認知症グループホームで訪問理美容を利用した80代女性「嘘でしょ?」介護職員が言葉を失った衝撃のヘアスタイル
認知症グループホームで働く作家で介護職員の畑江ちか子さん。「グループホームは認知症のかたの自立支援が目的。認知症は軽度のかたも多く、入居者同士や職員との心の交流も生まれます」と畑江さん。そんなホームの日常生活の中で入居者が楽しみにしているのが「訪問理美容」だという。
執筆者/作家・畑江ちか子さん
1990年生まれ。大好きだった祖父が認知症を患いグループホームに入所、看取りまでお世話になった経験から介護業界に興味を抱き、転職。介護職員として働きながら書きためたエピソードが編集者の目にとまり、書籍『気がつけば認知症介護の沼にいた もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ)を出版。趣味は乙女ゲーム。
※記事中の人物は仮名。実例を元に一部設定を変更しています。
長い髪を三つ編みにしている80才の女性入居者
「伊藤さんて、ラプンツェルみたいですね」
「ラプ…なんだって?」
「塔の上のラプンツェルって映画、知りません? ディズニーの」
「知らないねぇ」
伊藤マキ子さん(80才)が入所された日、私たちはこんな会話をしました。私が彼女をラプンツェルと言った理由は、その髪型にありました。お尻の下まで届く灰色の長い髪を、きれいに三つ編みにされていたからです。
私が働くグループホームの入居者さんたちは、女性も男性もそれほど髪の長い人はいませんでした。長くても、耳の下くらい。それもあって、伊藤さんの髪型はなかなかに新鮮だったのです。
入所してからの約3か月ほど、三つ編みに造花を挿して写真を撮ったり、ハート型に追った折り紙をヘアゴムに挟んでみたり、いつもよりちょっと高いところで結んでみたり…。職員と伊藤さんは、彼女の長い髪で色々なアレンジをして楽しんでいました。
そのたびに伊藤さんは「自分の髪の毛がこんなにもてはやされるなんて、思ってもいなかった」と照れくさそうに笑っていました。
3か月に1度の「訪問理美容」
「次の床屋さん、どんなふうにします?」
「うーん、毛先が傷んでるから切ってもらおうかな…」
「長さは変えずに?」
「そう、長さはこのまま。どうかな?」
「いいと思いますよ! サラサラにしてもらいましょう」
床屋さんというのは「訪問理美容」のことです。
入所希望のご家族様から「ヘアカットは介護士さんがやってくれるのですか?」としばしば質問をいただくのですが、介護士は散髪のサービスを提供することはできません。なので、3か月に1回ほどのペースで訪問理美容のかたに来てもらい、入居者の散髪をお願いしています。
もちろん、カットだけでなく、パーマやヘアカラー、眉カット、お化粧などのメニューもあります。どのメニューにするかは、意思決定ができるかたにはご本人様に選んでいただきます。ご自身で選べない場合はご家族様にご相談して決めていただきます。もちろん「今回は受けたくない」というのもアリです。ちなみに、費用は実費となり2800~6000円ほど(メニューにより)。
初めての訪問理美容で…
伊藤さんは軽度の認知症で、ご自身で希望を出せるのですが、入所後初回ということもあり、ご家族様(息子さん)に連絡し、その内容で問題ないか確認を取ることにしました。
「床屋さんですか…。本人の希望通りで良いとは思うのですが、ちょっと電話代わってもらえますか?」
息子さんがそうおっしゃるので、私は伊藤さんに電話をお繋ぎしました。15分ほどすると、伊藤さんが私のもとへやってきました。
「息子さん、床屋さんのこと何か言ってましたか?」
「うん、久しぶりだからさっぱりしてもらいなって」
伊藤さんは笑って言いました。そして、リビングで塗り絵を始めました。私たち職員が用意した、ディズニーのラプンツェルの塗り絵でした。
お風呂場が心地よい美容室空間に
待ちに待った理美容の日がやってきました。
訪問理美容のかたが施設へ到着するのはだいたい朝9時頃。8時に朝食を開始し、口腔ケア、排泄介助、バイタル測定…とやらなければならない業務は変わらないので、この日はいつもバタバタ。夜勤明け職員といつも以上に連携を取りながら、なんとか9時過ぎからの理美容開始に間に合わせます。
パーマやカラーのお客様もいらっしゃるため、施術はいつもお風呂場を利用して行っていただきます。
脱衣所の洗面台にはサテンのクロスが敷かれ、その上を季節の造花が彩ります。浴室にはシャンプー台が設置され、なんとアロマポットまで登場! プロの手にかかれば、施設のお風呂場も“非日常のリフレッシュ空間”に早変わりです。
「準備完了です! さあ、どなたからいきますか?」
美容師さんから開幕の合図!トップバッターは、カット・カラー・パーマのフルコースをご希望の女性入居者。時間がかかるかたからのご案内になります。
理美容は滞りなく進み、眉毛を整えてもらってビシッとした印象になった男性入居者、おかっぱ風のシルエットがつるんとしたボブになって可愛らしくなった女性入居者…美容師さんの腕が唸り続けます。
「はい、次のかたどうぞー!」
いよいよ伊藤さんの番です。
「伊藤さん、どんな感じにするかご自分で美容師さんにお伝えできますか?」
「はい、できますよ」
「どんな感じになるか楽しみにしてますね!」
笑顔の伊藤さんを美容師さんに託し、私はその場を離れました。
伊藤さんの豊かなロングヘアが!
約20分後。美容師さんから「伊藤さん終わりました、次のかたどうぞ!」と声がかかりました。
長さは変えないと言っていたから、そんなに大きな変化はないだろうけど、もしかするとレイヤー(段)を入れてもらったりして、ちょっと動きが出るような感じかな? でもそうなると三つ編みをするときに毛が跳ねて出てきちゃうかも? などと考えながら、私はお風呂場まで伊藤さんを迎えに行きました。
「どうかな…」
はにかむ伊藤さんの姿に、私は言葉を失いました。その髪は、うなじが見えるほど短くなっていたのです。
「あっ、あれっ、伊藤さん、凄い短く…。すみません、美容師さん、これってご本人様のご希望でしたか?」
「はい、ご本人様より、うなじが見えるくらいまで短く、というオーダーで…」
「そうそう、私が言ったのよ」
何日か前に、造花を挿したり櫛を入れたりしていた髪が、足元に横たわっていました。私はその灰色の束が、ちりとりにまとめられてゆくのを呆然と見ていました。
「息子にね、電話で言われたの。施設の職員さんたちの手間になるから、髪の毛は短くしろって…」
リビングまでの帰り道、伊藤さんはそんなことを話してくれました。
たしかに、長い髪の毛を持つかたはケアに時間がかかります。洗髪、ドライヤー、絡まないように櫛を入れる、清潔の保持も、大変といえば大変です。
「伊藤さんは、髪の毛短くするの何年ぶりですか?」
「そうねえ、主人が死んでから切ってないから、もう7、8年ぶりかな?」
「じゃあ、思い切ったイメージチェンジですね。気に入ってます?」
「うん、頭が軽くなって悪くないわ」
それにしたって、何もそんなに短くしなくても…と思いましたが、切ってしまった髪の毛は元には戻りません。
実際、ショートカットの伊藤さんは新鮮でした。顔が小さく、線が細い方だったので、全体がとてもミニマルなシルエットになり、とても似合っていました。
「長い髪を…」胸が締め付けられる
「本人が気に入っているならそれでOK」と思うべきなのですが、「もうお花を挿したり、三つ編みをしたり、ラプンツェルごっこをして遊ぶことはできないのか…」と、少し寂しい気持ちでした。
かつて特別養護老人ホームの入居者は、男性は坊主かスポーツ刈り、女性はサイドと後ろを刈り上げた短髪にするのがお決まりで、「特養カット」とも呼ばれていたそうです。介護者の負担軽減や衛生面からのことだったと思いますが、現在の介護現場では、本人の希望と個性を大切にし、それぞれに合った髪型にするのが主流です。
もしかすると、伊藤さんの息子さんは私たち介護職員の負担をとても、とても気にしてくれていたのかもしれません。そのお気持ちはありがたかったのですが、女性が長い髪の毛を手放すとき、どれほどの思い切りが必要か…。それを考えると、胸がギュッと締め付けられる思いでした。
「ねー、お姉さん」
「なんですか?」
「私、ちょっとツイッギーみたいじゃない?」
リビングの鏡の中で、柔らかく笑う伊藤さんと目が合いました。
もしかすると、彼女は私の心を読んでいたのかもしれません。お恥ずかしい話ですが、泣きそうになりました。
「本当だ! 伝説のスーパーモデルがどうしてここに!?」
「バカね、冗談よ。恥ずかしいでしょ、もう」
そして、伊藤さんはリビングで静かに塗り絵に没頭されていました。いつものラプンツェルの塗り絵です。
それから数か月経ち、ショートカットの伊藤さんにもすっかり見慣れました。とても似合っているし、「髪を洗うのが楽になっていいわ」とおっしゃることもあります。
けれども、私は髪の毛が長かったころの伊藤さんのことを、いつまでも覚えていようと思いました。伊藤さんの認知症が今よりも進んで、たとえ本人が忘れてしまったとしても。
三つ編みに造花を挿したラプンツェルの写真を見返しながら、そんなことを思いました。

畑江のつぶやき
誰しも自分の気に入った髪型でいつまでも心地よく過ごせますように…
イラスト/たばやん。