊介がさくらに恋心を抱いていたため、家に寄り付かなくなってしまった。「勘違いのスピード違反」という表現が秀逸。
観山家と日本社会
深刻なのは舞のほうだった。夫のO.S.D(秋山竜次)が店のバイトの女性・背脂(なんちゅう名前だ。演じているのは3時のヒロインのゆめっち)と不倫していたのが発覚したのだ。いちいちコロナのせいにしようとするO.S.Dを「なんでもかんでもコロナのせいにしてんじゃないよ!」と一喝する舞。ものすごく2021年を感じさせるセリフだ。
O.S.Dと仲の良い寿三郎(西田敏行)が、なあなあで済ませようとするのも痛い。いかにも男社会という感じだが、舞は返す刀で「あんたのことも許したわけじゃないからね」と一閃。「たぶん一生許さないからね。色ボケじじいが。気色悪い!」と糾弾する。母は夫の寿三郎が浮気するたびに舞の部屋で泣いていた。
「男は平気なんだろうけど、許せないから、娘は」
観山家では母親の存在感がまったくなかったことは何度も語られてきた。だが、それはあくまで寿一の目線でのこと。寿一のナレーションはあくまで寿一の気持ちの表明であり、客観的な事実を伝える天の声ではない。寿一は母の顔を覚えていないと言っていたが、舞は母の顔をよく覚えているのだろう。
「わかる? この家で、女に生まれて、女でいるのか、どんっっっっだけしんどいか。生まれたときから数に入ってないわけよ。舞はいいから、舞はいずれ出ていくからって、男の物差しで決められて。ヘコむわ、さすがに。息子に期待するしかないじゃん」
舞のこの言葉は、日本社会そのものにあてはまる。能の宗家が男社会であることは想像に難くないが、我々のまわりも似たようなものだ。寿三郎と同じく、とにかく謝って済ませようとする寿一にさくらが「誰が、誰に?」とシャープにツッコミを入れるところも良かった。認知症が進む寿三郎に「どうせ忘れちゃうんでしょ」と厳しい一言を浴びせて、舞も家に寄り付かなくなる。
ケアマネジャーに相談すべし
寿一はさくらを山賊抱っこしたときにアキレス腱を断裂してしまって車椅子生活となり、介護の戦力にならなくなってしまう。そこで頼りになるのが寿限無だが、寿三郎は寿限無の介護を避けるようになる。特に理由はないが、「身を任せられない」というのだ。
寿三郎の代役として能を舞っても認められず、本当の息子として認められず、介護役としても認められない寿限無の悲しみと怒りはどれだけのものか。バイトまでして家計を支えていたのに。
踊介と舞と寿限無が出ていってしまった観山家はたちまち荒れはじめる。ケアマネジャーの末広涼一(荒川良々)は寿三郎を施設に入れるよう寿一に進言する。
特養(特別養護老人ホーム)は費用が抑えられるが待機者が多い。末広が勧めたのはグループホームだった。パンフレットには「認知症対応型共同生活介護」と書かれている。グループホームについて詳しいことを知りたい人は、以下の記事をぜひ読んでもらいたい。
→介護施設訪問レポート|スタッフが「できることは見守る」グループホーム(認知症対応型共同生活介護)<前編>
それにしても末広さんは本当に親身で頼りになる存在だ。在宅介護にこだわる寿一に「できてないじゃん」と厳しく事実を指摘した上で、
「罪悪感を持たなくていいんです。まず、介護をする観山さん自身の日常を立て直すためにも、難しく考えず一度、預けてみませんか?」
と寿一のことをケアしつつ、具体的な解決策を提案してくれている。『俺の家の話』は「介護についてはとにかくケアマネジャーに相談すべし」という認知を多くの人に広めていると思う。まず相談しよう。
寿一と寿三郎の別れ
寿三郎の認知症は徐々に進行していた。寿三郎は「終活」を進めながら寿一と秀生(羽村仁成)に「隅田川」の稽古をつけていたが、3歳の頃から70年以上欠かさず稽古してきた能の謡(うたい)が思うように出てこなくなってしまったのだ。
その夜、寿三郎が失踪する。末広は「徘徊」を心配するが、寿三郎は自分の意志で隅田川のほとりにやってきていた。隅田川を見たら「隅田川」の謡を思い出すんじゃないかと思ったからだ。その言葉のとおり、謡をしっかり思い出した寿三郎。寿一が振り返ると、そこには巨大なスカイツリーがそびえ立っていた。さくらにスカイツリーのようだと言われていた寿一だが、そうやって堂々と立っていること自体に意味があるのかもしれない。
結局、寿三郎はグループホームに入居することを自分の意志で決める。話をしている食事の最中、箸を使わずに勧められるままスプーンを使うようになっていたが、これは寿三郎が自分の老いと衰えを認め、まわりの言うことに従うようになったことを象徴している。
別れ際、無言で涙ぐみながら、不器用に挨拶をかわす寿一と寿三郎。二人をつないでいたのはプロレスだった。寿三郎が「ブリザード!」と叫ぶと、寿一は無言で腕をあげて応える。そういえば、寿三郎はスマホの待受画像をブリザード寿にしていたこともあった。
妻を泣かせ、娘に「許さない」と言われた父親と、妻に愛想をつかされた息子。ダメな男二人だけど、ドラマはちゃんと寄り添っている。甘いかもしれないけど、なんだか救われる気もする。親にちゃんと意識があるときに、こうやって心の交流をしながら別れを告げることができるのも、なんだかいいなぁ、と思ってしまう。
ラスト、元妻のユカ(平岩紙)の出産にあやうく立ち会いそうになってしまった寿一。なんだかおかしくてたまらないのだが、今、彼が取り組んでいる「隅田川」は生き別れた息子を探す母親を描いた演目である。母親を演じる寿一は、子を失った母親の哀しみを理解することが求められている。この後、寿一は秀生を失ってしまうのかもしれない。
『俺の家の話』は配信サービス「Paravi」で視聴可能(有料)
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。
●『北の国から』は父の視点、子の視点、母の視点…あらゆる視点を内包する傑作である