シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<6>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さん。60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」の連載が始まりました。
若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂『セント・デイヴィッズ』にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、長年、セント・デイヴィッズを訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
飛行機、列車を利用し、旅は順調に進む。ハーバーフォードウェストからは、バスで移動。セント・デイヴィッズを目指す、道中の町並みを見ながら、古の人々が大聖堂セント・デイヴィッズへの巡礼の旅をしていた姿に思いを馳せる。そして、バスは無事に目的地に到着し…。
→第1回を読む
→第2回を読む
→第3回を読む
→第4回を読む
→第5回を読む
lll さあ、西へ。古(いにしえ)の大聖堂へ<3>
●バスは運転手の後ろの席に座るというコツ
岬道、坂道を猛スピードで上り、411のバスが走る道は平たんになってきた。
ハーバーフォードウェスト駅のバス停を出発してそろそろ30分、セント・デイヴィッズは近い。町の家もぽつぽつ見え始めた。
ただ、私は終点のセント・デイヴィッズまでは行かない。その一つ手前のバス停、セント・デイヴィッズ・スクールで降りるのだ。
ここには今日泊まるベッド&ブレックファースト(B&B)のティー・ヘリグ(Ty Helyg)がある。ウェールズ語で柳(Helyg)の家(Ty)という意味だ。
私はB&Bに泊まるのが初めてなのでちょっとどきどき、というか、興味津々である。
心配なのは、グーグルアースで見る限りセント・デイヴィッズ・スクールのバス停は、この宿のほぼ真ん前にある。このままだと私のティー・ヘリグの到着時間は13時30分頃になる。日本からの予約で調べた限り、ここのチェックインは14時からということであり、少し早く到着することになる。まあ、スーツケースだけ置かせてもらって、そのままセント・デイヴィッズ大聖堂へ向かへばいいだけのことだ。
ただ、またまた面倒なことがある。こっちのバスは電車と違って車内アナウンスをしないし、デジタルで次の停留所が表示されることもない。要するに私は自分が下りるバス停セント・デイヴィッズ・スクールがわからない。
当たり前だ。初めてくるのだから。
いま停車したバス停の次なのか、もっと先なのか。町に近づいてきていたので、バス停も多くなりブザーを押して降りる乗客もチラホラ出てきた。もちろん、こういうことは織り込み済みだったので、私はバスの後ろの席ではなく、運転士の斜め後ろ、つまりかなり前の席に座っていた。
すぐに運転手に、降りるべきバス停は次かどうか聞くことができるように。これは今回のウェールズ行きを通じて、私がバスに乗るときの座り方である。聞くに勝る方法はないのである。
●一人旅に英語能力は必須条件
お世辞にも流暢とはいいがたいが、私は英語が喋れる。旅で必要となるような英語は無論、込み入った会話もそれなりにできる。特に専門の英国史、とりわけ英国中世史につては、知識と語彙は下手なイギリス人より豊富である。
だって、前にも言ったが、私はあの伊藤博文や井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助、いわゆる長州ファイブや、夏目漱石、ガンジー、小泉純一郎が留学したUCL、すなわちロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドンの史学科大学院中世史専攻修士課程(University College London, M.A.in Medieval Studies)に在籍し、プレゼンテーションをたっぷり行い、論文を書き、無事MA(Master of Arts)を修得した人間である。
発音は決していいとはいえないが、バスの運転手に「セント・デイヴィッズ・スクールのバス停はまだか。私はそこで降りるのだが、まだのんびりしていていいか。あるいはひょっとして次のバス停か」くらいは英語で言える。
だいたい、英語ができなければ一人でウェールズに行こうなんてそもそも考えない。
旅とはこちらからのアクションがなければ、面白い人たちと出会えないし、思わぬ収穫もない。ただ傍観しているだけでは得られるものは少ない。流暢である必要はない。しかし、一人でイギリスに行くのに、ある程度の英語力がなければ話にならない。危険も回避できない。ツアーならそういう心配はないが、既述のごとく、いまのところ日本の旅行会社が積極的にウェールズのツアーを組む気はなさそうだ。これはこれで残念ではある。一人で行くとよろず、高くつくからだ。
●ティ-・へリグ(Ty Helyg)
運転手に聞いたおかげで、バスはちゃんとセント・デイヴィッズ・スクールで停まってくれた。
彼に礼を言い、バスを降りる。降りたのは私だけ。さて、と、ぐるりとあたりを見回す。
あった、ほんの目の前に、ティー・ヘリグ! 柳の家! 手書きで”Ty Helyg”と記された木の看板が掲げられているので一目瞭然だった。
ふつうの家。こぢんまりとした、とても可愛らしい家である。いま13時25分。チェックインには30分以上早い。とにかく中に入ろう。荷物だけでも預かってもらえればいい。
ドアを開ける。「ハロー」と宿の主人を呼ぶ。やや、間が開いて宿のキッチンのほうから背の高い、感じのいい五〇代後半ぐらいと思われる男性が出てきた。ティー・ヘリグの主人、グレッグだ。
私は、第一印象で人を判断するタイプだが(実際、こういう人がほとんどだと思う)、彼は何というか、もう、会った瞬間から、ああ、この宿にして良かったと感じさせるほど、善意と親切心のオーラが体中から出ているような人だった。
私は今日の宿泊を予約している者だと、自分の名前を言い、チェックインには少々早くついてしまったようだが…と、しかし、このくらいだったらチェックインさせてくれてもいいんじゃない?と暗に匂わすようなニュアンスで尋ねた。
するとグレッグは「おお、どうぞ、どうぞ、なんの問題もない。ようこそ!」と素敵な笑顔で、すっと私を中に案内してくれた。ああ、なんという有難さ。いい人!
もしも彼が杓子定規に、「いやうちは2時からだから、荷物はとりあえず預かるが、時間がくるまで待っていてくれないか」とでも返して来たら、もちろん私はそのままスーツケースだけ置いてセント・デイヴィッズ大聖堂に向かっただろうが、ずっと移動してきて、おまけに昨晩よく眠れなくてちょっと一息つきたかっただけに、この宿に対するあとあとまで、もちろんいまも残っているこれほどまでの好印象は、たぶん生まれてこなかっただろう。
●最高の主人
とにかくグレッグの最初のこの言葉は、ただでさえ話好きな私の心を一気に解き放ってくれた。
私はまず通されたこの宿のキッチンで、紅茶を出してくれた彼に一気に話しかけた。
セント・デイヴィッズに来たくて仕方がなかったが、やっと来られたこと。私はヒストリアン(歴史家)で、この大聖堂にゆかりのある聖職者ジェラルド・オブ・ウェールズに会いに来たこと。私は日本でそのジェラルドの生涯を書いた本を出していること。もちろんその本は日本の読者向けだから、日本語で書かれていること。そしてそれは日本の一般読者向けに書かれた、翻訳本とか旅行ガイドとかを除き、人文科学分野でおそらく最初のウェールズに関する単行本であること。その本を、私はセント・デイヴィッズに奉納するためにもってきたこと、などを畳みかけて語ったのだった。
ティー・ヘリグの主人グレッグは、もちろんジェラルドのことを知っている。イングランド人はともかく、ウェールズ人ならこの国の英雄、ジェラルドを知らない人はまずないといっていい。日本人が日蓮とか親鸞を知っているようなものだ。
だからこそスキポールからカーディフに来る飛行機で隣の席のウェールズ人のおばちゃんと、そしてカーディフ空港の女性入国審査官と、私たちはお互いに親身に打ち解け、話を弾ませた。
ふんふんと頷きながら、グレッグは真剣に私の話を聞いている。そして、言った。
「あなたのような人、いや、あなたが来てくれたことを、とてもうれしく思う。セント・デイヴィッズも、ジェラルドも歓迎しているよ」
なんという主人の言葉。お世辞もあるかもしれない。でも、ぐっときた。うれしかった。
●部屋はオーシャンビュー
すっかりほっとした私は、ちょっと気になっていることをグレッグに尋ねることにした。ここからセント・デイヴィッズまで、遠いのか近いのかということである。
事前にグーグルアースやマップで見た限り、ティー・ヘリグは大聖堂から微妙な位置にある。
明らかにここはセント・デイヴィッズの町からは離れていて、郊外といったところだ。この宿の前にある私が降りたバス停も、終点の大聖堂があるバス停からは一つ前だ。まあ、もともと小さな町だから、その郊外といっても中心のカテドラルからは大して遠くはないだろう。でも、実際はどうなのか。
車がないとそれなりにしんどい距離なら、簡単にはいけないなあ…。
しかし、グレッグの返事はあっけらかんとしたものだった。
”Five minutes, on foot.”
徒歩5分、何と、まあ、近いこと!
グレッグに案内されて私が泊まる2階の部屋に入る。
おー、何といい部屋だろう。明るくて、木目調で、家庭的で、しかも窓から海が見える。オーシャンビューである。こんな、いい部屋、いままで泊まったことがない。
へえー、B&Bっていいなあ。
私は日本国内にせよ海外にせよ、泊まるところはホテルと決めている。民宿やB&Bのような、宿の主人との接触をどうしても避けられないところは敬遠していた。
私は話好きだが、泊まるところにそういう要素はいらないという主義だ。宿で変に気を遣うのが一番疲れる。だが、いまここでは宿の主人どころか、私のほうが快活に話しかけている。主人はにこにこして、私を受け入れてくれている。
そうか。こういう雰囲気を作るのがB&Bなのか。全く知らなかった。思わぬ良さがある。
もちろん、すべてのB&B、あるいは民宿がこんなわけではないだろう。宿の主人との相性もある。ただここは、いま一人旅をしているちょっとくたびれた年齢の私にはぴったりの宿だ。セント・デイヴィッズの町の数ある宿の中で、ティー・ヘリグを予約できた幸運に感謝、である。
●ご当地出身の『レッド・ドラゴンズ』
部屋で一休みも束の間、スーツケースからジェラルドの生涯を書いた自分の本を取り出すと階下に降りて行った。
これからいよいよセント・デイヴィッズに向かうのだ。時刻は午後2時30分。
グレッグに自著を見せる。そしてスマホで、あのカーディフ空港の女性入国審査官にも見せた、2013年に来日したウェールズラグビーナショナルチームの、英国大使館での歓迎パーティの写真と、ウェールズ政府のエドウィナ・ハート科学・経済・運輸担当大臣と一緒に私が写っているカットを見せた。
興味津々に写真を見ていたグレッグは、レッド・ドラゴンズの中の一人を指して言った。
「彼は、この町の出身だよ! すごい。こんな写真があるとは!」
そしてもちろん、彼も知っているハート大臣が同じパーティの会場で、私の本をもって私と一緒に写っている写真に、うんうんと頷いていた。
「ちゃんと、カテドラルに本を渡せることを祈っている」
グレッグの言葉に見送られ、ティー・ヘリグを出た私は、セント・デイヴィッズに向かって道を西に歩き始めた。
【このシリーズのバックナンバー】
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。