鈴木登紀子さんが教えた「ようすがいい」女性になるお作法|人柄に魅了された担当編集者の述懐
『きょうの料理』(NHK Eテレ)などで活躍し、“ばぁば”の愛称で親しまれた日本料理研究家・鈴木登紀子さんが、肝細胞がんのため2020年12月28日に永眠した(享年96歳)。長年第一線で活躍してきたばぁばの近くで、18年に渡って担当編集者として取材を続けてきた神史子(ジン・フミコ)さんが明かす、ばぁばが教えてくれた大切なこととは。
編集者が明かす、ばぁばとの最後の会話と大切な教え
昨年3月、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言発令を機に、鈴木登紀子先生は料理教室や撮影・取材を休止していたが、11月に病状が悪化、最期は家族に見守られながら、東京・吉祥寺の自宅で静かに息を引き取った。
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鈴木先生に最後にお会いしたのは、昨年10月初旬だった。
3月の緊急事態宣言発令以後、感染予防徹底のために外出を控えて自宅での療養に専念していたため、時折電話ではお話ししていたが、訪問することは控えざるを得なかった。
だが、96歳を迎える11月14日の誕生日に発売を予定していた『誰も教えなくなった、料理きほんのき』(小学館刊)のPRのため、なんとか音声だけでも収録させて欲しいと、同居している二女で料理研究家の安藤久美子先生にお願いをした。そして「ここのところ食欲もあるし元気そうよ」と連絡をいただいて、すぐに吉祥寺へ駆けつけたのだった。
「ジンさん、わざわざごめんなさいね…あら、ねえ、あなた疲れているでしょ?大丈夫?ちゃんと食べてる?お仕事が忙しいのね」
「こんにち…」と言い終わる前に、マスクの奥を覗き込みながら先制された。
大事をとって玄関先での面会となったが、いつものことながら挨拶で鈴木先生に勝てた試しがない。
8年ほど前にいろいろなストレスが重なって2週間で8㎏痩せたときには、撮影後にビン詰めのうにやいくら、そして「今日取り寄せたばかりよ」と、米10kgを持たされたこともある。
リュックに入れると重みで仰向けにひっくり返りそうになったが、帰路、「そうだ、お米があったわ!」と手をたたいてうれしそうな鈴木先生の顔が脳裏に浮かび、「そうだ、頑張んなきゃ」と、思い出し笑いをしていると、鼻がツンとしてきた。
バッグは必ず足元に置くこと
鈴木先生と初めて仕事をご一緒したのは、いまから18年ほど前のこと。『女性セブン』で料理記事を担当することになり、その最初の取材先が鈴木先生だった。
「あのね、鈴木先生の目の前で、ぜっっっっっったいにバッグをソファや椅子に置いちゃダメよ」
女性セブン編集部で鈴木先生との打ち合わせに向かう準備をしていると、友人でもある当時の副編集長に呼び止められた。
怖い顔して何言ってんの?と思いつつも急いでいたので、はいはいと言いつつ編集部を後にした。
当時、鈴木先生はパパさん(ご主人の故・鈴木清佐さん)と2人で、田園調布のマンションに住んでいた。インターフォンを押すと、
「はーい、どうぞお入りになって」
ドアを開けると、豊かな銀髪に赤い口紅がよく似合う“登紀子ばぁば”がにこやかに、しかし圧倒的な存在感を纏って立っていた。
「まぁまぁ、初めまして。ばぁばでございます。今日はよろしくお願いします」
鈴木先生は80歳になろうかという頃だった。手をきちんと前に揃え、お辞儀をする姿を見た途端、怒濤の緊張感に襲われた。
大きなテーブルがあるダイニングキッチンに通されると、助手さんらしき女性がお茶の準備をしていた。テーブルの上には大鉢、八寸、漆器など、撮影用らしい美しい器が並ぶ。
鈴木先生に促され、席に着こうとして副編集長の鬼の形相を思い出した。とっさに持っていたバッグを足元に置き、脱いだコートも丸めてバッグの上にのせた。その瞬間、鈴木先生がふふふ…と微笑むのを目尻で捉えた。
叱咤や小言はその場で。陰口にしない
「大変よくできました! 編集部のかたが教えてくださったの?
ばぁばのところではバッグを足元に置かないと怒られるわよって。100点満点よ、ふふふふ」
「ええっと、はい、すみません」とあたふたしていると、
「『鞄の底は靴の底』とパパは言うの。
どこを歩いてきたかわからない靴同様に、鞄もあちこちに置かれて放られて、散々汚れているのよ。
ソファや椅子は人様が座るところであって、鞄ごときを休ませる必要はないでしょう?」
叱咤や小言は、その場で相手に向かってはっきり言う。ねちねちといびりのネタにしない。陰口にしない。それが登紀子ばぁばの流儀だ。
「私は誰が相手も、間違っていることは間違っていると指摘しますし、不作法は不作法と教えます。
言われたほうは嫌な気分にもなるでしょうけれど、“恥”として記憶したことは、未来永劫忘れませんよ。行儀作法はそうして身につくの」
手に取るのは器が先、お箸はあと
鈴木登紀子料理教室では、入会時にまず正しい箸の持ち方と「“いただきます”のあと、先に手に取るのは器」を学ぶ。私ものちに、料理教室に参加させてもらうようになって身をもって知った。
よそ様の家に素足で上がるべからず
ある夏のこと。私は徹夜で原稿を書き上げた後、汗だくで料理教室に駆け込んだ。が、素足にスリッポンだったことに気づき、玄関でオロオロしていた。
「よそ様の家に素足で上がるべからず」も鈴木先生のルールだったからだ。いつもは携帯しているフットカバーをその日に限って忘れていた。
→94才の“ばぁば”鈴木登紀子さん、「長生きのヒミツ」を告白
「料理は作りたてを食べる」こそ大切な作法
「ジンさ〜ん、何やってるの?」と言いながら、菜箸片手にキッチンから現れた鈴木先生。
私の足元を一瞥し、「もう!早く言いなさい」と言うや踵を返し、小走りで寝室へ。すぐに黒いフットカバーを手に戻ってきた(もう一方の手にはまだ菜箸を握っていた)。
「ほら、早く履いて!もうすぐかき揚げとおそうめんよ。伸びちゃうわ、おそうめん。
冷房もうんと効いてるから!早く早く!」
鈴木先生のルールブックに「料理は作りたてを食べる」を超える大切な作法はないのだった。
執筆
神史子(ジン・フミコ)さん/編集者。『女性セブン』(小学館)ほか、ウェブ媒体、単行本を数多く手がける。鈴木登紀子先生の編集・執筆を担当した書籍は、ばぁばの料理と人生哲学が詰まったエッセイ『ばぁばの料理 最終講義』『ばぁば 92年目の隠し味』、そして、ばぁばの遺作となった『誰も教えなくなった、料理きほんのき』を世に送り出した。
撮影/近藤篤
●現役最高齢の日本料理研究家“ばぁば”の「夏ごはん」7つの知恵