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暮らし

旅立つまでの1か月、母が横たわるベッドはまるで華やかな「晴れ舞台」だった――「あと1週間」の見立てを超えて懸命に生きた母をコラムニストが振り返る「147日目に死んだ母――がん告知から自宅で看取るまでの幸せな日々」vol.8

 末期がんを告知された母は、積極的な治療をせず、自宅で過ごすことを選んだ。その意思を尊重し、寄り添い見守り続けたコラムニスト・石原壮一郎さんが綴るエッセイ。とうとう最期のときが近づいてきた――。毎日懸命に生きる母の姿に、石原さんは「残された時間は、母にとって『晴れ舞台』であった」と振り返る。

執筆/石原壮一郎

1963(昭和38)年三重県生まれ。コラムニスト。1993年『大人養成講座』(扶桑社)がデビュー作にしてベストセラーに。以来、「大人」をキーワードに理想のコミュニケーションのあり方を追求し続けている。『大人力検定』(文藝春秋)、『父親力検定』(岩崎書店)、『夫婦力検定』(実業之日本社)、『失礼な一言』(新潮新書)、『昭和人間のトリセツ』(日経プレミアシリーズ)、『大人のための“名言ケア”』(創元社)など著書は100冊以上。故郷を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。

 * * *

「まだ旅立ってもらっては困る」

 母の人生が、いよいよ終盤に入ってきた。2月上旬に「ステージ4の大腸がん」と診断されてから、およそ3か月半。母はベッドから起きられなくなった。

 起きられなくなってから旅立つまで、およそ1か月。母は残された力を振り絞って、毎日を懸命に生きた。予想もしていなかった嬉しい出来事も、たくさんあった。母にとって介護ベッドの上は、華やかな「晴れ舞台」だったと言えるだろう。

 起きられなくなった直後の6月初め、主治医の先生から「あと一週間ぐらいかもしれません」と告げられた。急激に体力が衰えた様子から「その日」が遠くないとは感じていたが、まだ旅立ってもらっては困る。

 病気がわかってから、母が40年以上にわたって続けてきた新聞やラジオへの投稿をまとめた冊子を作り始めた。本人も「楽しみやな。みんな、なんて言うてくれるやろな」と待ち望んでいた冊子が、まだ完成していない。

 6月5日の昼前、無事に『アッコちゃん――石原昭子投稿集』100冊が届く。私もホッとしたが、母もホッとしたことだろう。小さな声で「ありがとう」「嬉しいなあ」と言ってくれた。表情を作る筋肉はほとんど動かすことができなかったが、冊子を手にした母は、間違いなく「満面の笑み」を浮かべていた。

 大事なのはここからだ。その日のうちに、母が元気だった頃に書いた挨拶状とともに、レターパックで発送。あらかじめ妻が、母が作ったリストを元に宛名を書いてくれていた。仲良くしてくれていたご近所や町内の人たちには、直接「こんなん作ったんで、よかったら読んでやってください」と渡した。どの人も子どもの頃からの顔見知りだ。

 受け取ったほうは、何ごとかと戸惑うに違いない。状況を伝えるために、冊子を作ったいきさつを書いた手紙も添えた。〈石原昭子の息子の石原壮一郎と申します〉と名乗ったあと、いきなり〈母は現在、自宅に設置された介護用ベッドの上で、83年の人生の最後の時間を静かに過ごしております〉と、ちょっとビックリな“近況報告”で始まる

 締めも〈もしよろしければ、たまにこの『アッコちゃん』をめくって、母の顔を思い浮かべてやってください。これからも末永く、石原昭子をよろしくお願い申し上げます〉と、あらためて読み返すとずいぶんウエットだ。淡々と書いたつもりではあったが、それなりに張り詰めた心境だったのかもしれない。

冊子が届いて友人や縁者が次々に見舞いに訪れた

 冊子が届き始めると、友人や親戚が立て続けに母を案じる電話をかけてきてくれた。電話が20件を超えた日もある。母が目を覚ましているときは、コードレスの受話器をベッドに持っていった。相手に心配をかけたくないのだろう。受話器を向けると、母は「もしもーし」とせいいっぱい大きな声を出した。

 スピーカーからは「元気そうで安心したわ」といった声が聞こえてくる。だが、第一声で大半のエネルギーを使い果たした母は、そのあとは力のない声で相づちを打つのが精いっぱいだ。適当なところで私が電話を代わって、母の状況を説明した。会ったことがない母の友人と、そのまま長話になることもあった。それもまた楽しい思い出である。

 お見舞いにも、昔からの友人や近所の人、遠くに住む孫やひ孫らが次々と訪れてくれた。100キロ以上離れた名古屋から、同級生同士で車に乗り合わせて来てくれた人たちもいる。自宅で過ごせてよかったのは、たくさんの人にお見舞いに来てもらえたことだ。病院だと何かと制限があったり、どうしてもハードルが高くなったりする。

「弱った姿を見られたくない」とお見舞いを断わるケースもあると聞くが、母はそういうことは言わなかった。「会えるうちに」という思いがあったのだろう。お見舞いに来てくれた人たちと思い出を語り合ったり何てことない話で笑い合ったするのは、とても楽しかったに違いない。私たち家族も「貴重な時間」をたっぷり過ごしてほしいと願っていた。

地元紙の取材を受け、一面を飾った

 地元紙の『夕刊三重』の記者さんから電話があったのは、『アッコちゃん』が出来上がった数日後である。母の投稿を180本も掲載してくれて、冊子の中に紙面も大量に載せさせてもらっているので、個別に書いたお礼の手紙を添えて献本してあった。

「ぜひお話を伺いたい」とのこと。断わる理由はない。最初に提案された取材日は一週間ほど先だったが、母はいつ何があってもおかしくない状況である。「早いほうがいいかもしれません」と隣りの部屋の母に聞こえないように小声で告げて、翌日にしてもらった。

 新聞の取材を受けて自分のことを語るのは、母にとって初めての体験である。記者のMさんも、寝たきりの高齢者に取材する機会はめったにないだろう。ベッドの横に座ってゆっくりと丁寧に、冊子が完成したときの気持ちや、投稿に込めてきた思いを聞いてくれた。母も、声を振り絞ってしっかり受け答えしている。

 記事が掲載されたのは、取材の翌日。配達のバイクの音が聞こえるや否や玄関に走って、新聞受けから取り出した。なんと一面のトップ記事である。ここまで大きく取り上げてもらえるとは思わなかった。冊子のことや母のこれまでのこと、投稿への思いがあたたかい筆致でまとめられている。母にとって、こんな嬉しい「ごほうび」はない。

大ファンである落語家の来訪

 サプライズは、『夕刊三重』の一面に掲載されたことだけではなかった。母は何十年も前から、落語家の桂文我(4代目)さんの大ファンである。文我さんは松阪市出身で、幅広い教養に裏打ちされた味わい深い語りが高く評価されていて、全国に多くのファンを持つ。母の実家の隣りの町で生まれ育ち、今もその町にお住まいである。

 母は三重県内で文我さんの落語会があると、同じく文我さんのファンである友だちのえっちゃんといっしょに駆け付けていた。病気がわかって退院したあとの4月初めにも、妻と私と3人で隣りの津市のホールに【桂文我の「古事記」を語る落語会 特番】に出かけた。『アッコちゃん』にも、いくつか文我さんのことを書いた投稿が載っている。

「追っかけ歴」は長い母だが、アイドルのように握手会があるわけではないので、直接お話したことはない。私は縁あって、何度かお仕事でご一緒させてもらったことがある。これまで母の「推し」でいてもらったことへの感謝を込めて、その旨を綴った手紙を添えつつ『アッコちゃん』を献本した。

「隣りの町で生まれ育った『石原昭子』というファンがいたことを頭の片隅に止めてもらえたら」ぐらいのつもりだったが、人生、何が起きるかわからない。なんと、文我さんがお連れ合いの益美さんと一緒にお見舞いに来てくださった。驚き過ぎて、あたふたしたご挨拶しかできなかった気がする。

 母に「文我さんが来てくださったよ」と伝えると、起きられないベッドから飛び上がらんばかりの勢いで「えっ!」と声を上げていた。文我さんは「いつも落語会に来てくださってありがとうございます」と言って、共通の母校である小学校や周囲の山々のことなど共通の話題をたくさん振ってくれた。母にとって、どんなに嬉しい時間だったことか。

 もちろん、お見舞いに来てもらった嬉しさやありがたさは、誰に対しても同じである。たくさんの励ましやあたたかい言葉が、母に生きる気力とエネルギーを与えてくれた。おかげさまで、6月頭の「あと一週間ぐらい」というお医者さんの見立てを大幅に超えて、そこから1か月もがんばることができた。母に心を寄せてくださった方たちと、適切なケアをしてくださった医療・介護関係者のみなさんには、深く深く感謝している。

 母は介護ベッドに寝たまま、遠くない幕引きに向けて充実した日々を送った。「今できること」を全力でやり遂げる姿を通して、私たち家族も大切なことをたくさん教わった。病気に対する泣き言や恨み言は一度も聞いていない。最後まで「自分らしさ」を貫いた母だが、7月2日夕方、その頑張りにもとうとう終止符が打たれた。

つづく。

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