ALSの妻を自宅介護の夫、ストレスで外をさまよった4時間
希実枝さんのような重度障がい者の場合、市区町村に『重度訪問介護時間』の申請をすることになる。『重度訪問介護時間』は介護保険利用者である希実枝さんに適正と思われる時間を割り当て、その時間を使ってヘルパー事業所からヘルパーを派遣してもらう仕組みになっている。真さんは区役所の障害福祉課に行き、その申請をした。
実は真さん自身もうつ状態とそう状態を繰り返す双極性障害、睡眠障害、脊椎管狭窄症などさまざまな病気を抱えている身だ。
「妻以外の家族がおらず、介護を助けてくれる人もいない。24時間、ヘルパーが必要な状態なのです」と訴えたのに、区側が出してきたのは、たった「月24時間」の回答。真さんはあまりのショックで、その場で泣き崩れてしまった。
こんなに毎日大変なのになぜ分かってくれないのだ――
「在宅介護が始まってすぐの頃は、ヘルパーさんがいない時間があってもやっていけました。夜間は私が妻のベッドの傍で寝て、何かあったら面倒をみていましたので、まだ楽でした。昼間ヘルパーさんが来てくれるときは、仕事にも出かけられました。ところが病状が進んで、24時間見守らなくてはいけなくなりました。私も毎晩ずっと起きてはいられないので、夜にもヘルパーさんの力が必要になったのです」
区役所からは、足りない分のヘルパー代を自費負担するようにと言われてしまった。当初は真さん自身での介護と、自費でヘルパーを雇うことで対応していたが、出費は増える一方だった。
その後、ヘルパーの必要性を詳しく説明し、何度も掛け合い続け、重度訪問介護時間で245時間、524時間、そして704時間に増やしてもらうまでに丸3年がかかった。
ヘルパーとはタオルの収納の仕方も違う
現在、1週間にヘルパーは延べ12人やってくる。ヘルパー派遣の会社、訪問看護の会社、在宅診療の医療法人など、合計7事業所が介入して在宅介護体制を支えている。
「妻の文字盤を読み取ることができて、熱心なヘルパーさんの手配を、事業所にお願いします。ヘルパーさんがいなければ在宅介護は回らないのですが……」と前置きしながら真さんは言葉をにごした。
真さんは他人であるヘルパーが入れかわり立ちかわりやってきて家にいることが苦痛なのだという。タオルや衣料の収納の仕方も自分とは違う。洗面所で着替えているときに、ヘルパーがやってきてしまうこともある。ヘルパーがいなければやってはいけないことは分かっているけれども、今まで夫婦ふたりだけの生活をしてきただけに、おかれている状況がしんどい。ヘルパーに来てもらっている多くの家族が抱える問題でもある。
介護をしていると、ストレスもたまる。時には介護殺人、DVや虐待事件の話も聞くが、真さんは「そういう人たちの気持ちも理解できる」という。実際に真さんもいっぱいいっぱいになってしまった経験がある。そのときは何も言わずに黙って家を離れて、4時間外にいた。
「体が拒否してベッドの傍に寄れなくなってしまったのです。もう本当に嫌で嫌で……。最後はそんな仕打ちをした自分の冷たさに嫌気がさし、我慢ができなくなって家に戻ったのですが。精神的な苦痛が知らず知らずのうちに、たまっていったのです」
一日中妻の介護の手配やスケジュール調整。そして仕事。ストレスがあって夜眠れない。睡眠導入剤を飲みたいが、飲んでしまうと起きられなくなるのが怖くて飲めない。精神科にかかると「明らかにストレスからくる症状が出ています。奥さんと共依存になっているので、家から離れて過ごせる部屋を借りたりしたほうがいい」と言われた。
「思いっきり仕事がしたい。本が読みたい。音楽が聴きたい。自分の人生を取り戻したいと思ってしまうこともあるのです」
医療ジャーナリストの油井香代子さんは、介護する家族には抱え込まないで助けを求めることをすすめる。
「特に50代60代の介護者の場合、70代以上と違って、なんとか自分でできると思ってしまうことが多い。実はこの年代は精神的にも不安定で、多くの中高年が介護によってメンタルヘルスを悪化させてしまっています。
今は広がってきているのは『社会的介護』という概念です。北欧などでは、介護はプロがするものと考えられています。家族が支えるという従来の考えにしばられるのではなく、社会の制度を利用し、助けを求めていくことが必要でしょう」
母の遺品整理をしていて、異様なだるさが
希実枝さんの介護が始まると、時同じくして、実母(当時87才)は一人暮らしができない状態になった。本人の国民年金と亡父の遺族年金で入居料・月額利用料が支払いできるケアハウス(経費老人ホーム)に入所した母を日帰りで何度も訪ねた。
認知症の症状も出てきていた。きちんと検査してみると、胃がんでステージ4。高齢のため手術しない道を選んだ。施設では看取りもしてくれるとあって、寮母長に母の世話を委ねた。もしものことがあった場合も考えておかなければならなかった。妻を病院に預けて母の元になるべく早く来る。病院から死亡の連絡が入ったら、葬儀社、寺の住職に連絡して枕経をあげてもらうなど、細部まで手配しておいた。
「実際に母が亡くなったときは、病院に妻を入院させて、通夜・告別式の準備にやっと間に合った状態でした。妻の病気が進行性だったおかげでしょうか。先回りして、こうなったときには、こう対処しようという仕組みを作っていたからこそ、なんとかなったのだと思います」
翌日、真さんは実家で一人母親の遺品の整理をしていた。すると異様な身体のだるさを感じ、尿がまったく出なくなり、腹部がパンパンに張ってしまった。腹痛を覚え、携帯電話で救急車を呼んだ。肺炎と前立腺炎で、高熱が出ていたという。
医師は「介護ストレスが原因」とし、長期の入院をすすめたが、希実枝さんのことが心配で翌日には退院。尿道カテーテルをつないだバッグをベルトに提げ、コートで隠して新幹線に乗って帰京した。体も心もボロボロだった。
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取材・文/樋田敦子