《腎盂がんが肺にも転移、ステージ4に》78歳の現役医師が闘病を通して語る生き様「がんや病気の治療はやる前からあれこれ考えず、そのときそのときで向き合っていけばいい」
がん告知の瞬間から、不安との葛藤は始まる。だが今こそ、闘病を経験した者の言葉に耳を傾けてほしい。横倉恒雄さん(78歳)は、ステージ4のがんを治療しながら、現在も医師として働き続けている。「病気があっても心が元気なら、人は“健幸”に生きられる」と、笑顔で語る医師の生き方に迫る。
教えてくれた人
横倉恒雄さん
よこくら・つねお。医学博士/心療内科・婦人科・内科医。横倉クリニック(港区芝)院長。100歳を超えても医師として医療現場に立ち続けた、故・日野原重明先生に師事。病名がない不調を訴える患者にも常に寄り添った診療を心がけ、東京都済生会中央病院に日本初の「健康外来」を開設。
検査を欠かさず行っていたのに、突然のがん告知
がんが発覚したのは2021年7月。それまで、横倉医師は体調に一切の不安なく過ごしていた。診療のない時間帯には茶道、ヨガ、ジム通いを楽しむなど、充実した日々を送っていた。父を膵臓がんで亡くしていたこともあり、毎年春にMRIや胃カメラ、大腸ファイバーなどの検査を欠かさず受診していたそうだ。そんなある日、茶道の稽古の途中でトイレに行くと、何の前ぶれもなく突然血尿が出た。
「医師という職業柄、この血尿ががんの症状であることはすぐにわかりました。その日のうちに泌尿器科を受診し、CT検査の結果、腎盂(じんう)がんと診断されました。『なぜ自分が、がんに?』と動揺することはなく、冷静に受け止めることができましたが、“ステージ3”という診断にはやはり驚きましたね。これまで大きな病気をしたことがなく、3か月前の健診でも何ともなかったんですから」(横倉医師・以下同)
腎盂がんステージ3の5年生存率は、約60%。告知を受けてすぐ、家族とごく親しい人のみに連絡し、自身のがんを知らせたという。その日のうちに1か月後の入院や手術日のスケジュールを決め、翌日には、自身の病院のスタッフにも報告した。
告知直後から体力作り、好物で活力を養う
がんの診断をされた直後から、積極的に体力作りに励み、好きなものを食べるなどして自らの活力を養ったという。栄養状態は治療後の回復力に影響するからだ。
淡々と対処するのは医師ならではのように見えるが、治療中や入院中は、不安や恐怖と闘っていた。
「手術直後は調子がよく、手術の翌日には病室内を10周も歩いて、担当医を驚かせたりしていたんです。でも、術後ICUにいた時はとてもつらかった。術後は、昼間ずっと麻酔で眠っているので、夜眠ることができないんですよ。これが一番不安に感じた時間帯でした 。
抗がん剤の投与を行うかどうかを決めるための病理診断が下る前にも、強い不安に襲われました。生活が一変するかもしれないという不安を抱いていたからです」
「自分のやるべきことは変わらない」不安に飲まれない心の保ち方
左腎臓と尿管の摘出手術を受けたのち、3クールに及ぶ抗がん剤治療を副作用もなく終えた。しかし治療から半年後、肺に5ミリの転移が見つかり、がんはステージ4へ進行していた。即座に肺の一部を切除。入院期間は最短7日間の予定だったが、術後4日で退院し、その日の午後から診療に復帰した。
闘病中、不安を感じることはあっても、決して飲み込まれることなく前を向き続けた。その強さの源とは何だったのか。
「強い不安に襲われた翌日、朝起きてふと気づいたんです。『どんな診断になろうと、これから自分のやるべきことは変わらないじゃないか』と。
脳や気持ちは体とは別であり、抗がん剤は、また元気に動ける体になるための治療のひとつ。“自分のすべて”でもなければ“人生の目的”でもない。自分の人生にとっては、ただの手段なんだとわかったんです」
医師・患者としてのがん治療への姿勢
医師でありながら、自身の病気について一切調べることをしなかったという横倉医師。患者であり医師でもあるという立場から、がん治療に対してどのような考えをもっているのか伺った。
「治療法に関しては、主治医に任せていました。自分自身の病気に関して、不安になりかねないような情報は要らないと思っていたからです。
私は、抗がん剤治療の副作用が少なく済んだのですが、当時、医師会の講演会に参加した際、がんの専門医に自分の経験について質問したところ『横倉先生のように、自分のやるべきことややりたいことをやって、これからの人生に夢を持ちながら治療している人は、抗がん剤の効果が出やすいし副作用も出にくくなるんですよ』という回答をもらいました。
それを聞いて、『自分の考え方は、がん治療に対してよい影響があったんだな』と思いました。病気や治療に重きを置いてしまうと、それが自分のすべてになってしまいます。すると免疫力や抵抗力が弱くなって、治療の効果が出にくくなったり、薬の副作用が強く出たりするのではないかと私は考えています。がんになると、仕事をやめて治療に専念する人もいると思いますが、実際に闘病した身としても、医師としてもそれは絶対おすすめしません」
横倉医師は、自身のがん治療においても心療内科医としても一貫して、“病気も治療も、自分のすべてではない”、”病気があっても、脳が前向きに楽しく過ごせていれば健幸(けんこう)である”という考え方を貫いている。その考え方は、医師であるかどうかに関係なく、私たち一人ひとりが持っていたい価値観である。
病気を嘆かず、今日を精一杯生きる
がんに罹患したことによって、自分自身の人生に大きな変化があったのか伺ったところ、あっけらかんとした笑顔で「何も変わっていないですね」と断言した。
「私は常に出たとこ勝負なんです。“目の前に何か問題が起こったら、都度『どう捉えたら自分が幸せでいられるか』を考えるようにしています。たとえば、雨が降りそうな日に『傘を持っていくかどうか』で悩むより、降ってきたらその時考えればいい。そんな感覚に似ています。がんや病気の治療も、やる前からあれこれ考えず、そのときそのときで向き合っていけばいいと思っているんです」
明るく語る横倉医師だが、困難が起こった時には最大限の努力をするという。
「入院した際は、体力が落ちるのが怖かったから、病院内を少しでも歩いたり階段を登ったりして体力が落ちないようにしました。自分の体に対していいことをするための努力は惜しみません。
しかしながら、抗がん剤治療をしていると、だるさを感じることもありました。そんな時には30分くらい横になって休み、無理を強いない。自分の体の声を聞きながら行動することは、自分の体のバロメーターにもなっていました。今日はちょっと調子が悪い、今日はわりと動ける、といったように。そうすると自分の体の状態もよくわかります」
小さな努力の積み重ねが困難を乗り越える力になる
横倉医師は、取材のなかで何度も「努力」という言葉を使った。その努力はすべて、“人生を楽しむための努力”だという。日々の小さな努力を積み重ねる姿勢は、困難を乗り越える力——いわゆる“レジリエンス”を高める要因ともされている。実際、治療や日常生活のなかで、楽しみながら努力することの成果が発揮されていた。
「私が考える努力とは、常に、どんな状況に置かれてもいい状態に自分を保つこと。普段から『精一杯やるべきことをやって、やりたいことも思いっきりやって、楽しく過ごそう』という覚悟を持って生きていれば、どんなことが起きても毎日が幸せに感じられるんです。がんになってから特にこの思いが強くなりました。
毎晩、『今日、自分は一生懸命に生きたかな?』と自分に問いかけるんです。この振り返りは、病気になってから毎日の習慣になりましたね。幼い頃から父に『なんでも一生懸命にやりなさい』と言われていたことが、心の奥底にあるのかもしれません」
横倉医師の表情は穏やかだが、その言葉には深い実感がこもっていた。病気と向き合いながらも、前向きに生きる先生の姿勢からは、多くの人が学ぶべきものがある。限りある時間だからこそ、一日一日を大切に、精一杯生きることの意味を、横倉医師は身をもって教えてくれる。
“健やかに生きることは、健やかに死ぬことである”。病気や悩みを抱える患者と接し続けるなかで、以前から“健やかな死”という死生観について考えていたという。
「健やかな死とは、死ぬまで生き生きと楽しく生きること。がんは、心筋梗塞や交通事故等のようにいきなり死がやってくるわけではなく、この先の人生を改めて考える時間が与えられるものです 。これから先の生き方、自分の死に方すら演出できるわけです。どんな風に死を迎えるかを考えることで、今どうやって生きるかが自然と見えてくる。これまでの医師経験や人生のなかで、強く感じてきたことです」
病気があっても“健やかで幸せに”生きる
現在闘病中の人やその家族に向けて、横倉医師からこれだけは伝えたいという思いを伺ったところ、笑顔で力強い即答が返ってきた。
「がんや病気の治療は、あくまでも“人生を楽しむための手段”のひとつにすぎないと、私は考えています。人生の目的は、病気を治すことや健康になることではなく、自分が本当にやりたいことをして、今、生きている命を感じて、生き生きと過ごすことにあるはずです。
だからこそ私は、『健康』という言葉をあえて“健幸(けんこう)”と表現しています。たとえ病気を抱えていても、心が満たされていれば人は“健幸”でいられる。逆に、病気がなくても心が満たされていなければ、本当の意味で健康とは言えません。
私自身、常に『この生き様を見ろ』というくらいの気持ちを根底に持って、毎日を過ごしています。どんな状況にあっても、“かっこいい自分”であろうとすること。それが、人間本来の生命力や活力を引き出すことにつながるのではないでしょうか」
病気があっても、自分の人生を前向きに楽しく生きる―― その明るさと強さが、クリニックに診察に訪れる多くの患者の支えになっているようだ。
取材・文/夏野新